第93話 下北沢芹香の事情
その後、駒場先輩は、一曲にとどまらずその女の子と路上ライブを再開した。
だが、ギャラリーが増えて、通行の邪魔になりそうだったので数曲歌って切り上げたのだった。
そして、俺と駒場先輩、そしてその女の子は近くのお店で軽い食事をしながら話をしてその日は別れた。
「それで、女の人、駒場先輩のバンドに入るの?」
「その人、初台ルミネさんて言うんだけど、今度一緒にセッションするみたいだよ。その女の子が気に入れば決定らしい」
家に帰って、風呂から出た涼華と台所で話をしてる。
小腹が空いて、夕飯の残りを食べている時に涼華がやってきて話し込んでいた。
「そっか〜〜私も聴きたかったなあ」
「凄く上手だったよ。絶対売れると思う」
そう言いながら豚の角煮と切り干し大根の煮物を食べる。
「そうだ。光彦君に手紙が届いてたわよ。池上先輩からみたい」
そう聞いて俺は、急いで自室に戻る。
机の上に味気ない封筒が置かれていた。
その手紙を引き出しにしまってあるペーパーナイフを取り出して開封して中身を読んだ。
「そうか、池上先輩学校辞めるのか……」
その手紙の内容は、池上先輩からの謝罪から始まった。そして、幼馴染である東西麻理との話し合いの内容が書かれていた。
「ふむ、ふむ、そうでありましたか、ニンニン」
ルナ、いつの間に……
「幼馴染とは結局上手くいかなかったようだね」
「まあ、あのアバズレ女と池上先輩とでは、どの道合わないでしょう。ですが、あの女も家族と引っ越して一から始めると書かれています。良くない連中と手が切れたのなら僥倖でしょう」
「池上先輩も神戸に行くみたいだね。パン職人を目指すと書いてあったよ」
「それは、母親の友人が神戸でパン屋さんをしてるようですよ。それに手に職を持つ事は良いことです」
「余計な事をしたんじゃないかっていつも思っていたんだ。でも少し安心したよ」
「いろいろ迷って、悩んだ先にはきっと光があるはずです。その光は、小さくとも輝いている限り新たな道筋となるでござる、ニンニン」
「そうだよな……てか、ルナ!酒臭いぞ」
「今日は、忍びの会合がありまして霧峰の者とクソ親父が……ぐ〜〜っ、ぐ〜〜」
あ、寝た……
「仕方ないなあ〜〜」
それにしたって、師匠。未成年に酒を飲ませるなよ。
俺はルナを担いでベッドに寝かせる。
予備の毛布を取り出して、ソファーに腰掛けた。
俺も寝るか……
その日はソファーで寝たのだった。
ルナのいびきを聴きながら……
◇
朝、目が覚めて背伸びをして眠気を吹き飛ばす。
ベッドの上や脇には、ルナが脱ぎ捨てた服が散乱してた。
「マジか……こんなとこ誰かに見られたら何を言われるか」
そう呟くと『シュッ、シュッ』と音が聞こえる。
慌てて窓際を見ると木葉が霧吹きで苔の鉢に水を吹きかけていた。
ふと木葉と目が合う。
「木葉、違うんだ、これは……」
「光彦、海に行きたい」
言い訳をしようと思ったが、木葉からは斜め上の言葉が返ってきた。
「何で海?泳ぐにはまだ寒いぞ」
「釣りがしたい」
木葉が釣り?
新しい趣味に目覚めたのか?
「ジュネーブに行くからその後なら付き合うぞ、と言っても俺は釣りしたこと無いけど」
「わかった。今回の事は黙っておく」
黙ってくれるそうだ……
「木葉、悪いけど俺走ってくるから、ルナを頼む」
「うん、水あげとく」
苔じゃないんだが……
俺は着替えてさっさと部屋を出る。
すると、階段の途中で美幸に会った。
「あれ、ミッチー起きたん?」
起きますよ、それが何か?
「アレ、茜ちゃんの姿が見えないけど?」
「茜っちは、ちょくちょく家に戻ってるよ。ご飯の時はこっちにくるけど」
家に戻ったのか?知らなかった。
「てか、うちは食堂じゃないけどな」
いつも夕飯時にはいたので、てっきり家出したままだと思っていた。
「はは、でも茜っちの気持ちはわかるよ。ママの作ったご飯は美味しいからね」
確かに美味しい。
うん、俺もその気持ちはわかる。
「そうか、じゃあ俺は走ってくるよ」
「行ってら〜〜」
玄関を出て軽いストレッチをして走り出す。
今日は、時間がないので、超短コースを行くつもりだ。
まあ、好き勝手に走るってことなんだけどね〜〜
俺は、朝の爽やかな空気を肺にいっぱい入れたのだった。
◆
薄暗い部屋にカーテンの隙間から差し込む朝日を眼を細めながら、私はもう朝なのか、とため息を吐く。
「どうしよう……」
ノートパソコンの液晶画面には、数行しか書かれてない文字が写っていた。
「あ〜〜!このままじゃジュネーブ行きキャンセルするようだわ」
担当編集さんからは、催促のメールがくるし……
それにせっかく、お気に入りの化粧品のお可愛いパッケージを描いたカレンジャーさんが私の小説の表紙と挿絵を描いてくれるようになったのに〜〜
今回私が書いているのは、メイン小説で書かれなかった主人公とヒロインが幼い頃海で出会うシーンだ。
ドラマCD用のもので、声優さんが私の書いたものを読んでくれる。
だから、セリフだけは心の残るものを書きたいと意気込んでいたのだが、どうしてもどこかで聞いたことのあるセリフしか出てこない。
その時、スマホが鳴る。
出てみると妹の美梨花からだ。
『お姉ちゃん、起きてる?』
『起きてるわよ。というか寝てないけど……』
『はあ〜〜また徹夜したの?私達がいないからって無理はダメだよ』
両親は妹を連れて海外で暮らしている。
父からの話では、あと数年は帰って来れないようだ。
『無理はしてないわよ。昼間寝てるし』
『それより、部屋はきちんと掃除してるんでしょうね?帰ったらゴミ屋敷になってたなんて笑えないからね!』
妹に言われて部屋を見渡す。
散乱しているのは主に服だけだ。
まだ、汚部屋ではないわね……
『大丈夫よ。私掃除好きだし』
『……そう言えばお母さん、夏休みに一旦帰るって言ってたわよ。お姉ちゃん、掃除だけはしておいた方がいいよ』
『わかったわよ。これから学校だからそろそろ切るわね』
そう言ってスマホを置く。
充電が少なかったので、充電器に差し込みそのまま制服に着替えて家を出た。
「うわ〜〜お陽さま、頑張ってるなあ〜〜」
太陽の光が眩しくて、目を細める。
いつも寄るコンビニでお昼に食べるパンとおにぎりを買って店を出たところで、スマホを見ながら運転する自転車とぶつかりそうになった。
慌てて避けたものの寝不足のせいかよろけて転びそうになったとき「大丈夫ですか?」と、力強い男性の腕に支えられた。
「光彦くん……ごめんなさい」
顔を見ると同じクラスの光彦くんが美幸さん、木葉さん、神泉さんを連れてその場にいたのだ。
「危ないっつうの!チャリ乗る時くらいスマホを見るな!」
既に遠くに走り去ってしまった自転車に向けて美幸さんが怒っていた。
「そうですよ。自転車は歩道を走っちゃいけないのに!」
神泉さんまで、怒りを露わにしている。
「それより、どうしてここに?」
学校に行くには道を外れている。
「要さんがお昼のパンを買いたいって言ってたのでお店に寄ろうとしたんです。そしたらセリカ先輩が出てきて自転車にぶつかりそうになってたので」
「そう言う事だったのね?みんなに迷惑をかけちゃったわ。ごめんなさい」
「セリカ先輩、こういう時は魔法の言葉を使うんですよ『ありがとう』って言葉をね。そう言っておけば、大抵のことは解決できます」
「ふふ、そうね。ありがとう、みんな。でも、大抵のことを解決できるかはその事案によるわね?でも、魔法の言葉か……」
魔法の言葉……
主人公とヒロインが出会ったのは10歳。
子供が使っても全然おかしくはないわ。
それどころか、魔法という単語が不思議と心に残る……
滞っていた主人公とヒロインのヒロインのセリフが次から次へと頭の中に沸いて出てきた。眠気が覆っていた頭が活動しだす。
学校に着いて自席に座って、鞄からノートを取り出す。
その日、学校で寝ようと思っていた私は、一日中ノートに溢れ出した言葉を書きつけたのだった。
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