使命

「悪いが砂糖なんて上等なもんはねぇ。ミルクもねぇ。ティーソーサーなんて――」

「分かった。分かったってば。もう」


 マルセルはカップに口をつけ、うっ、と詰まった。吐き出したいけど見られてるからできない的なアレ。無理やり飲み下す姿にザマーミロとは言わないが、


「……下町の安っぽい茶葉は合わない?」

「違う! ……けどこれ、どこで買ったの? 変なもの入ってない?」

「ねぇよ。古いだけだ。カビが生えるギリギリが美味いんだ。元からカビてるしな」


 マルセルは曖昧な笑みを浮かべた。何を考えているのか手にとるように分かる。

 ――捨てたい。そんなとこだろう。

 おれはソファーに腰を下ろしクソマズイ紅茶を啜った。吐き捨てたくなった。


「で? 原稿、原稿って、なんでマルセルが回収に来るんだよ?」

「……ヘイズに頼まれたから来たの」


 マルセルはため息交じりにソファーの端に腰を下ろした。小脇に新聞を挟んでいた。


「たった三ボツで出てこなくなるとは思わなかった。見てきてくれって」

「三ボツ喰らえば誰でも凹むだろ」

「そう? 私は――入ったばっかりの頃、二十回は書き直したかな」

「……そんなん、書き直してる内に元の文章に戻ってたりしねぇか?」


 マルセルは微笑みながら頷く。


「でもそっちは通るんだから不思議よね。……ヘイズも、デックスのことを心配してるんだと思う。いい加減にいつものエキセントリックな単独記事を出して安心させてあげて」

「エキセントリックぅ? おれはいつでも――」


 ふと、気になった。


「単独記事ってなんだよ? いつもそうだろ?」

「……やっぱりね。呆れた。今週の『網の目』まだ読んでないでしょ」

「……新聞はクロスワードしか読まねぇ……ってこともねぇけど、おれの記事は――」

「あるの。ほら、連名だけどね」


 言って手渡されたのは、『網の目』の三面記事だった。

 長い取材旅行で書き溜められた、マルセルの連載紀行記事『無地の足跡』の最終回だ。


『北の善き魔女 勇者たちが見たものは』


 それが記事のタイトル。ダサイという気はしなかった。

 冒頭はマルセル独特の二行で知識を頭に叩き込んでくるスタイルだ。そして街の紹介、地元料理ズブーキと地酒ベリーベリービリーベリーブルーの紹介となり、圧倒的な情報量に気持ちの良い目眩を覚えたあたりから、本題となる『北の善き魔女』の伝承が始まる。


 叙事から叙情へ緩やかに流れ、北方に伝わる善き魔女のおとぎ話を語るその記事の末尾には、デックス&マルセルと、文責者の名前があった。


「どう? 事後許諾で悪いけ――ど……えっ……?」


 マルセルが少し上擦った声で言った。


「な、何? どうしたの?」


 どうしたもこうしたもない。泣きそうなだけだ。


「……何だろうな?」


 良い質問だとおれは思った。

 おれは、マルセルの記事に気付かされた。

 見たものを語る。それがウィットネスの役目だ。おれは見たものを語ってきた。勇者の嘘を知っているから、勇者なんかじゃないと暴くために。


 身内を殺され、怒りに震え、復讐で目の前を真っ赤に染め、それしか見なくなっていた。だが、それはおれの仕事だったのだろうか。


 たしかに、おれは苦しんだ。凍え、魔獣の影に怯えながら歩き、一日を生き延びるのに必死だった。王都に辿り着いてからというもの、炎天下の石畳に放り出された蚯蚓も同じだった。のたうち、絶望し、怒りと怨恨をぶつける相手を探し、執拗に攻撃しようとしていた。だが、ウィットネスが語るべきは魔女の話ではないのか。

 おれはマルセルの記事に、目を覚ませとぶん殴られたような気分だった。


『見聞きしたものすべて』にはおとぎ話も含まれているはずだ。それなのに、勇者を憎み、聖教会を嫌い、善き魔女のおとぎ話を当然のものとして知っていた、おれは――、


 この世から消されようとしている伝承を、一度も語ってこなかった。


 ウィットネスという役目を継ぐとき、おれは何を誓った?

 全てを見聞きし、全てを語ると誓ったはずだ。

 分かっていたつもりで、まったく理解していなかった。それが情けなくて、悔しくて、なによりもマルセルに気付かされたというのが、キツくて。


「……なんでだろうな?」


 おれは分らないフリをした。


「何が!?」


 なおも追求しようと叫ぶマルセル。その瞬間、

 隣室から壁をぶち抜こうかという爆音が響きわたり、追求の手が縮こまった。


「隣に住んでる数学科のセーガクさんだ。あのガキ頼んだ仕事はほっぽって……あ」


 そうだった。そういえば、彼女はアレだ。

 おれは涙を拭い、愛用の手帳を開き、まっさらなページをマルセルに見せた。


「素晴らしい記事だった。ここの、真ん中あたりに、ちょっとデカめなサインをくれ」

「……はぁ!?」


 怒声とともにマルセルのこめかみに可愛らしい青筋が浮かんだ。嘘だ。わりと怖かった。


「頼むよ。おかげでちょっとやる気が出てきたんだ」

「……まさか私の筆跡を盗んで――」

「違う違う違う。頼むよ。マルセルのおかげだ。感謝と――ちょっとした尊敬だ」

「……まぁいいけど」


 口ではそう言いながら、マルセルは満更でもない顔でサラリとサインを書き付けた。サイズ感はちょうどいいのだが場所が少し低くて、なんとなく収まりが悪い。


「あのさ、この、サインの上のトコに『勉強がんばって』って入れてくんないか?」

「は? 勉強? 勉強って?」

「頼むよ。壁に飾るつもりなんだ」

「壁に? ……ま、まぁいいけど?」


 いったい何が逆鱗に触れたのか、マルセルはほんのり頬を染めてサラサラと書いた。相変わらず、面白みもないが目を瞠るような達筆だった。

 おれはさっそく血返しの短剣でページを切り取り、腰をあげた。


「えーっと……あれだ。メシ食ったか?」

「えっ? 何、突然……? 食べてないけど……」

「忘れたのかよ? 賭けの精算しようぜ?」


 おれとマルセルはハルメニーを出る直前、裏切り者は誰か賭けをしていた。外れを喜ぶ子どもじみた願掛けだ。あのとき、おれはデスクに、マルセルはヘイズに賭けたのだった。

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