第2話 如月涼華の覚悟
あれは私が中3の夏休みが終わろうとしている頃だった。
剣道部の全国大会が終わり、個人戦、団体戦共に優勝という優秀な成績を収めた我が校の剣道部だったが最近は気が抜けたように少しダラけていた。
決して、夏の暑さに屈したわけではない。
その日は、部活帰りに後輩とコンビニでアイスを買い店先のベンチで食べていると、突然黒塗りの高級車が前に止まり、中からサングラスをかけ暑いのに黒スーツを着込んだ大人の男性が降りてきて後ろのドアを開けた。そのドアからは、白髪頭の背筋の良い紳士が降りてきた。
この田舎の地方都市に似合わない状況を後輩達と見ていると、その背筋の良い紳士は私達の方に歩いてきた。
「失礼ですが、如月涼華様ですか?」
突然私の名前を呼ばれたのでびっくりしたが、私はこの人を知っている。
そう、私の亡き父の上司だった人だ。
「はい、そうです」
「そうでしたか、美しくなられましたね。涼華様とは何度かお会いしているのですが私の事は覚えておりますか?」
「父の知り合いなのは知っていますが、名前までは知りません」
「ほほほ、そうでしたな。私は櫛凪真邦と申します。以後お見知り置きを」
その背筋の良い紳士はそう言いながらにこやかに笑う。
隙のないその佇まいは、亡くなった父を遥かに凌駕しており、私の祖父と同じような匂いを感じた。
「あの、私に何かようですか?」
「ええ、まあそうですね、これからお宅にお伺いする予定です。涼華様と言うより有隆様に用事がありまして……もしよろしかったら私達と一緒しませんか?涼華さんも聞いて損な話ではありませんので」
その言葉が本当かどうかわからないが、この紳士の事は信用しても良い感じがする。
私は後輩の女の子たちから心配されたが「父の知り合いだから大丈夫」と言って安心させてその紳士と共に車に乗り込んだ。
冷んやりとした空気の車内で、かいた汗が退いていく。
涼しくて気持ちがいい。
「何か冷たい物でも飲まれますか?」
「いいえ、家まで直ぐですから大丈夫です」
遠慮していると、その紳士は慣れた手つきでオレンジジュースを2本取り出してコップに注ぎ「私は喉が渇いたのでお付き合い下さい」と言いながら手渡された。
スマートな対応だなぁ……
そんな風に前に座っている紳士を見ていると、ふと汗臭い自分が気になった。
汗臭いかな?
家に着いたら即効でシャワーを浴びよう。
「涼華さんは、2度目の全国大会優勝ですね。立派です」
「はい、知っていたんですね。個人戦では1年の時は負けてしまいましたけど」
「ええ、宣隆君の娘さんの事ですからね、影ながら応援しておりました」
「あ、ありがとうございます」
「それでも1年の時はそれでも準優勝でしたね。少し気になったのですがお気に触ったのであればお許しください。あの時は本調子ではありませんでしたね?」
そうか、父の上司なら知ってて当然か……
「ええ、竹刀をを握って日が浅かったので慣れるまで時間がかかりました」
「あはは、流石、宣隆君の娘さんだ。持ち物が軽すぎたのですね?」
「はい、おっしゃる通りです」
私の家は、昔から続く剣術の家だ。
初代は武田信玄公に仕えていた。
武田家といえば騎馬戦が有名だが、如月家の初代当主は甲斐国1番の使い手だったという話だ。
そんな家の影響で私は幼い頃から剣を握っている。
初めは模造刀だったが、小学生の高学年からは真剣で稽古していた。
中学に入って剣道部に入り、竹刀を初めて握ったが軽すぎて調子が合わなくなり、それに加えて剣道のルールに馴染むまでも時間がかかった。
それでも準優勝をもぎ取ったといえば喜ばしい事なのかもしれないが、私は納得していない。
今でもあの時の不甲斐ない自分を思い出すと吐き気がしてくる。
車は地元の有名な神社の前を通り、道路を左折して進路を北に向けた。
私の家までもう直ぐだ。
櫛凪さんから頂いたオレンジジュースを飲み干して、空いたコップをサイドテーブルに置くと同時に車は止まった。
「着いたようですね」
「はい、車に乗せて頂いてありがとうございます。外は暑かったので正直助かりました」
「ええ、こちらこそあの店で涼華さんをお見かけして幸運でした。さあ、行きましょうか?ご当主の有隆様にご挨拶しなければなりませんし、宣隆君にお線香を手向けさせて頂きたいですし」
「あ、はい。父も喜ぶと思います。どうぞ、狭い家ですがお上がり下さい」
サングラスをかけた男性がドアを開けてくれたので、櫛凪さんより先に降りて、家に招き入れた。
私がシャワーを浴びて着替えを終える頃、お母さんがお祖父さんが呼んでいると言われた。
私は、半渇きの髪を束ねて和室の応接室に向かう。
「涼華か、まあそこに座れ」
お祖父さんの機嫌はあまり良くないようだ。
難しい顔をしていた。
言われた通り、テーブルを挟んで櫛凪さんの真正面に座る。
「櫛凪さんがお前に話があるそうだ。内容はご本人から聞くが良い。だが、聞いた以上は守秘義務が生じる。心しておけ」
何か重大な話のようだ。
「涼華様、先程は失礼しました。私が今日こちらに伺ったのは涼華様にお話しがあるからです」
「えっ、私ですか?でも、さっきお祖父さんにお話があると……」
「ええ、警戒されないように少し嘘を付いておりました。勿論、宣隆君の娘さんとして応援していたのは嘘ではありません。ですが、私は涼華さんの剣術の腕を見込んである方の護衛の任務を受けてもらいたくこちらに参上致した次第です」
護衛……お父さんがしてた仕事だ。
私のお父さんは貴城院優一郎様の専属護衛官だった。
優一郎様がスペインのとある企業の主催したパーティーに息子さんと出席した帰りに狙撃に遭い優一郎様とお父さんを含めた2人の護衛の方が亡くなった。
お父さんは、狙撃ぐらいではそんな失敗をするはずがない。
だが、そこには優一郎様の息子さん、名前は確か光彦君がいたのでその子を庇うように亡くなったと聞いた。
お父さんが庇った光彦君も銃撃を右胸に受けて重体だったが一命を取り留めたと聞く。
「護衛のお仕事ですか?ですが私はまだ中学生ですよ」
「ええ、勿論年齢も加味しての依頼です」
「それはどういう事でしょうか?」
「護衛対象が涼華様と同じ年なのです」
すると、お祖父さんが割り込んできた。
「涼華、お前はまだ半人前だ。宣隆クラスの護衛官になるには経験がなさすぎる。断るならここで退席しなさい」
確かにお父さんには及ばないだろう。
だけど、お父さんが死んでからより一層死に物狂いで修行してきたんだ。
そんじょそこらの大人になんか負ける気はしない。
「櫛凪さん、護衛対象のお方は私と同じ年なんですよね。しかも、護衛を必要とする身分の高い方なのですね」
「涼華、名前を聞いたら後戻りはできない。直ぐに失礼しなさい」
お祖父さんが私を心配してくれているのは良くわかる。
厳しい修行中でも、私を気遣ってくれていた。
でも、私はお父さんのようになりたい。
誰かを守れる人間になりたい。
「涼華様の言う通り身分の高い方です」
「櫛凪さん、護衛を引き受けるに当たってひとつ条件があります」
「涼華……」
お祖父さんは私の顔を見て、口を塞いだ。
「その条件とは如何なるものでしょうか?」
「はい、私が認めた方でないと護衛はできません」
櫛凪さんは、少し笑顔を見せて目を細めた。
「ははは、流石、宣隆君の娘さんだ。良く似ている。ええ、その条件で構いません。11月にその方の誕生日パーティーが開かれます。涼華様をご招待致しますのでお越しになって下さい。勿論、如月家の皆様もご一緒で構いません。その時にそのお方を充分吟味して下さい。きっと涼華様も気に入りますよ」
「涼華、良いのか?」
「お祖父さん、私を心配してくれてるんだよね。その気持ちはとても嬉しい。でも、私はお父さんのように誇らしい生き方をしたいの」
「そうか、それが涼華の生き方か。如月家は代々武田家に仕えてその力を振るった一族。織田の鉄砲隊にも引けを取らなかったと聞く。涼華の好きにするが良い」
「お祖父さん、ありがとう」
「話が変わりますが、この話には続きがあります。最近海外で不穏な動きがあります。これは表には出ていない情報なのですが、ある企業のトップが寝込みを襲われたそうです。腕利きの護衛官が側に控えていたので事なきを得ましたが、犯人には逃げられたそうです。ですが、その犯人の腕には、宣隆君が亡くなった犯人の組織と同じ剣と蛇の入り混じった刺青があったそうです」
「あの組織は貴城院家が潰したのでは?」
「ええ、貴城院家の総力を上げて全て闇の中に葬りました。ですが、あの組織も末端のひとつ。そこから上にはどうしても辿り着けませんでした」
「貴城院家の情報網を使っても辿り着けない相手がいるとは……」
櫛凪さんとお祖父さんの会話から私の知らない事が話されていく。
つまり、お父さんを撃った組織は潰したけど、それを命令した犯人は顕在なの?
「櫛凪殿、その話と今回の涼華の護衛と何か関係があるのかね?」
「確定ではありませんが、その犯人、若しくは組織が護衛対象を狙ってくる可能性を否定できません」
その話が本当なら、私がこの手でお父さんの仇をとれる可能性があるって事だよね。
「櫛凪さん、その方はそんな組織に狙われているのですか?」
私が質問すると櫛凪さんは真剣な眼差しで会話を続けた。
「ええ、殺し損ねた対象をそのままにしておくとは思えません。何せ護衛対象は貴城院光彦様なのですから」
お父さんが命をかけて庇った男の子……
私はこの時覚悟を決めていたのだろう。身体は意図せず武者震いをするのだった。
☆☆☆
櫛凪真邦が帰った如月家では……
「涼華、本当に良かったのか?」
「うん、少し驚いたし怖いとも思う。でも護衛対象がお父さんが守った光彦君だと聞いて運命だと思ったんだ」
「確かに宣隆さんが繋いだ縁に感じるわ」
「うん、私もお母さんと一緒でお父さんが導いてくれたんじゃないかなって思ってる」
「涼華も香織さんもわかっておるのか?これは極めて危険な依頼なのだぞ。櫛凪殿が言うには、光彦とやらは自分を囮にして敵を炙り出しそこを護衛官達が捕まえるという考えらしい。いかにも他力本願の子供の浅知恵じゃ。わしが若ければ涼華の代わりにその任務を務めたのじゃがなぁ」
「危険なのは承知しているよ。だから光彦君が護る価値のない人物ならば私は護衛官の任務を受けないわ。でも、お父さんの仇を取るチャンスでもある。その時は独自に動こうと思う。例え貴城院家を敵にまわしてもね」
「そこまで涼華が言うのならわしも覚悟を決めよう。香織さん、悪いんじゃがアレを持ってきてはもらえないか?」
「わかりました」
お祖父さんがお母さんに持ってきてくれと頼んだのは一本の刀だった。
「これって……」
「そうよ。お父さんが使っていた刀よ」
「銘は末國長。信玄公が使っていた来國長と同じ玉鋼を使っておる兄弟刀じゃ。我がご先祖が信玄公から直接下賜された我が家の宝刀でもある」
「私が使ってもいいの?」
「ああ、この刀なら涼華を守ってくれるじゃろう。宣隆があの小僧を護る為、迫る弾丸をこれで切りおったが刀にひび割れひとつ付かなかった。その時の細かな傷は幾つかあるが、任務までに急いで研ぎにまわそう」
「綺麗だけど力強い刀……」
私は、その刀身から目が離せなかった。
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