ボギーのもてなし

 はっ、はっ、とマルセルが強く浅い呼吸を繰り返していた。


「手で口塞いで、鼻で息しな。最初はちょっと苦しくなるけどよ、すぐ落ち着いてくる」


 マルセルが首肯するのとほとんど同時に、廊下を進んでくる足音があった。


「――ちょっと待ってろ。動くなよ?」


 言って、おれは扉の横に駆け寄った。廊下の足音は四人、ふたりが扉の両脇を固めた。当然残りが突入してくるはず。だが入り口は狭い。ひとりずつだ。


 扉が開いた。


 男がひとり突入してくるのを見計らい、おれは思い切り扉を押し込んだ。打音。廊下側に転がっていく気配があった。部屋の中に取り残された男が振り向く――その前に、


 おれは男の脇腹を薙いだ。飛沫いた鮮血がおれの躰に触れる直前、放射状に散った。百年以上前から我が家に伝わる家宝、愛用の短剣、血返しの短剣の力だ。


 血返しの短剣は所持者を穢れた返り血から守る。

 穢を防ぎ、その刃を受けた者を地に返す。


 おれは血返しの短剣を逆手に持ち替え、その場で旋回、男の悲鳴が上がるよりも早くうなじにの刃を突き立てた。短剣を捻り抜きながら扉を開けると、ひとりは壁を背にして尻もちをつき、その両脇にふたりがしゃがみ込んでいた。助け起こそうとしたのなら、


「クソバカだな」


 おれは全速で廊下に飛び出、壁を背にする男の喉笛を、壁をぶち抜くつもりで踏み抜いた。同時に短剣で右脇の男のこめかみを貫く。右手と右足、どちらにも手応えがあった。

 残すはひとり。

 左の男。死にゆく仲間に目もくれず剣を抜き放った。真っ暗な廊下に白刃が閃く。おれはすんでのところでしゃがんで躱した。男はわざとに剣を振り抜き、手首を返した。振り上げるつもり――だろうが、


 シュゥッ! と、鋭く息を吸った。


 息を吸うのは止めるため。止めるのは力を溜めるため。そして力を溜めれば放つ前に動きが止まる。それが道理というものだ。


 おれは喉を踏み抜いた足を戻し、床を蹴った。そのまま真横へ滑るようにして接近、左の掌底で男の顎をかち上げた。頭がばくっと跳ね上がり、


 ぶつん。


 と、粘るような音を残して千切れた舌が宙を舞った。男は片手を剣から離し、歯のこぼれ落ちる口を押さえた。おれはがら空きになった腹に短剣を突き立て、捻り、抜き、また突き立て、捻り抜き、突き立てた。


 鼓動に合わせて血を吹き、おれの躰に触れて炸裂するように飛び散った。廊下が赤に染まり、鉄錆の匂いが広がった。村から逃げのびた日を思い出させる懐かしい匂いだ。


 ふいに、背中を冷気が撫でた。

 

 廊下を通じて流れ込んできたのだ。玄関の扉が開いたに違いない。バズギーを含めて部屋の中で五人をやった。廊下で三人。計八人。残りはふたり。


 我に返ったとき、おれは七回も刺していた。ため息をつきたい気分になった。だが、すでに次の気配が廊下の角に差し掛かっている。


 おれは廊下を駆けた。ブギーマンブーツが音を吸い取る。殺気。男が短弓を構えて角から身を乗り出し――両目をカッと見開いた。


「――ばぁボギー


 おれは笑顔と一緒に切っ先を進呈した。刃が男の鼻頭から滑り込み脳へ達する。玄関側から悲鳴があがった。見れば、ひときわ若い男が剣を抱えていた。訓練不足の新兵らしい。


「ひっ……ひぃっ、あっ……!」


 ガラン、と新兵が剣を取り落とした。後ずさり、背中を向けて逃げ出だす。おれは咄嗟に鋼鉄のペンを投げつけた。鋼鉄の矢と化したペンは鈍色の尾を引き宙を駆けたが、しかし、僅かに外れドア枠に刺さった。おれは短弓と矢を寸借し後を追った。


 どうりで冷えるはずだ。


 外は夕焼けに染まり、雪までちらついていた。

 

 首を振ると、最後のひとりが必死になって家から離れていくのが見えた。重くなった雪に足を取られ、すっ転んだ。躰を起こそうと突いた手がまた滑り、べしゃりと沈む。


 最後のひとりは声にもならない音を吐き散らし、肩越しに顔をみせた。泣いていた。おれは短剣を収め、ひとつ大きく息をつき、矢を一本、唇に挟んだ。口を不自由にすれば躰が勝手に鼻を使う。


 おれは温かな木の感触に鼓動を整えてもらいながら短弓を構え、弦を引く。ガキのころ親父に渡された弓よりもずっと軽い感触。狩りの記憶が瞼の裏で明滅した。


 的は少し遠いが、雪に紛れる白兎よりもずっと見やすく、大きい。


 親父に叩き込まれた教えが呼吸を止める。音が消えた。雪が空中に静止する。ようやっと男が躰を起こすが、ひどく緩慢だった。鼓動が減り、遅くなり、止まる。


 おれは弦を放った。


 時の流れが急速に戻った。矢はまっすぐに空を駆け、雪の粒を貫き、男の背に刺さった。

 トナカイによく似た汚い鳴き声。断末魔とはそういうものだ。


 おれは足元に短弓を捨て、短剣を片手に雪上を這いずる獲物に近づいた。

 雪を掻き、必死に逃げようとしていた。初めて大物を仕留めた時を思い出す。放った矢が狙い通りに肺を貫き、もがくように足をバタつかせ、転び、止まる。


 親父の穏やかだが重苦しい声が頭の中に響いた。


 獣を狩るのは何者か。


 獣だ。


 ならば獣を狩る俺達は何者か――。


「――ちょっと待ってろ。死んでくれんなよ?」


 言って、おれは男の両足の腱を切った。絶叫。耳障りだった。殺しにきておいてやられる側になれば泣き叫ぶ。己にばかり都合のいい奴は嫌いだ。


 だから、おれはおれが嫌いだ。

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