雪狐

 神に選ばれた勇者が、人の街を救いながら北上してきているという。


「みんな喜んでた。これで戦いは終わるかもしれないって……でも、私やあの子、それに生き残っていたマングスト一族の人間だけが、勇者という名の戦の影に怯えた」

「カーライルは聖教会が崇め奉る神の託宣を盾に、魔王軍と戦うためにやってくるから」

「そう。カーライルはあの子に臆病者の烙印を押して、魔王軍討伐と称して砦に行った。あの子はひとりで、こっそりついて行ったの。カーライルたちを止めるためにね」


 生存圏を切り分ければ境界線上で諍いが生まれる。それはしょうがない。しかし、どちらかを殲滅せずとも共存する道はあったかもしれない。現に成されようとしていた。

 ただの推測にすぎない。おれが求めているのは事実と証言だけだ。


「カーライルたちは何人で来ました?」

「――ああ! そうだった! 私ったら……歳はとりたくないものね」


 ジョー婦人は首を左右に振り、微笑を浮かべた。


「勇者が何人いたのか、デックスさんの本命ですものね」

「ご気分を悪くされたのであれば――」

「いいの。そっちも大事な話だもの。街に来たのは、カーライルを入れて七人だった」


 おれのつくったパーティーメンバーの増減表どおりなら、五大勇者のうち、すでに三ないし四人が加わっている。彼らは託宣に従い、勇者を探しながら北上していたのだ。


「メンバーの名前は分かりますか?」

「いいえ。名乗ったのはカーライルだけだった。誰かを呼ぶときも、おい、とか、ちょっと来い、とか……名前は決して呼ばなかった」

「外見でもなんでもいいのですが、何か――」

「カーライルは――あの反り浅い曲剣は有名だからいいわね。他にいたのは黒いコートの若い女と、騎士風の男、耳の尖った可愛い男の子……それからカーライルと親しそうにしていた大男、あともうひとり女の子がいて……若い男の僧侶もひとりいたはず」

「聖教会。橙色の君、ラナンキュラス・ファビアーニ?」

「どうかしら。私はその人の顔を見たことがないから……ごめんなさいね」

「いえ。他では手に入らなかった情報ですよ」


 おれはジョー婦人に笑いかけた。名前が分からないのは念だが、ふたつはっきりした。


 ひとつ、カーライルたちはホーヴォワークに来た時点で名を伏せる取り決めをしていた。


 ふたつ、大男はおそらく王都の兵士のひとり。連隊長クラスの誰かで勇者ではない。


 したがって、カーライルと大男を除く五人のなかに勇者とされる人物が三、四人。

 できれば顔やら性格やらも聞きたかったが、おれはジョー婦人の話を聞くと決めた。


「では、その後のジョーのお話を……」

「いいの? 覚えてることならなんでも話してあげるわよ?」

「よくはないです」


 おれは苦笑した。


「ですが、勇者の旅は長く、ジョー・マングストの旅はここで終わってしまいます」


 ジョー婦人は柔らかな笑みを浮かべて話を続けた。

 未明、カーライルが雪原に旅立ち、ジョー・マングストが後を追い、婦人は日が昇りきってから気づいた。加勢、様子を見に、引き止めに――、理由はなんでもいいが、ひとりで行くのは無謀すぎる。悩んだ末、婦人は白服を炭で汚し、夕暮れ時に雪原に向かった。


「恐ろしい光景だった。あちこちの雪が剥げてて、血の跡が散らばってて、生き物の気配がひとつもない。戦いの音は聞こえていたけれど、あんなのは見たことがなかった」


 婦人は慎重に足を進めた。やがて夜空に煙を吐く砦が見え、八つの黒点を捉える。


「生きてた……! あの子も無事だった……! 駆け寄りたかった。でも、もう足が棒みたいになってたの。大声を上げることもできたと思う。でも、しなかった」

「それは、なぜですか?」

「遠くから、あの子の声が聞こえてきたから」


 ジョー婦人は瞼を下ろし、椅子を揺らし始めた。


『なぜだ! 彼らは降伏したはずだ! なぜ殺した!』


 風が運んできたジョーの怒声に、婦人は異変を察した。重くなっていた足に力が宿り、耳は往年の冴えを取り戻した――が、雪原に、僧侶の鋭い声が響いた。


『魔物に降伏はない! 人々を欺くための方便だ!』

『違う! 彼らは俺の言葉を聞いてくれていただろう!?』

『いい加減にしろ!!』


 カーライルの一喝で空気が変わった。婦人は夜闇と雪原の白さに身を隠し接近する。未だに信じられないくらいに素早く、静かに足が回った。


「まだ私が小さくて可愛かった頃、雪狐なんて呼ばれてた頃みたいに走れたの」

「今も可愛らしいですよ」


 婦人は小さく鼻を鳴らした。


「ありがとう。でもあの頃みたいには走れなかった」

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