復讐は我が手を離れ

「はぁ!?」


 頓狂な声をあげるマルセルに、おれは上着を羽織りながら問い返した。


「なんだよ? おれとはメシ食いたくねぇか?」

「やっ、えと、いいけど……この流れで!? どこに!? っていうか、そのサイン――」


 おれは訳が分からないって顔をしたマルセルを連れ、隣の部屋の扉を叩いた。


「おぉーい、叩いたってことは終わったんだろー? 報酬、持ってきたぞー」

「ちょっとデックス……? 何を始めようっていうの……?」


 さっき壁をぶっ叩かれたばかりだからか、マルセルは怯えていた。あれだけの目に遭っても慣れないというのは――そういう方がいいこともあるが。

 部屋の奥からドタバタと足音がし、バチバチと錠が十個は外れ、扉が薄く開いた。


「よう、どうだ、なんか分かったか?」


 尋ねるや否や、黒く汚れた小さな手が飛び出てきた。後ろでマルセルの靴音がふたつ聞こえた。ビビって後退ったのだろう。手は、皺だらけになった紙を何枚か握っている。一枚は数字がびっしりと並び、残りは読むのが辛そうな文字だらけだった。


「これが例のやつ?」


 頷くかのように手が上下した。おれは紙束を受け取り、内容を確認した。

 一枚目は、おれの故郷で見つかりマルセルが書き起こした謎の数列。残りの二枚が数列の意味を解説している。くっちゃくちゃで読みにくいが。

 手が、ぐっと握り拳を作り、ついで開き、ぶんぶんと振られた。報酬をご所望だ。


「……くれてやるけどよ。お前これ、いま取り掛かったんじゃねぇだろうな?」


 一瞬、手がビクっと震えた。図星か。


「……まぁ、いいけどよ。今回は許してやっから、次は手抜きすんじゃねぇぞ?」


 おれはため息交じりにマルセルのサインを渡した。

 手が神速で引っ込み、扉が爆音と共にしまった。同時。


「ぃぃぃぃぃぃぃやっっっっっっっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」


 部屋から、落雷を思わせる歓喜の声が聞こえてきた。

 マルセルが、ごくりと喉を鳴らした。


「……えっ……と……今の、誰?」

「さっき言ったろ? 数学科の学生だよ」

「数学科って……今の声、女の子じゃなかった?」

「そうだよ。それで落とされたかもしれねぇってんで、隣人のよしみで助けたんだ」


 屑籠にあった彼女の答案と、あってはいけない帳簿めいた紙束を拾い、別のところに持ち込んでみただけだが、結果として大学からいくつかの名前が消えて女学生が生まれた。


「マルセルのファンなんだってよ。十年来のな」

「ふぁ、ファン……? って、十年来!?」

「あー……ガキの頃にマルセルん家のお庭で遊んでもらってから、ずっとファンだとかで」

「子供の頃って……お庭……?」

「知るかよ。けど見たろ? すげーファンだ。何年前だったかな? 家族旅行で海に行ったときに着てた、黄色い花柄の水着がめちゃくちゃ可愛かったって――どうした?」


 マルセルの顔が凍りついていた。黒蓮よりも怖い隣人だったか。

 おれは思考を停止したマルセルの背中を押しつつ、レポートを読んだ。

 結論から言えば、壁に描かれていた数列は暦の抜書だった。先頭の数字から順に、通し番号、月、日となっているらしい。ただし、聖教会式の暦では存在しない日付がある。

 そこで数字の繰り上がりパターンから仮の暦をいくつか作り、時間の算出に用いそうな自然現象と照らし合わせながら現代の暦との誤差を得て、年号の繰り上がりを特定し……、


「出たのが、この数字と」


 三日ぶりに頭から浴びる陽の光に軽い目眩を起こしつつ、おれは最後の一枚を見た。

 聖教会式に直した日付と年号だ。


「……ねぇ、最後の、これって……」


 ようやく我に返ってくれたか、マルセルが横から覗き込みながら呟いた。おれはすぐに頷き返した。おれもよく知っている日付だ。


「……カーライルサマの仰る、魔王を倒した日だな」


 ただし。


「……年がズレてるな」

「うん。ちょうど、十年……」


 通し番号は北の善き魔女の寓話の数とほぼ合致する。ダスキーヒルで入手した研究書を見れば分かることだが、おとぎ話の最後の話は、善き魔女の死を語っている。


 一方で、聖教会の残した予言は、日付についていくつもの解釈が存在している。デスクがおれに探させていたという、害虫の這い出てくる穴だ。


 ガキの頃に聞いたおとぎ話と、聖教会の予言が重なり合う。

 勇者カーライルを讃える十周年祭――その日が、魔女の死ぬ日となる。

 棄却したばかりの推論が襲いかかってくるようで、おれは思わず天を仰いだ。


 おれが、このデックスが、北の善き魔女のおとぎ話に現れるウィットネスであり、また聖教会の定める五大勇者の重なり合わせであるならば――、


 おれが成すべきは何か。

 民衆を謀り勇者の名を騙る誰かが、予言の言い表す魔王かもれしれない。

 そのとき、おれは勇者のひとりとして魔王を討つのだろうか。

 しかし、魔王が北の善き魔女を指しているなら、ウィットネスが選ぶべきは――、


 分からない。


 どちらを選べばいいのか。


 ただひとつ分かるのは、


「……なぁマルセル、おれの短剣、もらってみる気はねぇか?」


 どちらの予言も捨てれば、おれの個人的な復讐は果たせる。

 マルセルは真剣に目を吊り上げ、腕組みをした。


「いきなり何? それ、大事なものなんでしょ? もっと大切にしなさいよ」

「……だよなぁ」


 至極真っ当な意見に、おれはうめいた。


 ウィットネス。五番目に位置する梟の勇者。


 どちらの立場を取っても、おれの復讐は邪魔される。

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