次の取材

 ホーヴォワークに滞在して三日目の朝だった。

 ガンガン、ガンガン、おれの部屋の戸がやかましいくらいに鳴った。


「デックス! いつまで寝てんの!? 朝一番に出るって言ったでしょ!?」


 朝っぱらに聴くにはキツい金切り声。マルセルだ。

 おれは傍らでうめく体温にため息をつき、返事しようとベッドに手を――ついたら、


「デーックス! バカ! さっさと……し、ろ……?」


 ドガン! と飛び込んできたマルセルの頬が、みるみる内に引きつっていった。

 おれのすぐ脇で毛布の塊が動き、郵便局のねーちゃんが素っ裸で躰を起こした。


「……デックス!? このバカ! 何やってんの!?」


 何って、ナニだ。そしてもうヤった後だ。

 マルセルの怒号と郵便局のねーちゃんの悲鳴で、軒の氷柱が欠け落ちた。


 そして。


「信じらんない、信じらんない、信じらんない……マジで何考えてるわけ……?」


 部屋の壁に向かってうわ言のように繰り返すマルセルに、おれは服を着替えつつ答えた。


「何をと言われりゃ、特になんにも。あの子、王都の出身だし、記事にも使えねーし」

「そんなこと聞いてない……というか、ほんと、何? 信じらんない……」

「信じらんない信じらんないって、そもそもおれのことを信じたことあんのかぁ?」


 軽口で返してはみたものの、内心ちょっと焦っていた。使える使えないは別として取材対象者と寝たのは事実なわけで、それをマルセルに見られたのは痛い。『網の目』の政経デスク、マルセル直属の上司サマ、ダブルスタンダード・ヘイズに告げ口でもされたら――、

 おれは話を逸すべくマルセルを挑発することに決めた。


「……で、馬車がなんだっけ?」

「なんだっけじゃない! 昨日! 朝一番に! 出るって! 言ったでしょーが! ふざけ――ひぃぁ!? ちょ、さっさと服着なさいよ!?」


 マルセルは烈火の如き叫びと共に振り向き、妙に可愛らしい悲鳴を残してふたたび壁とツラを突き合わせた。処女か。処女っぽいが。

 はいはいはいはい、と無気力な返事をし、背中を向け、またチラチラとマルセルの視線を感じつつ、おれはゆっくりシャツの袖に腕を通し始めた。時間が欲しかった。考える時間だ。さっきは挑発と時間稼ぎに聞き返したが、もちろん昨晩の記憶はある。


 明日の朝一番に宿を引き払って、王都に帰るわよ!


 居丈高でこちらの都合をいっさい考慮しない宣言だった。いっそ清々しいくらい。おれは完全に虚を突かれた格好になり、伝えられなかったのだ。

 うじうじしてても仕方がないかと振り向くと、マルセルが慌てて壁に向き直った。


「見たけりゃ見てくれてもいいぞ?」

「ちっがう!」


 マルセルの咆哮は壁にぶち当たり廊下で誰かをすっ転ばせた。よくよく見てみれば耳の先が僅かに赤くなっている。生娘か。生娘っぽいが。

 なんにせよおれの一番得意なパターンで告げられそうだった。


「ほれほれ、もっかい脱いでやろうか? 一緒についてってやれねーから侘び代にさ」

「いるか!!」


 再び壁にぶつかる咆哮、しかし今度はすぐに振り向いた。


「――って、今、なんて言った!?」

「だぁら、一緒に行ってやれねーから侘び代にさ。脱ごうか? 下からがいいか?」

「うっさいバカデックス! 行かないってどういう意味よ!? そっちを教えろ!」

「あー……まぁ、なんていうか、ほら、おれの記事のほうは今のままじゃ雲行きが怪しい感じなわけだよ。だからちょーっと追加取材をしてこうかなってさ」

 

 時間と金をかけた取材だ。空振りでしたじゃ済まされないだろう。だが、おれは今回がバージン。空振り処女を失い、上手くいかなかったとしても許される……はずだ。多分。

 人の善意につけ込むのは趣味じゃないが、今回だけは特別ということにする。


「せっかくここまで来たんだし、もうちょっと北の方も見てこうかってな?」

「デックス……あんた……」


 マルセルは今にも叫びだしそうな気配を湛えて仰け反り、こめかみを揉んだ。


「……本気で言ってる? 正気? 席が残ってるか分かんなくなるとか考えない?」

「もともと籍は置いても席はねーし……ってのは冗談として、不在用の記事ならたっぷり置いてきてるんで、おれは余裕なんだよ」

「……北に行ってどんな取材をしようってわけ?」

「いっくら同業者たって取材内容をゲロったら記者としちゃおしまいだろ、つって」


 おれはシガーケースを開き、一本、唇に挟んだ。

「マルセルも言ってたろ、嘘くさいって。せっかくここまで来たんだし、もうちょっと北に足を伸ばして聖教会と勇者サマが作り上げた嘘を見て回ろうってな。タイトルはそうだな……『勇者カーライルの傲慢! 戦地観光の光と影!』みたいな。どうよ?」


 言いつつ、おれは葉巻を燻らせた。粘る煙が薄っすらと広がり、マルセルの眉が寄った。


「……な、る、ほ、ど……面白そうね。ちょっと下で交渉してくるから、準備しておいて」

「あいよ。了解――」


 と、片手をあげた瞬間、おれははたと気づいた。


「って、交渉? ……おいまさか――ついてくる気かよ!?」

「はぁ? 当たり前でしょ? そのネタ、私もちょっと興味あるし、付き合うわ」


 マルセルは当然のように言って、手をひらひら振りながら部屋を出ようとした。

 おれは慌てて椅子から立ち上がった。


「いやいやいやいや!? マルセル! 北だぞ? こっからもっと北! ここよりもっと危なくなんの! 盗賊も増えんの! 分かってんのか!?」


「もちろん分かってるわよ。守ってくれるんでしょ? これまでみたいに」


 ふふん、と鼻を鳴らすマルセルに、おれは言うべきだった言葉を見失った。マルセルはずっと前から気づいていたのだ。自分が危ない土地に足を踏み入れていると。

 分かったうえで、どういうわけか気づいていないフリをしていたのだ。

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