遅すぎた帰郷
「守るったって……いや、マルセル! 記事は!? そっちの原稿はどうなるんだよ!?」
「それこそどうにでもなるわよ。郵便局があるんだし」
マルセルは腰に手を置き、胡乱げに首を傾げた。
「……そっちこそ、怪しいわね。なんか私に隠そうとしてない?」
「んなわけ……」
あった。帰郷する気になっていた。あれから十年、五人目の勇者だけが生き残ったとかいうクソみたいな話が生まれた地。勇者サマと聖教会が何を残したのか見てみたい。
だが、危険だ。
戦後に居場所を失った兵士たちに、野盗化して北上した者は多い。王都で罪を犯し逃げていったのもまた然り。また、トップを失った魔物どもが各地に散らばり、潜伏している可能性も高い。というか、王都に魔物由来の品が届くのだから厳然たる事実のはず。
「……おれはオススメしねーっていうか……ここまででも、いい紀行文になるんじゃね?」
「心にもないこと言わないでよ。それより聞きたいんだけど、デックスの言ってたおとぎ話だか予言だかって、北に行くほど残ってそうなの?」
「……どうかねえ? まぁ元は北に住まう善き魔女の語る物ってやつで……ほら、もう昔っから住んでるような奴も少ねぇしさ?」
ついでに、聖教会にしてみれば――
「魔女が出てくるなら異端の教えってことになってそうね。ほんと、調べるのが楽しみ」
「え」
「だって面白そうじゃない。北生まれのデックスっていう、偏屈だけど嘘は言わない人が語ってくれたのに、ホーヴォワークにはそれらしい資料がほとんど残ってない」
たしかに。この三日間マルセルが『自分らしい』紀行文を完成させるべく始めた資料検索に付き合ってきたが、おれがガキの頃に聞いたのと同じ話は残っていなかった。
「デックスに倣えってヘイズ部長にも言われてるしね。見習おうと思ったの。悪い?」
マルセルは勝ち誇るかのように胸を張り、口角を吊り上げた。
「取材費、通信費、用意のない紹介状――進めば進むほどお金かかるけど?」
「ぬ。それは……まぁ、なんとか……」
ならないだろう。王都を出るときに告げた行き先はホーヴォワークまで。出してもらった旅費に前借りした給料を合わせても、ちょっと苦しくなってくる。
「私を連れてくなら手を貸してあげる。ペン一本あれば旅費の追加も取材の延長もなんの問題もない。デックスに着いていくように言われてるしね」
「……マジかよ……本当についてくんの?」
「私が聞きたいくらい。いい出資者(パトロン)が目の前にいるのに、みすみす逃すの?」
おれは煙をぷっと吐き出し、諸手を上げた。降参のポーズだ。
「……分かったよ。けど、荷物は減らしてくれ。いざとなったら捨てても惜しくないくらいじゃないと困る。あー、けど惜しくないってのは金持ち基準じゃなくて――」
「うん。分かってる。じゃ、ちょっと交渉してくるから」
言って、マルセルは手を振りながら廊下に消えていった。跳ねるような足音が遠ざかっていくのを感じながら、おれは顎をあげた。吹いた煙が渦を巻き、窓から差し込む薄青の朝日と混ざりあう。吸いきれず口から溢れた煙だけが、何物とも交わらずにいた。
*
信じるとは、自ら思考を放棄することに他ならない。思考の放棄とは『騙され』の容認と同義だ。だが、考えるという行為はありもしない真実を己の内に生む。シンジツと虚偽は同じ意味を示すから、信じようが考えようが騙されていることに変わりはない。
どちらかといえば、おれは自分に騙されている人間のほうが好きだ。
騙し騙される関係が個人の内で完結し、利害関係が存在しない。
おれは勇者カーライルサマと聖教会が嫌いだ。
どちらも信じることは善いことだと教える。思考の放棄は素晴らしいことだと。
騙す側と騙される側に分かれているのを巧妙に隠し、放棄された思考を吸い上げて肥え太っていく。その足元には、常に数え切れないほどの絶望が横たわる。
悲鳴を上げることすら許されない真っ黒な世界。
声を上げれば聖教会に悪とみなされ、カーライルサマの反り浅い曲剣に討たれる。
マルセルはおれを信じられないと言った。聖教会を信じたいのだと。
「……クッソ……ついてきてねぇだろうな……?」
夕暮れの迫る白い森。宿に残してきたマルセルが気がかりでならない。
ホーヴォワークから北上すること十日、ハルメニーという小さな街に宿を取ったおれとマルセルは、昼から取材に入ると約束してそれぞれの部屋に戻った。もちろん、嘘ではない。
ただ、ひとりで行くとは言わなかっただけだ。
おれはマルセルを宿に残し、未明の内に街を出た。きっと大丈夫。宿の主人には言い含めておいたし、仮にマルセルの身に危険が降り掛かったとしても明日の朝には宿に戻る。身代金目当ての誘拐なら拉致から殺害まで一日というのはありえない。
尾行の気配はない。雪上の足跡を追うのは難しくないかもしれないが、あたりはおれのホームだ。気づけないはずがない。ついでに、最後の勇者ひとりだけが生き残ったとされるおれの故郷は、どんな地図にも載っていない。
「……でも、マルセルだしなぁ……」
勇者サマと聖教会の知識にかけては、おれなんぞの数十倍は上だ。場所くらいは大まかに把握しているかもしれない。いやしかし、今では賊が住み着いているという噂も立っているのだから、今日までおれに守られていたと自覚する彼女なら……、
「でも、マルセルだしなぁ……」
嫌な予感が頭から離れず、おれはため息をついた。白めく吐息が雪に沈んだ。貴重な注意力の一角を奪われるくらいなら、いっそ連れてくれば良かった。後悔先に立たずと言うがあれは違う。おれは完全確実に、連れてったら絶対に後で悔いると思っていた。
まぁ、分かっていてそのとおりになっているのだから世話はないが。
「後悔は先に立てても役立たず……と、マジか」
懐かしさを感じる森の木陰から覗き込むと、いつか見た光景が広がっていた。
雪下ろしをしなくても済むように角度のついた屋根。切り出した石を積み上げてつくった古めかしい家並み。ガキの頃のまんまだ。
一瞬、人影が家々の角を過ぎった。毛皮の服を着ていた。
おれは走った。
他にも焼け出された奴がいて、村に戻ってきていたんじゃないか。
間抜けにも、そんなありえない想像に突き動かされていた。
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