お迎え

 観光地図は嘘ばっかりだ。二十分もあれば着きそうに描かれているのに、展望台と称された広場に出たときには汗だくになっていた。

 太陽はとうに最高点を通り過ぎ、落下軌道に入っている。崖際に真っ白に凍りついた落下防止の柵が立ち、大型の双眼望遠鏡が据え付けられていた。生意気にも、台座のところに覗きたければ通貨を入れろと薄く切った穴がある。しかも、


「……一分いくらって……これも聖教会印だよ。ほんとボロい商売してんなぁ」

「ボヤかない。望遠鏡が置いてあるってだけで凄いことじゃない。勇者領の足元だからできることでしょ? 他の街だったら泥棒がもってっちゃう」


 マルセルがいそいそと手袋を外し、ポケットから小銭を出した。


「はいどうぞ。私の奢り。一回だけよ?」

「……ガキかよ、おれは」


 言いつつ、おれは小銭を双眼望遠鏡に入れた。コトン、と中身の詰まってない音がした。


 見渡す限りの大雪原に、生き物のように広がる森。その向こうに流麗や壮大といった言葉とは無縁な切り立った山が待っている。森を進んだカーライルは洞窟を抜け山の中腹に出てたというが、それらしい穴は見当たらない。しかし――、

 

 薄靄の向こうに、城らしき影が見える。


「……あれが魔王城……? なーんか、拍子抜けだわ」


 おれは躰を起こし、マルセルに場所を代わった。

 笑ってしまうほどの大興奮はなかった。マルセルは、まるで目に焼き付けるかのように静かに望遠鏡を覗き続けていた。


 おれはシガーケースから葉巻を抜き、口に咥えた。残り一本。自作着火装置で火を灯し、ベリーベリービリーベリーブルーの栓を開ける。腹立たしいことに、北の善き魔女を揶揄するような醜女の焼印が押されていた。ついでに香りも記憶と違う。


「……これじゃ味の方も期待薄かね……」


 ボトルを傾け、グラスに青い液体を満たす。甘い匂いの奥に微かな苦味。オレンジの皮を齧ったような刺激と葡萄酒より重い酒精。ガキの頃が閃光のように脳裏をよぎった。

 似ているようで、違う味だ。ズブーキも同じ。


「――まずくはねぇけど、残念だわ」

「……一口ちょうだい」


 マルセルが望遠鏡から離れた。コトン、と遮蔽板の降りる小さな音がした。おれはボトルとグラスを足元に置き、中身がこぼれないようにズブーキを半分に切って渡した。

 マルセルはさっそく小さな口でかぶりつき、眉をしかめた。


「……なん……っていうか……」

「微妙だよな。冷めてるからかなーと思ったけど、違うわ。おれが食ってたのは仕留めたばっかの獣肉だったし、卵も入ってなかったかんな。もっと味が濃かった」

「もらっといて悪いんだけど、もぞもぞする」

「変な表現だな、それは」


 おれは笑いながら残りを口に放り込み、グラスに残っていた酒で流し込んだ。喉から腹から熱くなった。しっかりちゃっかり頭の底が痛み始める。


「マルセルも飲んでみるか?」

「私は……一杯だけね」

 顔に出てないだけで、魔王城を見て感動しているのだろう。おれはグラスを渡し、なみなみと注いでやった。マルセルは量に文句をつけることもなく顎をあげ、きゅーっと飲って、


「こっちは好みかも。けっこう飲みやすい」


 ほぅ、と甘苦い息をついた。

 おれは柵の雪を払って背中を預け、来た道を振り返った。勇者領と名付けられ、領主たるカーライルが暮らす城の最も近くにありながら、観光客の姿はひとつもない。

 なのに、複数の気配が近づいてきている。


「……下手な狩人どものお出ましだ。どう歓迎してやろうかね?」

「デックス……大丈夫? 私にできることはある?」

「いくつか。まず、それを全部食っちまった方がいい。あと、このボトル、土産にくれてやるから気付け代わりにもう一杯くらい飲っとけ」

「……真面目に聞いてるんだけど」


 そう言いながら、マルセルは大急ぎでズブーキにかぶりついた。差し出されたグラスに酒を注いでやり、おれは言った。


「大真面目だよ。獣の口は飲み食いのためにあるんだからな。……まぁ、もう一個くらいやって欲しいことがあるとしたら、おれを信じて自分の命を守ることだけ考えてくれ」

「……信じて、かぁ……デックスが信じて、ねぇ……」


 しみじみ言って、マルセルは酒を流し込んだ。


「分かった。信じる。守ってくれるんでしょ?」

「ああ。守る。もう『巻き込まれただけ』じゃすまないからな。最初っから巻き込むつもりでいく。巻き込む以上は死んでも守る。北の善き魔女に誓って」

「……北の善き魔女って、あそこに住んでたと思う?」

「そいつが聞きたくてライターやってるようなもんだよ」


 男が顔を見せた。上背があり、年重のわりにがっしりとした体格。真紅に染め抜かれたギャンベソンの上に勇者領――正式にはカーライル特別領――を示す立ち上がる獅子の紋章を刻んだ鈍色の胸当て。右手に兜、腰に使い込んだ剣。隊長クラスだろうか。


「……けど、思ってたのとは違うのが来たな」


 おれは笑った。

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