第5章

第76話 御曹司は心を落ち着かせる 


月曜日


昨日までの天気が嘘のように朝から雨が降っていた

日差しが差し込む窓には、どんよりした厚い灰色の雲が広がって陽の光を遮っている。


その窓際にひっそりと苔の鉢を置く少女が、窓から空を見上げていた。


「木葉、おはよう」

「おはよう、光彦」


こちらを見ないで空を見上げて挨拶する木葉は、どこか淋しげだ。


「何かあったのか?」

「何もない。ただ雨が嫌いなだけ」

「雨も降らないと困るだろう?」

「苔達は喜びそう。だけど私は嫌い」


木葉は雨の日に何か思うところがあるようだ。


「お邪魔しま〜〜す」「お邪魔します?」


そう小声を囁いて入ってきたのは美幸と茜ちゃんだ。

2人は木葉を見つけて「木葉っち、ズルいし」「あ、木葉ちゃんだ」とそれぞれの言葉を発した。


「美幸も茜ちゃんもおはよう。でも、何で美幸が来るんだ?自分の家に引っ越したよな?」


木崎家は日曜日に裏庭に建てられた新しい家に引っ越した。

当然朝は忙しいだろうから、こっちには来ないと思ってたのだが……


「ミッチーのお世話するし、それにこっちの方が居心地いいし」


まあ、言っても無駄だし好きにしてくれ……


「茜ちゃんは家に帰らなくて良いのか。今日はお父さん新しい会社に行く日だぞ」


「お兄さんのお世話するし、こっちの家の方が居心地いいし」


どこかで聞いたセリフがそのまま返ってきた。


「だけど電話でもいいからするんだぞ。お父さんだって慣れない会社で頑張るんだ。それに疲れて帰ってくるだろうし」


「わかった。後でお父さんのスマホに連絡入れとくよ」


「そうしなよ。きっとお父さん喜ぶから」


そんな話をしていた時、ふと木葉が俺を見て呟いた。


「ねえ光彦。キスってどんな味がするの?」


「「「へっ!?」」」


俺達は、木葉から出た言葉に驚きを隠せなかった。





みんな揃って、朝の朝食を食べている。

木葉の衝撃的な言葉が心に残って俺も美幸も落ち着かない。


「光彦様、研究所からこちらが届きました」


楓さんがA4サイズの箱を持ってきた。

何か頼んだかな?


「うん、ありがとう」

「是非とも感想が欲しいそうです」

「わかった。使って連絡を入れておくよ」


自室に戻って箱を開ける。

中には、普通の白いTシャツが1枚入っているだけだった。


「通気性がいいのかな?」


感想を送らないといけないので、制服の下にそのTシャツを着て学校に向かう。


傘をさしての登校は、こっちに来てから初めてだ。


「ねえ、ミッチー、木葉っちどうしたんかな?」


緑色の傘をさして前を歩く木葉を見ながら美幸が聞いてきた。


「さあ、何かあったのかも知れないな」


「土日はお母さんの実家に家族で行ってたみたいだし、そこで運命の人に巡り会ったとか?」


あの木葉がねー、想像がつかないなあ……


「お母さんの実家ってどこだろう?」

「確か新潟県って言ってた気がする」


美幸にそう聞かされて、俺は木葉のことをよく知らないのだと思った。


木葉と言えば、苔大好きで美味しいものに目がない大食漢ということぐらいしか知らない。


「うーーん」

「どうしたん?」

「いや、なんでも」


友達なら普通は相手のことをいろいろ知ってるはずだよな?

なら、何故……


電車に乗りいつもの最寄駅へ。

今日は、神社脇のマンションに寄らないといけない。


「ねえ、その子って霊とか見えるん?」

「らしいけど、本人から言われるまで黙ってた方がいいぞ。かなり、気にしてるから」

「了解、美幸さんは心遣いができる良い女だからね」


心遣いができるなら、毎朝、盗人のように俺の部屋に入ってこないでほしい。


神社の隣のマンションに行くとエントランスで神前要さんが待っていた。

制服を着れば普通の女子高生だ。


「おはよう、大丈夫そうか?」

「うん、平気みたい。そっちの子は?」


「あっしは、要っちのクラスメイトだよ。一個下だけどよろ〜〜」


俺は美幸の頭をチョップする。「痛っ」と頭を押さえて叫んでいた。


「こいつは木崎美幸って言うんだ。少しアレな性格だけど悪いやつじゃない。仲良くしてあげてほしい。そして、もうひとりは植松木葉。俺と同級生なんで要先輩の一個下だね。口数は少ないけど優しい子なんだ」


「そうか、私は神前要、二人ともよろしくね」


無事に自己紹介が済んだ。それだけで、どっと疲れた。


「大丈夫そうなら行こうか?もし、何かあったら直ぐに声をかけてほしい」

「うん、わかった。よろしくね、白鬼さん」


そう呼ばれるとは思っていなかったが、好きにさせておこう。

雨の降る道では、色とりどりの傘が行き来している。


「何でミッチーのこと白鬼って呼ぶん?」

「だって、白鬼さんは白鬼さんでしょ?」

「あ、わかった。要っちは木葉っちの仲間だ」


何が言いたいのかよくわからんが、おそらく美幸の感じてるのは2人の雰囲気が似てるって言いたいのだろう。


「苔好きなの?」

「苔ってあの苔?う〜〜ん、どうだろう。考えたこともなかった。ごめんね」

「構わない。でも苔仲間が光彦だけしかいないのはつまらない」

「じゃあ、木葉ちゃん、苔の良さを教えて?もしかしたらハマるかもしれないし」

「うん、了解した」


美幸に仲間と言われて木葉は話しかけたのだろう。

そんな会話をしてると2人を見て少しホッとした。

木葉の様子がいつも通りだったからだ。


さて、今日も一日頑張りますか……


そんな決意を打ち消すように雨は無常にも強く降り続くのだった。





要先輩の様子を見ながら登校したが、どうやら俺と一緒なら問題なさそうだ。


要先輩の言う霊が怖がるというイメージが持てないのだが、無事登校できたのなら問題ないだろう。


ただ、帰りはどうする?

今の俺は結構忙しい。

会社に行くことも多いし……


そう悩んでいると要先輩が身に付けてる物を譲ってほしいと言われた。

できれば髪の毛数本が好ましいという。

要さん曰く、髪の毛には霊気が宿るらしい。

俺の髪の毛をお守り袋に入れて実験してみると言われた。


俺はその場で髪の毛を数本抜く。傘で隠していたのでウィッグをズラしても周囲にバレることはないだろう。


「はい、これでいい?」

「わ〜〜ありがとう。本当に白いんだ。しかも白銀、お宝感があるわね」


少し話してみて要さんはかなり陽気な性格だ。

厄介な体質を抱えてもこんな陽気な性格に育ったのは家族のフォローがきちんとされてたからだろう。

要先輩は、大事そうにお守り袋を開いて俺の髪の毛を閉まっていた。


無事学校に辿り着き、教室に入ると少し雰囲気が重い。

周囲を見渡すと、池上先輩の顔が腫れていて大きな絆創膏を貼り付けていた。


「池上先輩、どうしたんですか?それ」

「ど、土曜日にちょっとね。か、か絡まれちゃって〜〜へへ」


よく見ると顔だけでなく身体全体に怪我をしてるようだ。


「何で絡まれたんですか?」

「そ、それは……」


それ以上口を開いてはくれなかった。

その時、駒場先輩が俺の肩を叩いて、


「水瀬、人には言いたくないこともある。察してやれ」


そう言われたのだが、気持ちはわかるが納得はできない。

だが、ここで騒いでも何も解決はしない。


「白鬼さん、本物の鬼になっちゃダメだよ。鬼は最後には退治されちゃうから」


俺は内から湧き出る熱いものが体内を掻き巡るのを必死で抑えていたのだった。


「おはよう、アレ、みんなどうしたの?」


教室に入って来たのは熊坂さんだ。

陰気な格好しているのに、性格は明るい。


みんなが池上先輩の周りに集まっているのを見て事情を察したらしい。


俺はルナを探したが、席に座って本を読んでいたルナは既に教室にはいなかった。


そうか……頼むぞ……


そんなルナの素早い行動を見て俺も心を必死で落ち着かせて自席に座った。





「主人、マジでキレてましたねえ〜〜くわばら、くわばら」


ルナは池上先輩の怪我を見た光彦の顔が変わったのをいち早く察知した。

そして、席を立ち必要な情報を集めるために地学準備室に向かう。


席に座りタブレットを開いて、貴城院セキュリティーサービスにアクセスする。


特進クラスの生徒は既に調べ尽くしている。

なので、おおよその検討はついていた。


「池上先輩の中学時代の同級生で……と。ヒットしましたねえ〜〜」


土曜日の繁華街、若しくはその周辺の監視カメラの映像を入手する。


「こいつらですかね〜〜」


コンビニでたむろしている連中の中に池上先輩の中学時代の同級生が写っていた。


「行動をチェックして……と」


派手な改造をしたバイクと極端に車高の低い車。


「こいつらの身元を調べて……と、おお、そう来ましたかあ」


そう言ったルナの顔はニヤけていた。


既にリストアップされている連中のスマホをハッキングする。

どんなやりとりがなされていたのか、全て把握した。


「結構派手に悪さしてるみたいですね〜〜交通違反はお手のもの、車上荒らしに引ったくり、恐喝や強盗。遊ぶ金欲しさにここまでしますか、その時間真面目にバイトしてれば、同じくらい稼げると思うのですが……」


ウンザリしながらスマホのチャックを済ませる。


「あとは暴行現場の映像ですが……ここですかねえ?」


遠目だが、民家に設置してある防犯カメラにその映像が写っていた。


「警察関係はどうでしょうか?」


周辺の住民が通報していた可能性がある。


「ないみたいですね〜〜他人のことは見て見ぬふりですか?世知辛い世の中ですよ、本当」


そして、証拠を保存して、情報を貴城院セキュリティーサービスに流しておく。


これで、連中の家族、親族、会社、学校など詳細な情報が共有された。

GOサインが出れば、直ぐに動けるように調整しておく。


「さて、主人はどう出ますかねえ、楽しみです。ニンニン」


ルナはそっとタブレットを閉じたのだった。





プリントに書き込むシャーペンの芯の音が教室に充満する。

こうした単調な音を聞いていると心が落ち着いてくる。

これは胎児が母親の体内で心臓の鼓動を聞いていたのと同じような感覚なのかもしれない。


ルナは教室にいないので、既に調査は完了しているのだろう。

だが、ここで駒場先輩が言ったことが頭によぎる。


(人には言いたくないことがある、察してやれ……)


確かにその通りだ。

人は頭に血が上るとそんな簡単な事も理解できなくなってしまうのだろうか?


イジメやどの被害者は、身近な親にも相談しづらいらしい。

弱い自分を曝け出す恐怖の方が勝るようだ。

そうしてどんどん心を閉ざして誰かに救いを求めることを諦めてしまう。


たとえ、救いを求めても周りの人達が動いてくれない場合もある。

世間体、立場、誇り……そんなしがらみがさらに被害者の心を絶望へと駆り立てる。


挙句の果てに自らの命さへ絶つことを厭わない。


確かに自分の命は自分だけのものだ。

他人がとやかく言うものではない。

だが、その者に関わった人の気持ちはどうなる?


助けられなかった罪悪感は一生癒えることはない。


だから、命は自分だけのものではない。

その人を大切に思っている心と繋がっているんだ。


池上先輩の場合、自分の弱さを見せるのが怖いのだろう。

そう言う意味を込めて駒場先輩は察しろと言ったのだと思う。


叶わないな駒場先輩には……


だが、俺はこのままでは気が済まない。

それは、俺の我儘だ。


だから、ケリをつけるには俺1人で十分だ。


教室の窓の外では、未だ雨が降り続けていた。

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