やっと見つけた差出人
地図を開き、記憶を頼りに街と教会のあいだの距離を書き込み、森の線を引き、ざっくりした三角測量で家の位置に印を打って。道なき道をマルセルの手を引きながら歩き抜け、おれは木陰から家の様子を窺った。
銀世界に溶け込む白い小屋。大窓から、テーブルに投げ出された新聞とロッキングチェアーが見えた。想像していた人物像と合致する。獣の気配なし、血なまぐささもなし。
「……大丈夫か、な?」
「……よくわかんないんだけど、何をそんなに警戒してるわけ?」
隣に控えるマルセルが呆れ気味に言った。
おれは望遠鏡をツールバッグに戻し、腰の後ろに下げた短剣を一度強く握った。
「……殺すために呼び出したかもしれねぇだろ?」
「いや勝手に来ただけで呼ばれてはいないでしょ」
ペチッとマルセルが手の甲でおれの肩を叩いた。おれはその手を払った。
「誘い出したのかもしれねぇだろうが」
「なるほど、それなら自然に――って、だったらやり方がややこしすぎるでしょうが」
ペチッ、とまた飛んできた。わかってないな、とおれもまた払った。勇者サマをおだてる記事ばっか書いてるマルセルと違い、おれは反逆の徒だ。
「ま、やることやったら突撃すんのは変わらないわな」
おれはマルセルのクソ重たい鞄を左手側に回し、いつでも短剣を抜けるように気を張りながら丸太小屋の扉を叩いた。室内から靴音。ひとり。室内履き。軽い。敵意なし。
「さっき鐘を鳴らした人かしら?」
あまりに穏やかな声で、おれは安堵の息をつきそうになった。肩越しにマルセルの位置を確認すると、彼女は記者の顔をつくってはいたが、警戒心のかけらもなかった。
扉が開き、ふわりと暖気が溢れた。
「あら、お若いふたり」
出てきたのは気の良さそうな老婦人だ。羊毛の服にショールを羽織り、下は新緑色のロングスカート。足元の布靴からするにそれなりの収入がありそうだ。
――当然か。早売の新聞を購読してるんだから。
おれは恭しく一礼し、腰を折ったまま老婦人を見上げた。
「お初お目にかかります。『網の目』から参りました、デックスと申す者です」
「――まぁ!」
老婦人は少女のように目を輝かせ、口元を隠した。
「本当に? あの手紙だけで、こんな辺鄙なところまで会いに来てくれたの?」
「辺鄙なところだなんて。ここはジョー・マングスト最後の地ではありませんか。頂いたお手紙の御署名、驚かせていただきました」
おれは右手を差し出した。笑顔を作る必要はなかった。自然と口角があがる。握り返してきた老婦人の手の感触に胸が躍った。理不尽を見つめてきた人の手だ。歯を食いしばり耐えてきたのではなく、静かに見つめ続けてきた老人の、同志の手だった。
「はじめまして、デックスさん。フリーキー・ジョー……の叔母さんよ。でも、ジョーって呼んでちょうだいな。実はね、あの子の名前、私から取ったのよ?」
ジョー婦人はそう言って穏やかな笑みを浮かべ、すぐに不思議そうに躰を傾いだ。
「ところで、そっちの変な顔をしてる子はどなたかしら」
変な顔? と後ろを見ると、仰るとおりマルセルが複雑怪奇な表情を浮かべていた。
「……おい?」
「デックス、あんた……そんな喋り方できたの……?」
バカ、失礼だろ、とおれは唇を動かした。
マルセルは、ハッと表情を改め、右足を後ろに引きつつスカートの裾をつまんだ。
「お、お初お目にかかります! 私は――」
「マルセルさんね? デックスさんの真似っ子の」
「は、はい! ジョー・マングストのご親族に会えるなんて――」
喜び勇んで発した言葉を途中で切り、マルセルは形の良い眉を歪めた。
「――真似っ子? 私が? デックスの?」
ジョー婦人は、ゆっくり、深く頷いた。
「ええ。あなたの……一月くらい前の記事だったかしら。酷かった」
笑顔を引きつらせるマルセルに、ジョー婦人は教師がそうするように人差し指を振った。
「いつものあなたじゃなかったわね。読み手には伝わるものよ? 誰を尊敬し、何を盗もうとして書いたのか。バレるようじゃダメね。盗むなら足跡をつけないようにしないと」
ジョー婦人の率直すぎる忠言に、おれは思わず吹き出しそうになった。
「――名乗る前からよくマルセルだと分かりましたね」
おれの問いかけに、ジョー婦人はクスクスと肩を揺らした。
「私、謎解きが好きなの。文体とか興味とか……『網の目』の記者でデックスさんと同じくらいの歳の子はマルセルちゃんしかいなそうだと思ったの」
ジョー婦人はおれたちを窓から見えた居間に通し、おれには窓の傍の椅子を、マルセルには暖炉に近い椅子を勧めた。
「なるほど。では――もしかして『網の目』をお読みになられたのはクロスワードですか?」
テーブルに置かれた『網の目』は、ほとんど埋まったカミチョーのページになっていた。
ジョー婦人はロッキングチェアーに腰を下ろし、『網の目』を後ろの本棚に置いた。
「目聡いのねぇ。でも、女性の家をジロジロ見回すのはダメね」
「これは、ご無礼を。記者の職業病です。――それで、いただいたお手紙なんですが」
おれが懐から手紙を出そうとすると、ジョー婦人は思い出したように両手を叩いた。
「あら私ったら。ごめんなさいね? すぐに温かいお茶を入れてあげる。うんと温まるいいお茶があるの。これなら帰り道も凍えないですむわ」
「あー、いえ、お構い……なく……」
おれとマルセルが声を揃える間にも、婦人はヨイショと腰を上げ奥へ消えていった。
「……コレは難儀しそうだわ」
ため息をこらえきれなかった。
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