昔話
幽霊はいつもそうだ。現世で得られる刺激的な感情がない。いつもふざけてる。自然と、おれの口はキツくなる。
「掟っつーか、おとぎ話だろ? 北の善き魔女とかいう胡散臭い話の」
「なんじゃと? 若きウィットネスよ、さてはイニシエーションを受け取らんな?」
「なんだよ若きウィットネスって。テキトーなこと言ってんじゃねぇよ。バカバカしい。儀式ならやった。じゃねぇと短剣もたせてもらえねーだろが」
「新しいウィットネスは口が悪いの。気も立っとるし。いかんぞ? 覚えとるか――?」
「はいはいはい、覚えてますよ。このワタクシ、デックスは、肉体を森に返すその日まで北の善き魔女の教えに従い、すべてを見届け、すべてを語ることを誓います」
おれと嗄声がやり合う横で、あの、とマルセルが手をあげた。
「その、北の善き魔女って、なんです?」
「……おれに聞いてんの? それとも爺さん?」
「どっちにも……? しょ、しょうがないじゃない! 私その話を知らないんだから!」
「おとぎ話じゃなくて、予言じゃよー、お嬢ちゃん」
葉巻から立ち上る紫煙が、すう、と闇に吸い寄せられた。嗄声が息を吸い込んだのだ。
最悪といってもいい。
クソ長いおとぎ話が始まる。
北の善き魔女のおとぎ話――それは村の子どもを黙らせたり寝かしつけるための共有財産で、血湧き肉躍る話から胸あたたまる人情モノに眠気マシマシ教訓話と、ひとたび始まれば三夜続けて一話が終わらないことすらある、このクソ長いセンテンスのような話だ。
嗄声は、その大長編ストーリーを善き魔女の生まれから語ろうとした。第一話だ。
まともに聞いていれば、ジジババの健忘による長過ぎるあらすじと子どもたちのあやふやな記憶が混ざり違う話が始まり、本筋を語り終えるまで丸一年はかかる。さすがにそんなものを聞いてられないので、おれは予言の話だけにしてくれと伝えた。
――それでも、一晩が明けるのだから。
北の善き魔女というのは、大陸の北端に住むとされる魔女のことだ。
不滅の魔女は、この世のすべてを見通す目をもち、この世のすべてを動かす力を持つ。しかし、その力で成すことといえば、大半が子供の悪戯レベルでしかない。呼び名に冠された『善き』の意味も聖教会とはだいぶ違う。
魔女の善性とは世界に(大きな影響を及ぼす)干渉はしないという意味でしかない。たとえばウィットネスが『動物たちの争いをやめさせたい』と相談に行けば、善き魔女は『いずれ収まる』と言うだけだ。そのうえ、こう言い添える。
『ウィットネスたるもの、強き弱きを決めてはならない』
力で優る獣は数に少なく、数に優る獣は力に欠ける。狩る側は孤独を味わい、狩られる側は絶望を味わう。それもまた唯一無二の美味である。
善き魔女は言う。
『どうしても争いを止めたければ止めればいい。だが、誰かは必ず苦しむ』
痛みも苦しみも悲しみも、逆に位置する気持ちも、すべては現世にいる一時だけ味わえる稀有なもの。害するもよし、守るもよし、生きたいように生きればいい。
魔女の言葉に怒るウィットネスは、しかし、つづく魔女の言葉に絆される。
『ただ、ウィットネスが私と同じように生きてくれたら、私は嬉しい』
そんな善き魔女が世界に大きく干渉するのが、予言の話だ。
「――あるとき、善き魔女はウィットネスを呼びつけ自らの運命を語るのじゃ」
嗄声の古めかしい言葉遣いが、枕元で語られるおとぎ話を、神話に変える。
善き魔女は人に殺されるのだという。それだけなら別にいいのだが(!)、人は善き魔女を殺した後、存在から失き者に変えてしまう。
「善き魔女はウィットネスに望む。『私の死を見届け、私の死を語ってほしい』と」
そこからの展開はいくつかのヴァリエーションがある。
村の子どもが好み老人たちが語ってきたのは、魔女に惚れていたウィットネスが悪人たちと戦いふたりで姿を消すというもの。いまのウィットネスはふたりの末裔とする。
嗄れ声が語ったのは、親父がおれに伝えた話だった。
「ウィットネスは善き魔女に答えた。『必ず。たとえ私が至らずとも、新たなウィットネスが、必ず見たものを伝え残します』」
新たな葉巻に火を灯しながら横を見ると、マルセルは村の子どものように真剣に聞き入っていた。おそらく、聖教会に伝わる勇者の予言と似ているからだろう。
北端の山奥に住む善き魔女とは、聖教会が言うところの魔王だ。
善き魔女は争いを肯定し、聖教会は争いを否定する。
争いを否定したその口で争う理由を叫ぶのだからとんだダブルスタンダードだが、善き魔女の目線に照らせば世の獣そのものとなる。
そしてどちらの話にも、予言として勇者の存在がある。
聖教会の勇者は五人で、魔王を殺す。
善き魔女に出てくる勇者はウィットネスひとりで、自らの手では誰も殺さない。
くだらない。どんな土地にも似たような話があるというだけだ。
だが、見聞きしたものすべてを覚えていられると自負するマルセルの、真剣に聞こうとしている姿に、おれはくさしてやろうという気にならなかった。
「――めでたし、めでたし……どうじゃったかのー」
嗄声から真剣味が抜け、ほけっとした声質に変わった。
さて感想を聞こうかと隣を覗くと、マルセルはエラい奇妙な顔をしていた。
「……めでたし……なんですか……?」
ワカルー。と、おれはいつぞやのマルセルと同じ言葉を呟いていた。
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