狩られる獣
手紙をしたため、割り印を刻み、郵便局で郵送を頼もうとしていたときだった。
「――デックス、ちょっと……」
「あ? なんだよ? 終わったらすぐに出るから――」
「いいから……! ちょっと来て……!」
マルセルの低い声に、おれは郵送手続きを中断し傍に寄った。マルセルの視線は早売新聞の見本紙に向いている。ホーヴォワークより少し南で発行されている日刊紙だ。一面は、
『勇者の親族 バラバラ殺人 物盗りの犯行か』
おれは晴れやかな笑顔を作って『網の目』宛の手紙をキャンセル、他の手続きを続行、件の早売り新聞を購入してひとまず宿に戻った。
記事は、三日前にホーヴォワークで起きた、強盗殺人事件を報じたものだった。
被害者はジョー・マングスト。彼の地にて著名な英雄と同名の親族。王都の大衆紙『網の目』の早売りを定期購読し、配達員が遺体を発見したとある。遺体はバラバラに解体されており、現場は血の海、自宅周辺は数日間の降雪で犯人の痕跡を見つけられず……。
「事件前、街には冬の時期には珍しく観光客が訪れており、観光シーズン前には鳴らないようになっている教会の鐘が鳴ったとの証言あり……完全におれらのことだな」
おれは新聞を折り、ベッドに座るマルセルに投げ渡した。彼女の揺れる瞳が紙面をなぞる。一度、二度、三度……見出しに戻るたびに眉間に刻まれた皺が深くなった。
「なんで……どうして、こんな……」
「――なんで殺したのかって意味か? それとも、なんで私まで犯人に、か?」
驚いたように顔を上げ、マルセルは唇を小刻みに震わせた。
「デックス……? あの……私……」
おれは口を開かなかった。ただ彼女の瞳の奥を見続けた。
こくん、とマルセルの喉が小さく鳴った。
「わ、私じゃない! 私は何もしてない! 信じて!」
「信じない」
言った瞬間、マルセルは凍りついたかのように口を噤んだ。信じろと言うなら先にそっちが信じてくれよ言ってやりたくなり、おれ思わず苦笑した。
「違うよ。前に話したろ。信じるとか、信じないとか、そういうのが一番ヤバいんだ。おれは自分の頭で考えるのを止めない」
「……聞いてない……」
マルセルは泣きそうになっていた。ガキみたいだからやめろ、とは言えない。ヤバいことに巻き込まれたうえ、簡単に人を殺す奴に疑われているのだ。誰だって泣きたくなる。
おれは片手を左右に振りつつ、足を組んだ。
「言ってなかったんなら悪かったよ。けどまぁ、信じちゃいないが疑ってもいねぇさ、そこは誤解しないでくれ」
「う、疑ってない……? でも――」
「そこらに鏡あるか? 自分の顔見てみろ。そんな女の子らしい泣き顔する密偵がいるか。――まぁ、いたら、おれの完敗だけどな。それでも敗北を噛みしめる余裕くらいはあるよ」
落ち着かせるために言ったつもりが、マルセルの顔がサッと強張った。スベったかと思った次の瞬間、彼女は両手をこめかみに押し当て、焦点の合わない視線を足元に下ろした。
「……まさか……そんな、なんで……?」
どうやら、スベったわけじゃないらしい。
「……なんか思い当たんなら今のうちに全部教えてくれ。捕まる前に真犯人を見つけりゃいいだけなんだ。誰に何を仕掛けられてるのか分かれば対処もできる」
「……デックス……私、ヘイズに言われて、あなたのことを報告して――」
「――ヘイズだぁ?」
思わず声が尖った。マルセルは瞳を忙しく動かしながら続けた。
「デックスのやり方を見て学べって。何をやって、どういうことを言ってたか、そこから何を学んだか、できるだけ詳しく報告……私、教会のことを書いた……! 鐘を鳴らしたことも、婦人に会って、デックスだけ話を聞けたって……それから……」
「待て待て待て。おれのことを監視してたって? ヘイズに言われて?」
「ごめん……ごめんなさい……! でも……ヘイズがそんなことするはず――」
「どうかな。ヘイズだぞ? 裏で何やってるか分かりゃしねぇ」
相手によって態度を変える男だ。ある記者への助言が、別の記者には禁忌に変わる。同じ仕事を見て、ベテランには最高と言い、新人にはゴミと言う。
「判断基準がてめぇの評価の上下になってるクソ野郎じゃねぇか」
「ヘイズはそんな人じゃない!」
マルセルは吠えるように言った。
「たしかに、言うことが真逆になることもある。でも相手が違うんだから当然でしょ……? できることが違うんだから、求めるものも違ってくるでしょ……?」
「おれは事実しか見ねぇからな。マルセルがお人好しだってのは分かる。それは好意的解釈だ。仮にも文章を扱ってる奴が言葉足らずでしたで済まされるかよ。生かすも殺すも気分次第の立場にある奴がテキトーに言葉を並べてんじゃねぇって話だ」
今それをマルセルに言って、どうなるというのか。まず自分を見ろ。まさしくテキトーに言葉を並べて何を偉そうにと思うと、おれの唇の片端は勝手に吊り上がった。
「まぁヘイズの人柄はどうでもいいさ。皆様の英雄、救国の勇者サマだって裏じゃバンバカ人を殺してきたんだ。ヘイズを擁護するなら外面以外でやってくれ」
マルセルは両手を膝の間で固く握り合わせ、床の板目を睨んだ。
「……でも、ヘイズが聖教会に報告? なんのため? 婦人を殺す理由は?」
やがて顔をあげたマルセルは、おれの両目を真っ直ぐ見つめて言った。
「私、デックスが何を聞いたのか知らない。だから何を聞いたのか報告できない。もしヘイズや聖教会がデックスの取材内容を知りたかったのなら――」
「――正解だ。死人に口なし。殺しちゃダメだ。それから、もうひとつ」
おれは左の顎を撫でた。
「バズギーは殴る直前、『やっぱりデックスじゃないか』と言った。――マルセル、ヘイズにはどこまで報告した?」
「ハルメニーに行くところまで。行き先は伝えておかないといけないから……でもデックスが故郷に帰ろうとしてるとは書いてない」
奇妙だった。可笑しさと悲しさが胸の内に共存している。そんなことがありうるのかと疑う自分への驚き。その驚きは、信じていたという事実に起因しているから。
「おれの故郷の場所を知ってる人間は少ない。おれと、マルセルとマッコイと……」
「でも採用時に身分証明が――」
「ああ、訂正するよ。『網の目』に出した書類はおれが吐いた貴重な嘘っぱちだ」
「……えっ!?」
「知ってたか? おれとマルセル、同い年なんだぜ?」
ぽかん、と口を半開きにしたマルセルが、こめかみに青筋を浮かばせた。
「同い……年……? デックス! あんた三つもサバ読んでたわけ!?」
「おれとしちゃ人の経歴まで調べてる方にびっくりだけどな」
「なっ、そ、それは……っ!」
失言を指摘され、マルセルが顔を真赤にしながら言い訳を並べ立てた。相変わらず沸点の低い奴だ。しかし、言い方を変えれば情熱的となる。
おれはシガーケースを開いた。残り三本。火をつけ、ペンをインク壺に浸す。
「……手紙を書くの? どうする気?」
「罠を張るのが狩りの基本だ。そんじゃ、狩人にとって一番おっかない獲物は何をする?」
「……罠を見破る?」
「惜しいな」
おれは笑った。
「自ら罠にかかって狩人を誘う」
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