剣呑な団欒

「……ひとりじゃなかったか」


 バズギーが唇の片端を吊り、指笛で答えた。嫌な予感が膨れる。頼むから違っていてくれと願おうとしたが、おれには願いを伝える神がいない。


「――デックス!!」


 聞き慣れた、けれど少し震えたような声。顔を青ざめたマルセルが男ふたりに肩を掴まれていた。その後ろにさらにふたり。おれの家の前にひとり。全部で九人になった。


「デックス! 大丈夫!?」


 まずおれの心配かよ、と思った。ついでに名前を呼んでくれるなとも。

 バズギーがゆっくり振り返り、半笑いで息をついた。


「やっぱり、デックスじゃねぇじゃねぇか。嘘を吐くなよ」

「名前を言い間違えただけなんだけどな」


 言って、おれは歯を食いしばり、マルセルに片手をあげてみせてやった。バズギーが拳を振りあげ、直線的な軌道でおれの顎を打ち抜いた。まるで鉄の手甲で殴るようなやり方だ。目の奥で、また火花が散った。足元がグラつき、おれは雪の上に倒れた。


「デックス!?」


 マルセルの悲鳴が聞こえた。顔の下の雪がちべたかった。おれは口の中に溜まった生暖かい液体を吐き捨てた。凍りかけの新雪が赤く染まった。


「見ての通りケガひとつしてねぇよ」


 お前のおかげで、とは言わなかった。おれは優しい――だけじゃなく、金持ちのお嬢さんだろうと正直ナメてたお詫び代わりだ。

 バズギーが屈み込み、おれの髪を掴んで顔を引き起こした。ちべたくなくなった。


「殴っちまって悪かったなぁ。痛かったか?」

「いや、気にすんな。ちょうど眠たくなってきたトコだったんだ」


 バズギーは笑いながらこれみよがしに手を振った。息が臭くないのが不思議だ。


「俺はちょっとムカついたよ」


 言うや否や、バズギーは腰を上げつつ足を振り抜いた。火花は散らなかった。おれは王都の噴水みたいに血を吹きながらそっくり返った。後ろ頭がちべたくなった。


 クソムカつく。

 絶対にぶっ殺す。

 そう決めた。


「ここは寒い。部屋に入ろう。ワインを奢ってやる」

「酒は苦手なんだ。レッドビーツのスープにしてくれ」

「ダメだ。酒しかないからな」


 おれは膝に手をつき、腰を上げた。


「……なんて顔してんだよ、マルセル」


 泣きそうな――いや、実際に涙を目に溜め込んでいた。


「デックス、ごめん……! ごめん……! 私……!」

「気にすんな。取材交渉は成功だよ」


 マルセルが顔を伏せた。拍子に、乾いた雪が一粒分だけ湿った。


 どうしたことか、十年ぶりに我が家へ帰ってきたのに、床に唾を吐きたくなった。鉄錆の味でいっぱいだったから、だけではないのだろう。


 入ってすぐのファミリールーム。家具や調度品、壁にかけられている鹿の首なんかもガキの頃のまんまで、配置だけが微妙にズレている。しかも両親の椅子には知らない奴が腰掛け談笑していた。かつて住んでいた家に、今は得体のしれない奴らが暮らしている。あってはならない気配と臭気と、過ぎ去った年月が吐き気を呼ぶ。

 外に残ったふたりと合わせて全部で十人。全員殺すと、その場で誓った。


「こっちだ。ついてこい」


 どうせダイニングだろう。ファミリールームにふたり残して廊下に。突き当りにある弟たちの部屋を横目に曲がり、ひとつめの扉。廊下の奥には長男の――おれの部屋がある。ダイニングを挟むように部屋が分かれているのは、おれが生まれたときにひとりめのお袋が死に、親父がもう子どもはつくらないと決めたからだ。親父は三年で決め事を破った。


「さぁどうぞ、網の目のデックスさん」


 冗談めかした調子で言って、バズギー自ら扉を開いた。続いて男がひとり、マルセル、もうひとり。背中を小突かれ、おれはダイニングに入った。ため息がでた。


 ワインと雑な食事がごちゃごちゃ並べられた、立派な食卓。その一番奥、暖炉前の特等席にバズギーが座った。そこはお袋の席で、誕生日にしか座れなかったはずなのに。


 左手側には男、マルセル、男の順に並び、おれはバズギーの正面、扉前の末席だ。背後におれの頭をぶっ叩いた野郎が張り付き、逃がすつもりはないと暗に言っている。

 悪い気はしなかった。

 扉の前は親父の席だ。来客が会いたがるのは俺だからといつも言っていた。いつもいつも、お前はあっちだと右手側に座らされ、今、そこには誰も座っていない。


「さてと……せっかく王都から客人が来てくれたんだ。特別なワインを振る舞おうか」


 バズギーが言うと、背後の男が扉を開き口笛を吹いた。すぐにくぐもった返答が聞こえ、新しいワインと真鍮のカップがきた。元からあった食器ではない。奴らが持ち込んだのだろう。

 背後にいた男が、王都で働くギャルソン顔負けの優雅な手付きで、バズギーのカップから順にワインを注いで回った。

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