善き魔女のお膝元
好きの反対は嫌いではない。そういうと、人の言葉を借りなければ口も利けない野暮天が訳知り顔で「無関心だろ?」と聞きかじりを披露する。呑気なもんだ。無知を笑い既知を誇ることにしか関心がないから、言葉の意図を無視していることに気づかない。自ら思考し、真意の理解に努め、言葉の延長を図ろうとする者だけが気づく。
好きの反対は、憧憬という。
好意は対象への反応だ。しかし、憧憬は投影にすぎない。自分の理想が傷つけられないように目を見張り、理想が崩されそうだと感じれば敏感に瞼を落とす。
憧れは、憎悪への助走だ。
「――ただ、好きと憧憬はすげぇ似てっから、よく間違えるんだ、これが」
ハルメニーを離れ、一路、大陸北端に位置する勇者領、旧・魔王城跡直近の街ダスキーヒルに向かう馬ぞりの、たったふたりばかりの荷台で、おれは言った。
「殺したいほど憎いなら憧れ。そいつのことなんか見ちゃいねぇ。あとは幻滅して離れるか殺す。もし憎いところを直して欲しいと思ったなら、好きってことだ」
「……いちおう聞いとく。なんでそうなるの?」
横に座るマルセルは膝に肘をつき目頭を揉んでいた。頭痛でも始まったのだろう。
「――直せと言うのは対話だろ? 喧嘩になったり嫌われたり――思い通りにならないかもしれない。それでも好きでいられるのなら、好きという以外にないだろ」
「……なんかよく分かんないけど、めちゃくちゃムカつく」
「なんだよマルセル、おれに憧れてたのか?」
「……もう一回言ったら殴る」
「なんだよマルセル、おれに憧れてたのか?」
「こっんのぉぉぉぉ……!」
マルセルが拳を握り固めて顔を上げた。おれは歯を見せて笑った。マルセルはそのまま拳を振り上げ、ぶるぶる震わせ、やがて下ろし、おれが口を開くより早く言った。
「殴れば好きってことになるし、殴らなきゃ憧れね……いつもそうやって口説いてるの?」
「すげぇな。気づいたか」
「おかげでね。……でも、ルールを決めてるのはデックスでしょ? 私が本当はどう思ってるか考えないデックスは、私に憧れてることにならない?」
やり返してやったという顔のマルセルに、おれは三度頷いた。
「ああ。憧れてるよ」
え? とマルセルが目を丸くした。頬がほんのり赤くなっている。怒るにしては変なタイミングだし、寒さで赤くなる年でもないし、おれは妙な気分になって歯を見せた。
「マルセルはおれの憧れ。できるもんなら成り代わって豪遊したいもんだ」
「……好きの反対はなんだっけ?」
コツン、とマルセルがおれの頭を小突いた。
乗ったときからずっと黙っていた御者のおっさんが、遠慮がちに笑った。
「いやあ、兄しゃんら、仲がいーんげなー?」
訛りに訛ったエスリン語だった。王都生まれが再現するのは難しいレベル。この一、二週間でこれでもかと郷愁に駆られていたのもあり、おれは訛りを入れて応じた。
「んげろー? アッヅアヅだがー、さっぶいどご行ごがなー思ったげー」
「んおぉ!? なげな兄しゃん、こっづのひどだっだがー?」
脇でマルセルが顔を歪め、御者のおっさんは嬉しそうに言った。
「善げ魔女ザマん話しどったげー、そっがなー思ったげども。よがっだー」
「なーにがよがっだだっげー。そんならもっづ早ぁ言えばよがっげー」
「んんがー。んげなごど言っげも都会のヒドら笑うんだげんもー。嫌んっちゃうげー」
「あー、わがるわがるー。うっづの嫁ざんもそうだっだげー」
「あの………ちょっと、デックス?」
会話をほとんど聞き取れないのか、マルセルは引きつったような愛想笑いだった。
「んがっだがー。んげな、なーんげ嫁ざんどごんな田舎にげぇってぎたっげー」
「んげよぉ! うづの嫁ざん、おれの話ゃ信じでぐれんげ、見せだろー思っだげー」
「――ちょっ……!? デックス……!? 嫁って何……っ!?」
マルセルが小声で怒った。嫁だけは聞き取れたらしい。
おれは宥めるように手を振った。ここらでは『嫁さん』の定義が違うだけだ。
「うっづの嫁さんなー? 勇者サマはぼっつで魔ン王のした、すっごいお人だー言うんげどもなー、おっかしゃげー?」
御者は笑いながら手綱を操り、馬ぞりを丁寧に走らせはじめた。
「おかしゃ、おかしゃ。ぼっつじゃ勇者サマもおっ死ぬげー」
マルセルが両手を小さく横に広げた。
「あの。お話が盛り上がってるところ悪いんだけど、私にも分かるように話して?」
「んん!」
と、おれは咳払いを入れて口調を戻した。
「たいした話じゃねーよ。単に、勇者サマが魔王を倒したってんなら、今の勇者さまは誰なのかって話」
「……は? どういう意味? カーライル様じゃなかったら誰だって言うの?」
「さぁなー? おれだって――」
あのとき、顔を見たわけじゃねぇしさ。おれは言葉を飲み込み、言い直した。
「んげどもー、北の善げ魔女ザマんぼっつで刺したら、勇者ザマもおっ死ぬげー」
「んげなー」
御者は肩越しに安堵の笑みを見せた。
「善げ魔女ザマん刺すーなんげ罰ゃ当たるー。んがら、魔女ザマん刺したんカーライルしゃまじゃないってこっだげども」
「んんが、んんが。んげな、どっづがおっ死んだんだろな?」
「オイラ知っとるげよー」
御者の知ってるに、おれだけでなく、懸命に聞き取っていたマルセルも反応した。
「えっと、五大勇者の誰かが死んだってことですか?」
「んんが。もっづ魔ン王が善げ魔女ザマんげな、刺したの五人目じゃないとおかしゃ。けんどな? オイラん街に勇者ザマら来たっげどぉ、だーれもうっづのクチ喋らんげー」
マルセルが、訳せとばかりにおれを睨んだ。
「……もし魔王が北の善き魔女なら、倒したのは五人目以外にはありえない。でも、おっちゃんの街に勇者サマ一行が来たとき、この訛りで喋ってる奴はいなかった、だとさ」
マルセルは小さく頷き、御者のおっさんに向き直った。
「あの、どうして五人目以外にはありえないんですか?」
「あー兄しゃんの嫁ざん、都会のひとげー? 北の善げ魔女ザマん知らんげ?」
「え、えっと、主人から聞きはしたんですけど――」
「ごすづん!? 兄しゃん、ヒド悪いげなー! もっげらさ――」
「ちげーちげー。うっづの嫁さん、勘違いしどっげー」
ここらの『嫁さん』は『この女友達』くらいの意味だ。一方で、『主人』は第二婦人以降が使う配偶者の呼称となる。おっさんは、マルセルをおれの第二婦人と勘違いしたのだ。
「単にほら、善げ魔女ザマん話ゃ、おれは語れーねっげ、知らんげー……」
馬橇が林を抜けきり、街の姿が見えてきた。
ダスキーヒル――五大勇者が最後に訪れた街、魔王城を直接目にできる唯一の街だ。
「なぁ兄しゃん。もづアレんなら街外れにうづの村の語りがやっとる店あるげ、寄っでっだらどう? 街じゃ善げ魔女ザマん話、みーんな教会ザンが持ってったげー」
困ったように見てくるマルセルに、おれは翻訳した。
「町外れに、おっちゃんの村で北の善き魔女の語り部が開いた店があるから、良かったら寄ってってくれとさ。あと聖教会が街にあった魔女関連のもの持ってったって」
「……ぜひ寄らせて下さい! あの、詳しい場所を教えて頂けますか!?」
話に食いつくマルセルに、おっちゃんが目を細めた。
「よがっだー。都会のひどにも、嫁ざんみたいなひどおるんげなー」
「んんがー、うづの嫁さんは特別。いいごだげー?」
「んげなー。いいごだげー」
「えっと……ありがとう、ございます……?」
何を言われているのか良くわからないらしく、マルセルは曖昧な笑みを浮かべた。
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