マルセル

「――マルセル、墓地で見た数列、書き出せるか?」

「えっ……いま? えと……ここで?」

「書き出せるならすぐにやってくれ。おれはおれでやらなきゃいけないことがある」

「……やらなきゃいけないこと?」

「記事の草案。あと手紙。――ってことで、頼むわ。終わったら仮眠とってくれ」

「なんで……とか言ってる場合じゃないか……あの村の跡地のこと、自警団に報告しないといけないし……って、ハルメニーだと、どこに出せばいいんだっけ?」


 ぶつぶつ言いつつ、マルセルは淀みなく数列を書き出し始めた。悩む素振りすらない。ほとんど化け物――と言いたいところだが、見た目と幽霊なんぞを怖がるところと、自警団に報告しようとか考えてる人の良さは、お嬢さん丸出しだ。


 化け物というより、世間ずれしてない天才。王都のアパート、おれの部屋の隣に住んでる数学科の学生と同じ人種だ。

 おれは速記で記事の草案を作りつつ、世間の風の冷たさを教えてやろうと思った。


「この辺りは今じゃ勇者領だろうけどな……報告して、おれの首を落としたいか?」


 勇者領とは、戦後カーライルに下賜された魔王城の跡地を中心とする領地のことだ。広大な土地にひとりの領主、しかも平時はどこにいるのか分からない。勇者領とは名ばかりで実情は王都の行政区分を増やしたにすぎない……はずだ。

 マルセルのペンがピタリと止まり、しばらくしてまた走り出した。


「……カーライル様は聖教会の内情を知らないって可能性は……」

「ない」


 断言できる。


「マルセル、自分の記事を思い出せ。まぁもう一ヶ月くらい前の記事だけどよ。……聖教会の広報官は、いまどなたがやってなさるかね?」

「……橙色の君、ラナンキュラス・ファビアーニ様……そっか、デックスの記事だと――」

「おれの記事も全部覚えてんのか? ご苦労だねぇ」


 マルセルの言葉を引き取り、おれは苦笑した。ラナンキュラス司教は五大勇者のうちのひとり――とおれは考えている。証拠はない。記事にするなら疑惑止まりだ。


「……うん。デックスの記事は全部読んだし、覚えてる」


 まるで酒に酔った女のような声音に、おれはペンを滑らせた。紙を替えるのももったいないので二重傍線で消し、正しい線を書き込む。


「私、デックスの記事が嫌いだったから」

「……嫌いなもんを読み漁るとかどうかしてるだろ」

「ほんとにね。でも、信じてるものを否定されたら誰だって怒るでしょ?」

「それがどうして『網の目』に来ることになったんだよ」


 おれは草案を書き終え、写しを作り始めた。最低でも三通いる。ひとつは自宅、ひとつは『網の目』の社会部、もう一部は秘密の場所だ。

 ――万が一を想定するなら、四通目をどこかに隠しておくべきなのだろうか。


「言い返してやろうと思って調べれば調べるほど、もしかしてって思った。聖教会は、勇者カーライルはそんな人じゃないって……やればやるほどデックスの文章に似てきた」

「いやいや、似てねーって。勇者絡みじゃなきゃマルセルの記事の方がすげーよ」

「……私ね? ホーヴォワークで言われて、数えてみたの」

「なにを」

「主観的な表現の数、推定と断定の使用頻度、それから形容詞の数。もちろんカーライル様や聖教会の記事に限定したし、数え間違えもあるかもしれないけど――どうしたの?」

「……なんでもねぇ」


 また、ペンが滑った。努力か、狂気か。感心を通り越して、おれは呆れた。


「結論からいえば、私の記事は必死すぎだし、デックスの記事はふざけすぎ」


 マルセルは苦笑しつつ万年筆にキャップをし、数字が書き込まれた紙に息を当てた。


「……おれの記事はいつだってマジメだよ」

「うん。軽くて、撚てて、バカみたいなことを書いて――でも、嘘はない。私のは逆。重苦しくて、丁寧で、頭が固いって言われても仕方なくて……主観を押し付けようとしてる」

「……やったな。気づいたんならあとは直すだけだ」

「ありがと。――はいコレ」


 マルセルが数列の書き込まれた紙を寄越した。字体から文字の間隔まで写した神業だ。


「すげーな……上手いこと言おうとすると薄っぺらくなっから、こう言っとくよ」

 おれはマルセルと視線を絡めて言った。

「ありがとう」

「…………えっ!?」


 マルセルはたっぷり間を取り、顔を赤らめた。


「なんだよ? 怒るな。礼を言ってんだから」

「えっ、あっ……って、お、怒ってない! だってまさか、その……」

「とりあえずちょっと寝とけ。こっちはもう少しかかる」

「あの――」

「寝とけ。じゃねーと今のは撤回する」

「……分かった。けど、ひとつだけ。多分それ、通し番号が入ってると思う」

「……あん? なんだって?」


 マルセルは自慢げに鼻を鳴らし、数列に指を滑らせた。


「ほら、一行目の一文字目が一で、数桁を挟んで二、次は、ここで三……ちっちゃな空白のすぐあとは数字が一個ずつ規則的に増えてるでしょ? だから、通し番号かなって」

「……もう一回だけ言っといてやるよ。ありがとう、もう寝とけ」


 マルセルは鋭く息をつき、何もするなと念押ししながらベッドに横たわった。するわけない。足手まといだと思っていたが、おかげで面白いことが分かるかもしれない。勇者サマや聖教会について考えているときには珍しく、おれは楽しくなってきていた。


 もっとも、その楽しさもすぐに途切れたが――。

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