対面

 馬車が止まり、引きずり出された。記憶と想像が正しければ、五歩進んだところにエントランスポーチの階段が――あった。おれはほくそ笑んだ。

 扉が開き、廊下に黒服の足音が響く。内部構造は知らない。分かるのは建物の位置と下水が走っているかどうか。知っているべきなのはそれだけだった。


「お前はこっちだ」


 おれのすぐ後ろで、初めて黒服が喋った。すかさず言った。


「その子に何かしてみろ、死なせて下さいって言うまで嬲ってやる」

「……できると思ってるなら――」

「思う思わないじゃない。やるって言ったんだよ、ボケナス」


 鼻っ面に拳がすっ飛んできた。頭が壁にぶち当たって跳ねた。だが声はあげなかった。もう一発ぶん殴られた。黒服は怒っているようだった。おれの言葉のせいじゃないだろう。おれの故郷で死んだやつが理由だ。バズギー。ペンの強さを思い知らされた男。おれは笑った。呆れるような気配があった。同時に、


「あんたたち、本当に殺されるわよ?」


 マルセルの低い声がし、打音とともに悲鳴があがった。おれは振り向いたが、しかし、脇腹に蹴りを入れられ、折り曲がった躰では殺しにいけなかった。

 おれは小突き回されるようにして廊下の奥へと進んだ。背後の、十歩と少し遠くから、


「デックス! 私は大丈夫だから!」


 と、マルセルの叫ぶような声が聞こえた。全然、大丈夫じゃない声だった。

 また扉の音。押し込まれ、黒頭巾が払われた。光が目に刺さった。橙色の光。それが燭台の蝋燭だと分かり、ソファーに座る人影ふたつに気づいたとき、手前の奴が口を開いた。


「おい、暴れたのか? ひどい顔になっちまってるじゃないか、なぁデックス」

「それでもあんたよりはマシな顔してるだろ?」


 最悪な気分になった。『網の目』社会部のデスクだ。


「魔王城へようこそだな、デックスくん」


 なにが魔王城だ。おれは鼻を鳴らした。聞こえた声に躰から興奮が抜けていく。


「久しぶりだな、カーライル」

「――久しぶり? どこかでお会いしたかな、記憶にはないが」


 月明かりの下で見た顔とよく似ていた。カーライルは当時で三十路だ。(本当にあったかは知らないが)魔王軍との激戦を経て十年、似ている以上の感触は得られない。

 おれはふたりの前のソファーに身を沈めた。


「……会ってるよ。おれが、一方的にな」

「ああ、そういう……多いんだ、そういうのが。英雄になってからは特にね」


 年の割には若い声。勇者サマジョークに、デスクが大笑いした。

 そういうのに敏感なのはダブスタ・ヘイズだけだと思っていたから、おれはちょっとショックだった。ガッカリきていた。悲しくなったと言ってもいい。


「デスクが勇者サマと仲がよろしいとは思わなかったよ、裏切り者め」

「言ってなかっただけだ。雇ってやったのは俺だぞ、恩知らずめ」


 そう。雇ってくれたのに。使ってくれたのに。記者の基本を教えてくれたのに。勇者サマの秘密を暴く記事を書けば、喜んで載せてくれたのに。


「……なんでだ?」

「なんでだと思う?」


 分からない。ほんのひと月前まで自信に溢れ野性味たっぷりに見えていた笑みが、売春宿で説教を繰り返すスケベオヤヂの下卑た笑みにしか見えない。なぜだ。


「――失望したからか?」

「おい、デックス。そんな上品な言葉を知ってたのか?」


 なんだかんだそれなりに尊敬してやっていたおれのデスクは、軽蔑の対象になった。横で、クソカーライルがくつくつ肩を揺らしていた。こいつはこいつで最悪だ。


「いやはや、悪い顔がお似合いでいらっしゃいますよ、勇者サマ」

「おっと。これは失敬。十年も救国の英雄をやってるからかな?」


 クソつまらない勇者ジョークに、デスクがまた爆笑した。クソ茶番だ。おれは今すぐに終わらせてやりたくなった。だが、まだだ。


「いったい、なんでおれはここにいる? なんであんたらと話してる?」

「何を言っとるんだ、デックス。見つけたんだろう?」


 デスクは下卑た笑みを浮かべ、懐から手紙を出した。割印はおれのオリジナル、蜜蝋の封印はハルメニー郵便局。宛先はマッコイ爺さん経由の、社会部デスク行だ。


「ここに書いてあるぞ?」


 デスクは覗き屋の目をして、朗々と読み上げた。


「『第五の勇者が偽物だと証明する確実な証拠を手に入れた。クソったれのダブルスタンダード・ヘイズが聖教会づてに奪おうとしてきてる。おれもマルセルもハメられたんだ。証拠はダスキーヒルの近くに隠す。奴を処理したら連絡をくれ』」

「証拠とやらはまだ持っているのかな?」


 カーライルが戯けるような調子で続けた。

 おれは鼻で息をついた。血が飛沫いた。ツールバッグに手を伸ばすと、入り口の扉を押さえていた男ふたりが半歩前に動き、シガーケースを見せると元の位置に戻った。


「――火がいるかな?」


 言って、カーライルが卓上の燭台を取り、こちらに差し向けた。蝋燭が傾き、溶け落ちた白い雫がテーブルを汚す。おれは卓上の汚れを見つめながら自作の着火装置で火を灯した。煙を吹くと、カーライルが燭台を戻し、デスクが苦笑しながら手を伸ばしてきた。


「俺にも一本めぐんでくれないか? 欲しいならワインも出すぞ?」

「葉巻はこれが最後だし、酒ならさっき飲んだばっかだ」


 酒精による酔と、転移による酔と、馬車酔が、少しずつ冷めてきていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る