裁くのはおれじゃない

「ラナンキュラスか? ホンモノのカーライルか? どっちでもいい。おうちに帰って教えてやんな。おれを殺さないと終わらない。このおれが生きている限り、お前らはシンジツが明らかになる日に怯えなくちゃいけない。お前らが築いた世界が一瞬で崩壊する日をな」


 おれは葉巻をひとつ吹かし、吸い差しをデスクの肩に投げつけた。パッ、と火の粉が散ったが、しかし、顔に感情は戻らなかった。


「間抜けめ。橙色の君ラナンキュラスサマに聞いてみるといい。おれたちボンクラのせいで黒幕が誰か知られちまいましたが、どうされますか? ってな」


 おれは腰を上げた。散々っぱら蹴られた腰が微かに傷んだ。傷の治りが異常なくらいに早いのも生まれつきだ。もしかしたら、勇者と呼ばれる存在は全員そうなのかもしれない。知るには、躰に刃を突き立ててみるしかないが。


「あんたらには、ふたつ選択肢がある。今から出ていくおれに襲いかかって死ぬか、生き延びてホンモノの勇者サマに報告し、間抜けは死ねと殺されるか。好きなほうを選びな」

「で、デックス……」


 うわ言のような調子の呟きに、おれは首を振った。


「なんだよ、我が偉大なるデスク様?」

「……お、俺と一緒に来ないか? 富も、色も、栄誉も、思いのままになる……」

「残念。おれは明日の飯があればいい。女は自分で口説く。それから……栄誉? くだらねぇよ。おれはおれを誇ってる。この世の生はいっときの遊びだ。絶望だって楽しむさ」


 辱めを受けながらくたばるのも楽しい。絶望にのた打つのだって最高だ。それを見ながら嗤っているのも面白く、最後はみんな等しくあの世に還る。

 みんな平等にくたばれ。苦しめた分だけ苦しんで、勝手にくたばりやがれ!

 ただ――扉に手をかけ、おれは振り向く。


「どうせ野垂れ死ぬだろうけどよ。ホンモノの勇者サマに問い詰められたら、おれが言ってたって伝えてくれ。そうしたら、おれだけは弔辞を送ってやるよ」

「……な、なんて……言えば……」


 デスクが途切れ途切れに言った。

 おれは扉を引き開け、廊下を背に恭しく一礼する。


「お前を裁くのはおれじゃない」


 本音を言えば、この手でぶち殺してやりたい。だが、それはダメだ。

 おれはクソったれ勇者サマの真の仲間だ。地獄を見た人々に成り代わるのは許されない。

 勇者と聖教会を殺すのは、大衆でなければ。


 餌を与えて肥え太らせた、鞭で叩いて飼いならしたと思いこんでいる、奴らが作った豚が奴らを殺す。

 嘘に塗れた教えを信じるくらい無能で、偽の英雄を疑わないくらいに思考を放棄した豚どもがシンジツに気づいたとき、怒り狂って奴らを殺す。


 その光景を、おれは語る。

 その日が来るのを一日でも早くするために今日を生きる。

 おれは銃声が聞こえた部屋に入った。マルセルがすばやく拳銃を向けてきた。


「おい、おれも殺すのか?」

「……『おれも』? 私は誰も殺してない」


 見れば、仰るとおり、黒服は虫の息で転がっていた。

 おれは諸手を小さく挙げた。


「さすが。まさに――えーっと、天使。天使の慈悲。銀の拳銃を握った天使様だ」

「……どう受け取ればいいのか分かんないから、そういうの、やめて」


 言って、マルセルは拳銃を下ろした。怒っているのか、目を合わせようとしなかった。

 おれは廊下へどうぞと手を動かしながら言った。


「悪ぃけど、もう少し付き合え。多分、ホーヴォワークから戻ってくる間くらいだ」


 ハルメニーからマルセル名義で送った手紙にはホーヴォワークに戻ると書いてある。ヘイズがそれを信じたのかは知らない。だが、ここにいないのなら判断は保留でいい。


 おれはマルセルを廊下に出し、虫の息の男の始末をつけた。


 あとは地下に潜って、成り行きを見守るだけだ。


  * 


 マルセルの髪から石鹸の匂いが抜け、上品な服に下水道の臭いが染みつき始めた頃、王都から遠く南に下ったある街で、ひとりの男が死んだ。左胸に獅子の刺青をいれ勇者の名を騙っていた詐欺師だったという。

 時を同じくして、王都の水路にデスクの死体が浮かんだ。背中に刺傷があったという。

 どちらも犯人は見つかっていない。永遠に見つからないだろう。

 他は、何も変わらない。


 王都の愛すべき悪党どもの手を借り、日の下に這い出ると、すっかり春になっていた。

 社会部のデスクを欠いた『網の目』は編集体制が入れ替わり、あろうことかダブルスタンダード・ヘイズが社会部に異動し、政治経済は別の者に引き継がれていた。


 本当に何もなかったかのようだ。


 ただ取材旅行が終わっただけ。


 マルセルは、さっそく社会部ヘイズ初の大仕事として原稿を仕上げ始めた。さすがにすべてをあけすけに書くわけにもいかず、苦戦しているらしい。


 おれはといえば、いつもの調子で書き上げた五大勇者の嘘を暴く記事が全ボツとなり、代替案として出した勇者の殺戮記事が全ボツになり、半泣きで提出した社会部デスクのやらかしをあげつらう記事すら全ボツされ、クソ安アパートに引きこもることになった。


 まったく、虚しい。


 デスクもニセカーライルも、今際の際におれの話を語ってくれたりしなかったのだろうか。ホンモノのカーライルも、聖教会の黒蓮共も、襲ってくる兆候すらない。


 襲ってきてくれれば、やり返すという名目でぶち殺せたのに。

 いかに豊かな王都と言えど、金がなければできることは少ない。


 時間ばかりが無為に過ぎ去り、おれの手は記者の本能に従い紙とペンに伸びた。

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