震える鐘と震える躰

 おれは鍵穴をいじりながら言った。


「浮気の噂はあったんだけどな、尻尾が掴めなかった。なんで、涙ぐましい夫婦愛を讃えて、おふたりがご帰宅される前に、ベッドに女物の下着を進呈したわけよ」

「あ、あ、あんた……!」

「凄かったよ。食器は砕ける、壁には穴あく、嫁さんの『何度目だ』って金切り声で耳がやられるかと思った。でも傑作なのは、あの色男の言い訳でさ。なんて叫んだと思う?」

「『この部屋には連れ込んでない!』記事に書いてあるわよバカ!」


 マルセルの怒号に笑いつつ、おれは最後のシリンダーピンを外した。


「んじゃま、昇って鐘のメンテをしましょーか、『網の目』のマルセル様?」

「信じらんない……信じらんない……信じらんない……! こんな奴にちょっとでも憧れてただなんて……最低! 変態! すっとこどっこい!」

「すっとこ……? 変な言葉を知ってんねぇ」


 おれは鐘塔の階段室に首を突っ込んだ。最悪だ。木製の螺旋階段。腐ってそうだ。


「……で? おれは行くけど、お前はどうする?」

「行くわよバカ! なんかあったらあんたを突き出して記事にしてやるんだから!」


 マルセル怒りの宣言は、薄暗い階段室で無数に反響を重ね、埃を舞わせた。


「いいね、記者魂全開じゃねえか。その意気だぜ、マルセル」


 予想通り、螺旋階段はボロボロだった。手すりに寄りかかれば真っ逆さまだろう。最初の威勢はどこへやら、階段を踏みしめるたびにマルセルの顔は青くなっていった。


 礼拝堂の天井あたりは踊り場になっていて、一枚の扉を隔てロープの下がる部屋があった。階段を登り、天井扉を封鎖する鎖と錠前を外すと、寒風吹きすさぶ鐘塔に出た。


「……さっぶぅ」


 遥か遠方の魔王軍砦跡まで延々と雪原がつづき、風を遮るものがない。


「バカと煙は高いところを好むっつーけどよ、こいつには該当してねーよな」


 鐘塔には大ぶりな青銅の鐘がぶら下がっていた。ロープは鐘を内側から叩く分銅――舌ではなく、鐘を吊り下げる軸につながっている。しかし、軸を回転させるはずの歯車と滑車は、後から付け足されたらしい機構によって切り離されていた。


「見ろよコレ。そりゃ鳴らねえよ。ほんと聖教会ってやつは商売っ気ばっかり……」

「いちいち教会を侮辱しない。なにか別の理由があるかもしれないでしょ?」


 どうだかねぇと相槌を打ちつつ、レバーを動かすと、滑車が鐘の軸に接続した。いちいち下まで戻るのも面倒だ。ここで鳴らしてやろうとロープを掴んだ。


「そいじゃ改めてぇ、勇者カーライルがくたばりますように!」

「ちょっとデックス! 罰が当たっ――」


 説教は頭をカチ割ろうかという鐘の音に消された。耳を塞ぐも無駄。叫ぶも無駄。建物は安物のくせに変なところにばかり金をかけた教会は、鐘が揺れる度に水浴びを終えた犬のように震えて雪を落した。


「あー! あああああーーーーーーーーーーーー!!!」


 鐘の音が止んだのか鼓膜が裂けたのか分からず全力で叫んだ。聞こえた。骨を通じ、聞こえたように思えただけでなければいいのだが。


「マルセル! マルセル!? 無事か!?」


 目眩でも起こしたのか、マルセルは手すりにもたれてへたり込んでいた。すぐにピカピカに研ぎ澄まされた眼光が飛んできた。


「――こンの……すかたんっっっ!!」


 無事だ。何よりだ。おれは声を出して耳の調子をたしかめながら立ち上がった。雪原も森も震えているような気がした。認めたくないが天罰が下ったのかもしれない。


「……いや、いい眺めだわ。頭痛がなけりゃ最高だ」


 やっぱり認めない。天罰ではない。ムキになってはしゃいだおれが悪い。

 マルセルが頭を左右に振りながら立とうとしていた。彼女はおれが差し出した手を一瞥してため息をつき、自力で背筋を伸ばした。


「……その装置、元に戻しときなさいよ? あの音じゃ絶対、街で噂になってる」

「見出しつけんなら『怪奇! 雪原に鳴り響く鐘!』あたりだな」

「バカじゃないの? 『記者による不法侵入、器物損壊、報道と倫理の境界線』よ」

「身内を売るなよ」


 おれは記者の鉄則を教授し首を巡らす。砦の側は雪原が広がるばかり、何もなし。街の側は森というには疎らだが林というには多いカバの木々。


「おい、ボっとしてないで手伝え。人探しだ。郵便局の子が教えてくれたろ?」

「へっ?」


 間抜けなマルセルの声に、おれは思わず二度見した。ぽっかーんと口を開いてた。


「ガキじゃあるまいし、鐘を鳴らして喜ぶかっての。あの子は『ここまで来れば見つかりますよ』って意味で教会を紹介したんだ。当然だろ」

「田舎の役人はバカばっかりじゃなかったの……? まぁいいけど」


 ぶつくさ言いつつ、マルセルも森に目を向けた。手伝ってくれるなら大歓迎だ。

 そうして、ふたりして世界にバカ面を見せつけていると、


「あ――今なにか動いた。あの奥の、あれ家じゃない?」


 マルセルの指差す方には雪にまみれた木々があるばかり――でもなさそうだ。

 おれはツールバッグに手を突っ込み、伸縮式の望遠鏡を出した。


「……呆れた。あんた、そんなのまで持ち歩いてんの?」

「そりゃそうだ。七つ道具だからな」

「そんなの覗き以外の何に使うのよ……」

「その覗きに使うんだよ」


 木々の間に一瞬、色味の違うものが映った。人、らしきものの背中。その先に、家。


「でかしたマルセル。今度メシ奢ってやる」

「……いらない。それよりこれで貸し借りナシ――」

「や、メシは奢る。貸しはそのまま。忘れんな」

「何よそれ!?」


 マルセルの苦情を無視して、おれは望遠鏡を縮めた。


 手間取らせやがって、フリーキー・ジョーめ。


 だが、探偵ごっこは大好きだ。


 おれは冒険心をくすぐるホーヴォワークの住民ふたりを友達リストに加えた。

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