ざまあみろ

 おれはテーブルを回り込み、シガーケースを開いた。一本咥え火を点す。ツールバッグを腰に吊るし、インク壺と鋼鉄ペン、手帳をしまった。

 マルセルが、おれをじっと見つめながら、昔を懐かしむように口を開いた。


「……私、勉強は家庭教師に習ったんだけど、聖教会の教えだけは教会で受けてたの。そのときに同じくらいの年の子たちからデックスが好きそうな話を教えてもらった」

「……へぇ? どんな話だ?」

「聖教会の真っ黒な噂。あの頃は下らない――不敬な話だと思ってた。」


 憶測どころか、妄人の陰謀論にちかい話だった。

 聖教会には、殉教を誓い異教徒を狩る信徒がいる。彼らは泥すなわち市井に潜み、咲き誇る日を待つ。いずれ命が下ると、彼らは命を賭して反逆者を討つ。世間の目から見れば汚泥に塗れた人生だが、聖教会の目で見れば穢に塗れてなお穢れない魂となる――


「子供の頃はバカみたいな話だと思った。大人になって、少しだけ疑った。それから」


 マルセルはおれの目を見て言った。


「デックスの記事を読んでから、もしかしたらって思うようになった」

「……おれの記事?」

「デックスがデビューしたての頃の、『王都に潜む知られざる殺人鬼!』。覚えてない?」

「……最初のうちは見出しのセンスが最悪だったのは思い出したよ」


 ふっ、とマルセルが鼻を鳴らした。

 王都で起きた古い殺人事件をまとめた記事だという。幽霊を見たとか、竜が空を飛んでいるのを見たとか、その手の記事に文体を寄せたヨタ話――しかし、聖教会の噂話を知っていたマルセルにとっては衝撃的だった。


「記事のなかに、黒い花の刺青が出てきた。それで忘れかけてた子どもの頃の話を思い出しちゃって、どうしても気になってネタ元にしてる話を探そうとしたの。デックスの記事を参考にして調べたらすぐに欲しい情報が見つかって……驚いたな……」

「嘘を吐かないのと正確さがウリなんでね」

「ホントにね。殺された娼婦の共通点は勇者様がらみの雑な解釈だったけど……」

「……足首の花か」

「そう。被害者の共通点は表に出てこない何か。加害者の共通点は花の刺青。事件の起きた場所や日付はバラバラだし、手に入った当時の証言をみても同一犯とは思えない。だから他のしょうもない記事に上手く紛れてた。でも、もしかして――って、ゾッとした」

「ゾっとするなら今だろ。ガキの頃の謎がひとつ解けたんだ」

「……信じらんない、って感じかな……」

「目の前にあるものすら信じられないか?」


 おれはため息をついた。実家の床に知らない奴らの死体がある。最悪だ。片付けていきたいところだが、まだ連絡役や仲間がいるかもしれない。


「――ま、おれも信じられないよ」


 マルセル、お前のことが。おれは探りを入れるつもりで目を向けたが、彼女は難しい顔をして刺青を見続けるばかりだった。


「マルセル、ここまでどうやって来た? 地図には載ってなかったろ?」

「道も途中で切れてた。でも、だいたいの場所は検討がついてたから。――私はほら、カーライル様のマニアだからね」


 言って弱々しく微笑んだかと思うと、マルセルはすぐに両目を固く瞑り口元を押さえた。


「……デックスのことだから朝の内に出ると思った。ずっと窓から見張って――」

「ここまでは馬ぞりか?」


 マルセルは首を横に降った。


「途中で降りた?」


 マルセルは首を縦に振った。顔色が悪くなっていた。演技ならレベル高すぎだ。


「……一旦、外に出よう。寒ぃだろうけど死体の前でする話じゃねぇや」


 おれは疑いたくないと思っている自分に驚いた。一ヶ月を共に過ごし情が湧いたのだろうか。だったら最悪だ。必死になって世話した家畜を締める感触。思い出したくもない。

 戸外に出ると、雪積もる村は、月明かりで青黒くなっていた。

 マルセルの呻くような声を背中で聞きつつ、おれは首を振った。白っぽいため息がでた。


「……すっかり忘れてたわ」


 最後に仕留めた奴は半ば雪に埋もれていた。足首の辺りが月明かりを吸い込み黒く染まっている。腱を切ったときから一歩も動いていない証拠だ。

 期待薄と知りつつ見てみたが、やはり事切れていた。涙と鼻水で汚れた顔に青黒い血管を浮かせ、歯を食いしばっている。


「死因は背中の矢傷による出血……じゃねぇな。毒でも飲んだか。意外と根性あったな」

「なんでこんな暗いのに分か……うっ」


 ドスン、と膝をつく音に慌てて振り向くと、マルセルがえずいていた。胃の中はとうに空っぽになってるはずだ。出てくるものは胃液くらいだろう。

 おれは背中を撫でてやりつつ、ツールバッグを探った。


「言ったろ? おれはこの村の生まれなの。さっきの家はおれの家。親父は狩人、長男のおれも狩人。月が出てれば歩けるんだよ」

「……背中さするの、やめて……また吐きそ……てか狩人なのは聞いていない……」

「そっちは言ってなかったかもな。ほら、貸してやるよ、デックス様の七つ道具だ」


 言って、おれは硬革のメガネケースを差し出した。


「オウルグラス。光を増幅して暗闇の中でも昼間みたいに見えるようになる」

「……ちょっと待って。それ、めちゃくちゃすごい魔具じゃないの? あの、わけわかんない短剣といい、なんでそんなの持ってるわけ……?」

「そりゃあれだ。ひとりしか生き残らなかった村の、ふたり目の生き残りだからな」


 おれはマルセルを抱き起こした。すぐに突っぱねられた。マルセルは訝しげにオウルグラスを掛け、呆けたように口を開いた。


「すっご……何コレ……デックス、あんた……もしかして勇者だったりするの?」

「よせよ気持ち悪ぃ。あんな大量殺人者と一緒にすんな」

「大量殺人者って……ねぇ、もしかして」

「んなことより、馬、乗れるか? ……おれ、馬に乗れねぇんだわ」

「……は?」


 ひゅぅ、と身も凍りつくような風が吹き抜けた。固まりたくなるのはよく分かる。おれだって不思議だ。

 だが、酔ってしまうものは仕方がない。


「な? 馬に酔っ払う勇者なんていねぇだろ?」


 マルセルは肩を落とし、苦笑した。


「たしかに……でも、人間っぽくてちょっと安心したかも」

「そうかい。そりゃ良かった。できりゃ馬ぞりがいいんだが……あっかな?」

「鞍がついてる馬なら連れてこられるときに見た。こっち」


 おれはマルセルの後ろについて行った。敵の気配はなし、生き物の気配もなし。口が裂けても安全とはいい難いが、村の現況は分かった。


 勇者カーライルサマにとって、おれの故郷は死んでも隠し通したい場所らしい。


 ついでにもうひとつ。


 いよいよ、おれの存在がうざったくなったと見える。


 ざまーみやがれ、だ。

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