ダスキー・ヒル観光案内

 街の入り口で御者と分かれ、おれたちは教えてもらった雑貨屋に向かった。春の気配から逃げるように北上したからか、外気が肌を刺した。危惧していた尾行の気配はない。


 ――が、どことなく居心地が悪い。


 故郷よりもずっと北にあるはずなのに、街並みは王都のそれに近い。ぽつぽつと見かける人影も服装から洗練され、昨日の夜に王都から来たと言われても驚かないだろう。


「……あの、ごめん。持ってもらって」


 すぐ横を歩くマルセルが、申し訳無さそうに言った。マルセルの多すぎる荷物はとうとう肩掛け鞄と革の旅行鞄ひとつにまで減っていたが、重い旅行鞄はおれの手にあった。


「気にすんな。夜までに何もなかったら宿を取ろうや。――あと、ごめんじゃなくてありがとうって言ってくれ。貸しにできるだろ?」

「……ありがとう」


 あっさりと礼を言われ、おれは雪に足をとられかけた。素直になった良かった良かった、なんて喜べるほど子どもではいられない。


「礼を言うならこっち。マルセルのおかげで、もしかしたら、もしかするかもしれない」

「……なにそれ?」


 マルセルが吹き出すように苦笑した。少し緊張がほぐれたらしい。

 教えられた雑貨屋は今にも潰れそうな外観だった。

 置かれている商品にしても、手作りの籠やら、毬やら、鍋敷きやら、出どころ不明の刃物やら、いつから置いてあるのか謎な鎧やら、兜やら、槍やら、カーライルの反り浅い曲剣を模した木剣やら、どこにでもありそうな土産物ばかりだ。おまけに店主が話すエスリン語はおれですら聞き取りが怪しくなるくらいに訛っていた。

 苦労して事情を伝えると、老翁は待っていたとばかりに店の二階から分厚い本を持ってきた。といっても、自分で紐を通した私家版で、タイトルは、


「北の善き魔女……」


 マルセルはハンカチで丁寧に手の汗を拭い、表紙を開いた。

 詰め込まれた文字は、お世辞にも綺麗とは言えない。しかし、味気ない表紙のすぐ次に出てきた目次には、北の善き魔女の伝説の、おれの知らない変形まである。物によっては語られていた地域まで記載された、いわば研究書の一種となっている。


「……すげぇな……」


 その一語に尽きる。おれはマルセルが財布の紐を緩めるより早く値段を聞いていた。

 老翁はニマリと笑い、生意気にも七割がた埋めたカミチョーを閉じ、指を折り曲げた。

 そして。

 宿を探す道すがら、本をしまった鞄を大事そうに抱えるマルセルに、おれは言った。


「……ええと、あれだ。マルセル、悪ぃ……今度ちゃんと出すから……」

「出さなくていいってば。私が買ったんだから。あと『ごめん』じゃないんじゃなかった?」


 内心でクソと叫んだ。礼代わりにプレゼントしようにも手持ちが足らない。おれの反応から足元を見てきたのだろうが、値切り交渉はきっぱり無視だ。それだけならまだしも、書籍の価値をしっかり自覚しているのが最悪だった。同郷人の品性が疑われかねない。


「――侘びってわけじゃねぇけど、せっかく来たんだし魔王城観光でもしてみるか?」

「……魔王城じゃなくて、カーライル城ね。……今は」


 マルセルが小さく鼻を鳴らし、背筋を伸ばした。


「どうやって行くの? 崖を降りるのに一週間、雪原と森を超えるのに一週間、そこから息もままならない山に真っ暗闇の洞窟に……観光馬車はないけど?」

「展望台があるだろ?」


 行って、おれは御者のおっちゃんからもらった観光地図を広げた。少し歩くことになりそうだが、高台から勇者の歩んだ道を見渡せるとある。

 マルセルはきょろきょろと通りを見渡し、鞄の上から拳銃を撫でた。


「……来ないといいけど」

「おれもそう願ってる」


 通りがけの酒場に寄ると地元民の視線が飛んできた。おれはカウンターを叩き、観光客向けのお勧めを頼んだ。ダスキーヒル――というより北方の、懐かしい伝統料理ズブーキと、ガキの頃に見たっきりだったベリーベリービリーベリーブルーという酒が出てきた。


 おれはズブーキをひとつと、ボトルを一本、グラスをひとつもらった。

 ズブーキとは、肉や野菜やゆで卵なんかを、薄く伸ばしたパン生地で包み焼きにする家庭料理だ。具材は地域や家によってまちまち。故郷では酸味の強いジャムを塗っていた。


 ベリーベリービリーベリーブルーは、その名の通り二種のベリーから作った酒を荒っぽく蒸留したのち、ベリーとは名ばかりの臭み消しに使うスパイスを漬け込んだ地酒だ。魔女から教わった薬酒とされ、その青い輝きに命を救われた者は多い。おれはといえば冬の狩りを学んだとき親父になめさせてもらい、ふたりめのお袋にしこたま怒られた。


「……デックス、お酒は飲めないんじゃなかったの?」

「飲めないんじゃなくて、弱いんだよ」


 あらゆる薬剤が効かないおれの躰にも酒と葉巻の煙だけは効能を発揮する。味は好みじゃないし、匂いはつくし、頭痛まで始まるが、なぜかついつい手が伸びた。


「……展望台、人気ねぇのかね?」

「時期が悪いだけでしょ。もうちょっと暖かくなれば人で賑わう……と思う。多分」


 展望台へとつづく緩やかな坂。観光客向けらしき木の手すりには、薄っすらと雪が積もっていた。おれはマルセルに手を差し出したが、首を横に振られた。

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