墓荒らし直し

 昔話のオチはいつでも投げっぱなしだ。親父や嗄声の語るヴァージョンでは魔女の最期は語られない。まして嗄声のはウィットネスがその後どうしたのかという話もない。完全な尻切れで、なにがどうめでたいのか分かりゃしない。


「――ま、口伝のおとぎ話を幽霊から聞けたってのは貴重な体験だった、そう思えよ」


 おれの言い分に、マルセルは腕組みをして首を傾げた。


「それはそうかもしれないけど……」


 なんにせよ、おれからすれば脇腹を解放してくれただけで嬉しかった。

 嗄声は不満そうに言った。


「おとぎ話じゃないと言っとろーに。最近の若いのはまったく……」

「んなこと言われてもな。証拠もねーんじゃ昨今は何も言えねーのよ。残念でした、だ」

「証拠ならあるだろーに」

「……は?」


 おれとマルセルの声が揃った。珍しいことだ。


「そうそう、そんな顔を見たかったんじゃ」


 嗄声は嬉しそうに言った。


「向こうへ帰れるように、頼んだぞ。若きウィットネス」


 おれとマルセルはどちらともなく頷きあい、気配の方へ向き直った。瞬間。

 葉巻の煙が空中の一点に凝縮し、


「――どぅっっわ!?」


 竜巻めいた突風が別れの部屋に吹き荒れた。部屋中の埃が舞い、重い机がおもちゃのようにひっくり返る。ようやく収まったとき、気配はすでに失せ、


「……デックス……これ……」

「……あ?」


 乾いた血液を思い起こさせる赤黒い文字が、背後の壁面にびっしりと並んでいた。めちゃくちゃに長い数列だ。

 そう認識した瞬間、マルセルの豪腕がおれの左脇腹に絡まった。

 おれとマルセルの悲鳴が重なった。珍しいことだ。


 それから。


 もう十分だろうと外に出てみると、世界は青みがかっていた。未だ冷気が肌を突き刺すようだが、日が昇るのを待っていたら追手をかけられていたら身動きが取れなくなる。


 おれたちは墓地の上に回った。幽霊との約束を果たさなければならない。

 問題は、石でできた墓標をどう倒すかだが――、


「……ねぇ、ほんとにやるの?」

「やるよ。約束したからな。それこそ破ったら祟られそうじゃねぇか」


 聖教会を信じてきたマルセルにしてみれば墓標を倒すなんてとんでもないことだ。

 しかし、おれに言わせれば地元民の怒りをぶつけるだけにすぎない。


「……いや、今まで幽霊を怖いと思ったことはねえんだが、恐ろしいな。見ろよコレ」


 おれは説得のためにシャツをまくり、脇腹にくっきりと残る赤い腕の跡を見せつけた。

 マルセルは背中を丸めてそっぽを向いた。


「それは……! だから……ご、ご、ご……」


 マルセルは顔をこちらに向けると同時に大声で叫んだ。


「ご、ごめんって言ったじゃない!」


 声に応じて馬が嘶きながら首を縦に振り、おれはめまいを覚えた。


「……いいから、やってくれ。さっさとハルメニーに戻って荷物回収しねぇと」

「……わかった」


 素っ気ない一言だったが、おれの目はマルセルの耳が赤くなったままなのを見逃さない。これだけのことをしといて怒ったままとか、たいした根性をしてると思った。


 おれは墓地の入り口を封鎖していた鎖を墓標の天辺に回し、馬の胸元にひっかけた。続いて風化した台座の根本から少し上――マルセル曰く花弁を模す構造上、最も弱くなる場所――に拳銃用の火薬を盛る。あとは着火し、馬で引くだけ。


「んじゃ、行くぞー?」


 おれは葉巻の吸い差しに火をつけ、火薬の固まりに投げつけた。

 雪を散らす破裂音が鳴り響き、馬が嘶きながら走り出す。赤錆びた鎖が目いっぱいに張り詰め――破断すると同時に墓標が倒れた。衝撃と風で足元の雪が散った。

 墓地に立ち込めていた重い空気が少し晴れた気がし、おれは鼻を鳴らした。


「なんかちょっと、いい感じになったろ。どうよ、マルセル?」

「……言いたくない。言いたくないけど……なんかちょっと、いい事したような気がする」

「聖教会の信徒からすりゃ複雑だわな」


 おれは苦笑し、切れた鎖をどうやって墓地の入り口にかけ直すか思案した。切れた位置が悪く、掛けていた鎖が自然に解けたように仕込むのには苦労させられた。


 おれたちは朝日を背負ってハルメニーのすぐ傍まで戻り、馬を野山に放した。足がつかないようにするための処置だが、個人的には気が引けた。飼われていた馬が人なしに生きるのは難しい。馬が生きづらさに気づいて街に戻ってくれるのを祈るばかりだ。


 昨晩、雪が降ったからか、街には朝もやが立っていた。宿に戻ると、主人にいやらしい笑みを向けられた。ひと晩かけての痴話喧嘩とでも思われたのだろう。


 そのクソ腹立たしい笑みに、おれは安堵の息をついた。


 宿の主人は何も知らないと証明されたようなものだ。残るはマルセルにかけるべき疑念がひとつ。故郷にいた黒蓮の刺青集団を呼びせたのは彼女なのかどうか。捕まったときの様子や連中の死に様を見てのマジビビリ、もし演技なら名女優だが――、

 マルセルは部屋に入るなり魂まで抜け出てしまいそうな息をついていた。


 こういうときは直感に従うのが、おれの流儀だ。


 マルセルはシロ。


 おれは、そう決めた。

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