善意と善行

「……信じらんない。カビ臭い。喉が裂けそうなくらい乾燥してるのに」

「……詩的な表現をどうも。ステンドグラスと窓ガラスが無事な証拠だよ。あと昔はしょっちゅう人が来てて、今でもおれらくらいの頻度で人が来るってことでもあらーな」


 入り口から祭壇――正確には祭壇の前に垂れさがるロープまで、真っ直ぐに赤絨毯が伸びている。ところどころ黒ずんでいたり白味がかっているのは、泥と雪と水と黴と年月がつくった模様だろう。礼拝堂にしては小さいが、観光地としてなら足りている。


「えーっと……あのロープ! あのロープは鐘塔の鐘と繋がってて――」


 気を取り直したらしいマルセルが喜色満面で説明を始めたが、おれは途中で遮った。


「それより先にやることあんだろが」

「え? ああ! そっか寄進――」

「っちっげーよバカ。お前の靴を乾かすの。足の指もげんぞ?」


 おれは布施盆を探そうとするマルセルを最前列に座らせ、すぐに靴紐に手をかけた。


「ちょ、ちょっ! ちょっと待って! 待ちなさいって!」

「うっせ。黙ってろ」


 おれが声を低めて脅しかけると、マルセルは息を呑むように口を結んだ。濡れそぼった靴を脱がしてみれば、ただでさえ白い肌が青ざめてみえるほどだった。


「ったく、これから日暮れなんだぞ?」


 縮こまった足の指を掌で包んで見上げると、マルセルが頬を紅潮させていた。


「ちょ、ちょ、あ、あの――じ、自分で、できるから……」

「……そうか? じゃあ掌で包んで、ゆっくり足の指を動かせ。いいな?」

「わ、わかった……」


 顔を真赤にして、マルセルがコクコク頷いた。凍傷になる前に温めてやろうと思ったのに何がムカつくというのか。


 ――おれが触ったからか。


 秒の間もなく理解し、壁際に置かれた薪ストーブの窯を開けた。ツールバッグから自作の着火装置と、ついでにシガーケースを出す。教会で葉巻を吸うというのも不信心な話だが、祀られているのは雪国に住まう狩人なのだから怒りはしないだろう。


 おれは短剣を抜き、積んであった薪から焚付をつくって火口に点火した。長らく使われてなかったであろうストーブだ。冷気のつまった煙突から煙が抜けてくれるといいのだが。


「――抜けたか」


 排煙の逆流がないことを確認し、おれは葉巻に火を移した。ポツポツと煙を吐きながら腰をあげると、膝を抱えるようにして趾を温めていたマルセルがジト目を飛ばしてきた。


「……なんだよ?」

「……お嫁にいけなくなったらどうしてくれんのよ」


 一瞬、思考が止まりかけた。


「どこの風習だよ。聖教会か? いいからこっちこい。足温めて、靴乾かせ」

「分かった……っていうか、どうやって火を点けたの?」

「あん? どうやってって……嘘だろ、もしかして自分で熾さなくていい生活を――」

「違う! なんか変なの使ってたから見せろって言ってんの!」

「なら最初っからそう言えよ。ほら」


 おれは着火装置を投げ渡した。


「これ、どうなってるの?」


 マルセルは着火装置にすっかり気を取られながら靴をつまんだ。指先を床におろした途端に蚊が鳴くような悲鳴があがった。足元を見ないからだ、バカめ。

 子どものようなマルセルの好奇心に苦笑させられながら、おれは葉巻の煙を吹いた。


「どういう構造かって話なら、お前の拳銃とほとんど同じだよ」


 ようは円盤型の鉄ヤスリがついた金属筒だ。筒の下から火打石を入れ、バネのついた棒でヤスリに押し付けてある。ただそれだけ。


「あとはヤスリを回せば火花が散る――あれでいいか」


 おれは燭台から蝋燭を三本失敬し、赤絨毯の一部を女の足を覆えるだけ拝借した。まあ返すつもりはないが、このおれが寄進してやるんだからイーブンだ。

 背後で砂利を擦り合わせたような音が鳴った。マルセルが着火装置に驚いていた。


「……これ何? どこで買った?」

「あぁ? 名前なんざねぇよ、自分で作ったんだ」

「……え? 作ったって、デックスが!?」

「そうだよ。キャップに消し炭入れて火ぃ点けんだろ? で、綿毛いれて葉巻を――」

「すごいじゃない! デックス、記者ライターなんか辞めてこれをいっぱい作って売れば――」

「――その冗談めちゃクソつまらねぇからな?」


 おれはマルセルから着火装置を奪い返し、蓋をした。


「一個つくるだけでもクソ面倒だったんだ。冗談じゃねぇ」


 すぐ横で裂いた絨毯を並べるおれに、マルセルが真顔になった。


「それ、もしかして教会の絨毯……? あんた私にまで不敬の片棒を担がせる気?」

「バカ。蝋を塗ってお前の靴に入れんだよ。……指を失くしてもいいくらいの信心があるならやめっけど? だいたい、こんなボロくさい赤絨毯には聖性なんざねぇだろ」

「……ああ、神様。このバカは地獄に送ってもいいけど私のことはお許しください……!」

「それは都合よすぎだろ」


 おれは思わず吹きだした。

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