第92話 御曹司、駒場先輩と新宿へ
放課後、駒場先輩に誘われてきた場所は、新宿駅南口を出て甲州街道を渡った先だった。
大勢の人が行き来する中、ひとりギターを弾いて歌っている少女がいた。
「駒場先輩、もしかしてあの子を見に来たのですか?」
「まあな。水瀬はあの子の歌をどう思う?」
公衆の面前で歌うだけあって、確かに上手い。だが、何かが足りない気がする。
そう思ったことを告げると駒場先輩も同じ意見だったようだ。
「実はな、俺達のバンドのメインボーカルが今年受験でな。バンドを抜けたんだわ。他のメンバーがここで歌っている子はどうか、と言ってたので見に来たというわけだ」
「俺は音楽の事はよくわかりませんよ。何で連れて来たんですか?」
「この前、みんなでカラオケに行っただろう。その時、水瀬は俺の歌を癖のある声だと言った。だから感想を聞きたかったんだ。
この世に歌の上手いやつはごまんと居る。その中から有名になれるのは一握りだ。そういった有名なアーティストは、独特のクセを持ってる。その声のクセが大衆に受け入れられるかが鍵だと俺は思うんだ」
他にもいろいろな要因はあるだろうが、確かにボーカルによって左右されるのは確かだと思う。
「そういう事でしたか、言われて納得しました。それで彼女は合格ですか?」
「う〜〜ん、悪くはないんだ。だが、なんだろう?彼女は、素直すぎる気がする。それにロックバンドというよりアイドルの方が似合ってる感じだ。一度一緒にやってみないとわからないが俺達のバンドには合わない気がする」
メンバー選びって意外と難しいようだ。
「抜けたボーカルの人は、どんな感じだったんですか?」
「まあ、良かったと思う。俺や周りのメンバーとも息が合ってたしな」
「それなら、受験が終わるまで待っていたらどうですか?」
「そう思っていたが、もう戻る気はないらしい。彼氏もできたようだしな……」
そう言った駒場先輩はどこか寂しそうだった。
「なら、駒場先輩がメインでボーカルすればいいじゃないですか?歌うまかったし、俺は好きですよ、あの声」
「まあ、そうなんだが、俺はギターが弾きたいんだ。歌はサブで十分だ」
歌いながら弾くのもアリだと思うが、こだわりがあるのだろう。
しばらく、考えながらその子の歌を聴いていると、帽子を被った中年男がその子に近づいて文句を言い始めた。
「おい、おい、誰に断ってここで歌を歌ってんだあ!」
その子は無視して歌を歌い続けている。
しかし、その顔は少し焦っているように見え受けられた。
「いつまで歌ってやがるんだ、うるせーんだよ!早くやめろ!!」
その男は、地面に置かれていたギターケースを蹴り飛ばした。
弾みで自作のCDが散らばった。
行き交う人々でその男を止めようとする者はいない。
歌を見てた人も、その場を離れたりスマホをかざして動画撮影してるような人までいる。
仕方なしに仲裁に入ろうとしたら、俺より先に駒場先輩がその男と歌ってた彼女との間に入った。
「聞きたくないのならどこかに行けばいいだろう?わざわざ文句を言う意味がわかんねえ」
そう言った途端、その男は駒場先輩にかみついた。
「よーよー、なんだあ、てめえは?」
「その子の歌を聴きに来たんだ。おっさんは、邪魔だからさっさとどこかに行け!」
駒場先輩がそう言うと、その男は、睨みをきかせて怒鳴り始めた。
「おめえこそ、どっかに行きやがれ!俺はヤクザだ。ナメると痛い目にあうぞ」
どっからどう見てもただの酔っ払いの不良中年にしか見えない。
そのスジの人は、もう少し威厳とか凄味がありそうだが……
駒場先輩の邪魔してはいけないと思い、俺は散らばったCDを拾い集める。
その間、駒場先輩とそのおっさんは押し問答を繰り広げていた。
歌を歌っていた女の子は、スマホを取り出しどこかに連絡を入れている。
すると、どこからかガタイの良い人達が数人現れてその女の子のところに近づいてきた。
「お嬢、こいつですか?」
どこからどう見ても本物のそのスジのお方達だ。
そのガタイの良い男達を見て驚いたのは、因縁をつけてた酔っ払いの中年男だ。
「すみませんが、こちらに来て頂けませんか?」
丁寧な物言いだが、その言葉には相手を圧倒する威圧が込められていた。
「ああ、なんだ〜〜俺は用事があったんだ。直ぐに行かねえと……」
その酔っ払いはそう言って逃げ出そうとしたが、既にガタイの良い男達に囲まれている。
「時間は取らせません。どうぞ、こちらに……」
そう言ってその男はガタイの良い男達に連れて行かれた。
残ったのは、先ほどから話しかけていたそのスジのお方だ。
「お嬢を庇ってくれたことにはお礼を申し上げます。ですが、お兄さんもあまり無茶はいけねえ。最近は素人さんの方が何するかわかりませんのでね」
そう言って、マイクや機材をしまい始めた。
「お嬢、もう無茶はおやめ下さい。何かあったらあっしら怒られますんで」
「嫌よ!私は歌が歌いたいの。やめるつもりはないわ!」
「それは知っております。ですが、さっきみたいな奴らもいます。せめてうちの若い者ぐらいそばに置かせて下さい」
「そんなの無理に決まってるでしょ!怖がって誰も聴いてくれないわ」
あれ、この子。歌ってる時と話す時の声が違う。
駒場先輩もそれに気づいたようだ。
「あの〜すみません。一曲だけ俺と歌ってくれませんか?さっき歌ってた作った声じゃなく地声でお願いします」
駒場先輩は、そう言って90度の角度で頭を下げていた。
すると、そのスジのお方が、
「お兄さん、あっしの前でお嬢にナンパとかしないでもらえますかね?」
酔っ払いのおっさんに対する威圧よりさらに凄味を増している。
「ち、違うんです。俺、バンドしててボーカルの子を探してたんです。だから、一度だけでいいので一緒に歌って下さい」
駒場先輩はさらに地面に着きそうなほど頭を下げた。最早、土下座のほうが楽な姿勢だと思う。
「いいわよ。ヤス、用意して」
「いいんですか?お嬢がそう言うのなら、わかりやした」
そう言ったそのスジのお方は、片付けていた機材をセットし直し始めた。
「ありがとうございます」
駒場先輩は、気合の入ったお礼を言った。
「さっきは助けてくれてありがとう。それで何を歌えばいいの?」
「さっきの歌でいいです。俺もあの歌好きなので」
先ほど彼女が歌っていた歌は、動画投稿サイトで人気の曲だ。
俺でも知ってる曲なので駒場先輩も当然知っている。
「わかったわ」
その女の子と駒場先輩は、声を出してお互いのキーを確認し、歌の打ち合わせをしていた。話し合いの結果、ギターは駒場先輩が弾くことになったようだ。
駒場先輩のギターが雑踏の騒音にかき消されることなく響き始めた。
そして、彼女の歌声がその旋律に重ねて周囲に届く。
「さっきとはまるで違う。このクセのある歌声、どこか心地良い」
「わかりますか?お嬢は、小さい頃から歌うのが好きで組の集まりの時は前に出て歌ってたものでした。ですが、年頃なんでしょうね?この声を恥ずかしがって隠すようになったんです。綺麗な声に憧れたんでしょうな。ですが、あっしはこっちの方がずっといいと思いやす」
いつの間にか隣にいたそのスジのお方は、その歌声を聴いてどこか懐かしそうに話した。
そして、サビの部分で駒場先輩と声が重なった。
クセのある女の子の歌とクセのある駒場先輩の声が喧嘩する事なくお互いを更なる高みへと昇華させている。
素通りしていた通行人も思わず足を止めて、その歌声を聞いていた。
「あ、これ売れるわ……」
一瞬でそう思った。
「驚きましたね〜〜あのお嬢の歌に綺麗に重なってやがる。そういえば、少年や歌っている少年もあっしらのこと気づいてるんでしょ?怖くはないんですか?」
「怖いって何でですか?」
確かにこの人は只者ではない。
だが、俺はもっと怖い人達の中で育ったので特に恐れる要素はない。
「はは、恐れ入りやした。歌を歌っている少年も大した度胸だと思ってましたが、その上手がおりましたか。きっとお嬢と長いお付き合いになるでしょうから名刺を渡しておきやす。何か困ったことがありやしたらご連絡下さい」
そう言って渡された名刺には、『鬼黒組 若頭 幡ヶ谷安和』と書かれていた。
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