二百年物のジョーク

 手元が明るくなったというのに、マルセルの手がさらに力を籠めた。正直、痛いから離してくれと泣き言をいいたくなった。


「な、何ぃ……? なんなのよぉ……いったい誰が……」

「誰がって、だから幽霊だっての」

「ちょっと……ちょっと、ほんと、やめてよぉ……」

「やめてもなにも幽霊なんだからしょうがねぇだろ――なぁ?」


 おれが虚空に言葉を投げると、先程も聞こえた嗄れ声が耳の奥に滑り込んできた。


「幽霊って言い方は気に入らんのう、若いの」

「ひっ……!」


 おれの躰の内側で、ブチッ、と何かが千切れるような音がし、じわりと温かくなった。


「……そんな怖がるなよ。おれの祖先かもしれねぇんだぞ?」

「だったら幽霊なんて言い方はやめてもらいたいんだがの」


 しつこく言いつづける低い声に、おれは油汗をかきながら答えた。


「もう死んでんだから細かいことに拘んなよ。穢れちまうぞ?」

「若いのは若いので怖がらなすぎだのー」

「自分の爺さんだか婆さんだかにビビる方がおかしいだろ」


 おれは無理矢理に口角を吊り、マルセルに言った。


「さっきのメガネ、あれ掛けてみ? 多分、見えるぞ」

「へっ!? えっ!?」


 ふいに痛みが消え、むしろなにやら気持ちよくなってきた。息苦しさは変わらない。


「……おれはもう見えねぇけどさ。オウルグラスを掛ければ多分いける。おれの村の言い伝えなんだ。フクロウはいつでも死者を見てるし、猫はたまに見てる」

「えっ……え……?」

「犬は見える奴と見えない奴がいてな。野生に近い奴ほどみえるんだとかで……」

「何を言っとるんだ若いの。気合を入れれば誰にでも見えるぞ」


 ……気合? 


 おれの感情は限りなく平らに近づいた。まるで水面だ。真っ暗な別れの部屋はよく冷えた静寂に満たされ、脇腹を圧潰させようとしていた腕から力が抜けた。


「……デックス、見えてないからって声真似とかしてない?」

「してない。古代語が混じってっから二百年モノのジョークなんじゃねぇか?」

「……デックスのご先祖サマって二百年も前からいるわけ?」

「誰だってそうじゃろう。失礼だのー。ジョークとやらじゃないぞ。本当じゃ」


 嗄声との噛み合わなさに、おれは納得の息をついた。


「分かったぞ、マルセル。語彙が違うんだ」

「……はっ?」

「多分、爺さんの言ってる気合ってのは今で言う魔法を使うための何かだ」


 おれのすぐ横と、目の前で、ほへーっと感心したかのような気配があった。

 幽霊と会話するのは二度目だが、おかげで長年の疑問のひとつが解決した。

 なぜ、曾祖父さんの大叔父とやらが、狩りを学び始めたと話す遠い孫に、対人戦なんぞを叩き込んできたのか。

 語彙が違ったからだ。

 彼が生きていた頃の『狩り』は、対象として人間も含んでいたのだろう。そして、まだ幼い子どもまで狩りに出されていると知り、親心のつもりで教え込んだ――


「……少しは世界情勢について学べないのかよ」

「おお……世界……何……? なんか分からんが無茶をいうのー、若いの」


 分かってんだか分かってないんだか判然としない回答に、おれは葉巻の煙を吹きかけた。淡い光の中で煙が人型の何かを避けるように散った。


「――ちょっとデックス、ご先祖様に失礼でしょ?」

「おおっ……いい事いうのー、お嬢さん」

「……なんでマルセルが幽霊の肩をもつんだよ。幽霊は香が好きなもんだろ?」

「葉巻の煙はお香とは違うでしょうが」


 普通に会話できることで落ち着いてきたのか、マルセルの声に張りが戻ってきた。腕はおれの脇腹にしっかりと巻き付いたままだったが。


「別になんでもいい気がすっけどな……」


 いつまでもしがみついてるならと、マルセルの腰に腕を回したい欲求に駆られた。いやダメだ。マルセルはそういうんじゃない。生きる世界が違う。というか、そんなことより、


「そういや、なんで爺さんはここにいるんだ? まだ帰霊祭はずっと先だろ?」


 帰霊祭――あの世とかいう平和な世界に飽き飽きした幽霊たちが、危なっかしくて刺激的な現世に日帰り旅行をしにくる。深夜から始まる帰霊祭の間だけ朝から晩まで村中で変なことが起こるのが恒例だった。目を閉じればその場にいるかのように思い出せる――


 奇祭。


 妙ちくりんな音楽、頭の悪い踊り、変なものを食って、ヤバそうなものを飲む。一週間が一瞬で過ぎ去る濃密すぎる時間。二度と開かれないと思うと残念でならない。


「それがのー、だーれも迎えにこんし、外にも出れんし、帰れもせんし、困っとってのー」

「それって――まさか、上の?」


 マルセルが天井を見上げた。聖教会が建てた墓標じみた何か。ありうる話だ。

 おれは危うく葉巻の吸口を噛み潰しそうになった。


「……帰るときになんとかしてってやるよ。おれもアレには腹が立ったし」

「おお……若いの。助かるのー……じゃが手荒なことはするなよ?」


 マルセルの顔色でも窺ったのか、嗄声が呑気につぶやいた。まるで宥められているような気がし、おれは頭を掻いた。


「先に仕掛けてきたのは向こうだよ。それにおれは――こいつを持ってるんでね」


 血返しの短剣を引き抜くと、嗄声の主が息を飲むような気配があった。


「なんじゃ若いの、お主ウィットネスか」

「――ウィットネス?」


 マルセルの質問に、嗄声が厳かに答えた。


「血返しの短剣を持つ者は、すべてを見届け、すべてを語らなければならない」


 しかし、厳かだったのはそこまでで、


「掟だのー」


 椅子から転げ落ちそうなくらい軽い口調だった。

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