霧中
『仮説:もし聖教会の五大勇者が北の善き魔女を殺したのなら。
血返しの短剣をもたぬ勇者サマは仲間を失ったはずだ。
魔女は不滅の存在とされる。殺すには返り血を浴びずにすむ血返しの短剣が必要不可欠。返り血を浴びた者は、魔女の新たな肉体となる。
と、すれば。
ダスキーヒルで隊長が言っていた言葉の意味は。
彼らは七人で出ていき、四人で帰った。
魔女が聖教会の言う魔王を指すのなら、五大勇者は他ふたりを含めた七人のパーティで魔女と対峙し、三人の仲間を失い、そのまま帰還したことになる。
帰ってこなかった三人は誰だ。どうなった。魔女に命を奪われたのだろうか。
もし魔女が殺めたのなら、北の善き魔女の伝説は嘘っぱちってことになる。
おとぎ話のとおりなら、北の善き魔女は向けられた刃を受け入れたはずだ。
しかしそのとき、ピースを欠いた一行はひとりの仲間を失う。もう一度、殺せるか試すのだろうか。試せば、またひとり失う。善き魔女はどうするだろうか。
おそらく、何もしやしない。
聖教会に伝わる予言に反し、仲間を欠いたまま戦った末路だ。聖教会の予言は間違っていたことになる――か、あるいはおれを除く五大勇者以外の誰かが死んだ。
仲間を失った勇者たちはどうするだろう。
過ちを認めて最後のひとりを探すだろうか。無理だ。五人目がいるはずだった村は、自分たちの手で壊滅させた。彼らは来た道を引き返すしかない。
どこから予定が狂った?
王都でカーライルが名乗りを上げたときは、まだ道を違えていなかったはずだ。
しかし、少なくともジョー・マングストを殺したときにはすでに。
凶行に及んでまで進めた魔王討伐が、最後の最後で綻びをきたした。
公式な見解ではないが、もしラナンキュラスが勇者の一行にいたとすればどうだ。
聖教会の思惑が予言を利用した支配領域の拡大にあったのなら、魔王城に達した時点で目的は達成されている。魔王討伐に執念を燃やしていた人物がいるとするなら――』
おれはペンを止めた。
勇者カーライル。初期の行動がはっきりと残るのは奴だけだ。同僚を失いながら王都に迫る魔王軍を撃滅し、予言にある仲間を探す旅に出た。
おれが復讐を望んだように、彼もまた復讐を望んでいたのだろうか。
だとしたら、魔王討伐を果たせぬまま帰るなんて許されない。復讐のために聖教会の指示に従い両手を血で汚してきたというのに、そのせいで魔王を討つ手段を失った。
カーライルと聖教会の間で仲間割れが始まる。たったひとりの反乱――いや、ホーヴォーワクまでは兵役時代の仲間がいた。ひょっとすると、ふたりが反旗を翻し、死んだ。
ジョー・マングストと同じように。
おれの村の人々と同じように。
王都に帰ったラナンキュラスは、死んだカーライルの名を使い、英雄を生んだ――
「……くだらねぇ」
おれは仮説と称した駄文に大きくバツを上書きした。
仮説を持つのは自由だが、憶測は嘘を、嘘はシンジツを呼ぶ。
すべてクソだ。
北の善き魔女の話として語られるウィットネスと、聖教会の語る勇者。ふたつの立場が、ひとりの人間に重なったとき、どう解釈すればいいというのか。
「ほんっと、くだらねぇよ」
おれは安ワインのボトルに口をつけた。頭が赤い液体で満たされたような気分だった。自分の都合を押しつける解釈はクソでしかない。見て、聞いたものだけを語り継ぐ。そこに個人を挟んではならない。生まれたときから腕に刻まれていた梟の刻印を見るたび、おれは考えさせられる。
もし、あのとき、おれが逃げていなければ、村のみんなは死なずにすんだのでは。
第五の勇者として聖教会に伝わる予言を成就させ、英雄になれたのでは。
勇者への復讐心を糧に生き延びたが、断罪されるべきは――。
勇者とは、ウィットネスとは、何物なのか。
口から吐き出した煙が天井近くに滞留している。まるで霧だ。
おれは、ずっと霧の中にいる。
窓の外から馬車の音が聞こえた。車輪の音がアパートの前で停まる。上の退役軍人。ありえない。小気味のいい靴音が廊下を進んでくる。隣で暮らす数学科のセーガク。頼んでた仕事はどうなった。どうでもいい。殺気はないし、靴音に聞き覚えがあった。
分からないのは、来た理由だけ。
「デーックス!! 『網の目』のマルセルよ! さっさと開けて!」
おれはソファーからずり落ちそうになった。ノックの前に大声で名乗るとか正気か。よっこらせっと躰を起こし、おれは足を引きずりながら扉を開けた。
すぐに目に飛び込んできた初見ならびっくりするくらいの美人に、おれは笑いかけた。
「よぉ。なんの用だ?」
「なんの用だ、じゃない! 原稿は――って、臭い!」
マルセルはおれを押しのけて部屋に入ると大急ぎで窓を開けた。滞留していた葉巻の煙が外に流れ出ていく。霧の晴れた沼に咲く花。おれは自分の想像に鼻を鳴らした。
「原稿たって何を出してもボツんなるんだ。やる気がでねぇよ」
「はぁ!? そんなのデックスが悪いだけでしょ!? なんかないの!?」
「キャンキャン吠えんなよ。紅茶で良けりゃ今朝入れたのがあるよ。待ってろ」
「違う! 原稿! だいたいこんな汚い家の台所――で……」
マルセルの声が低くなり、吊り上がっていた眉がへにゃっと歪んだ。
「……なんか、妙に綺麗になってない?」
「妙ってこたーねーだろ。やることねーから掃除してたんだよ」
おれは冷めきった紅茶を貴重な来客用カップに注ぎ、カピカピに乾燥してしまった朝のうちにスライスしたレモンを浮かべ、マルセルに差し出した。
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