雪の街ホーヴォワーク

『王都を離れ北上すること三週間とすこし。十年前の戦火を経て再整備された道を馬車で駆け抜けて、なおそれだけかかる。(以下削除)もちろん同行者のマルセルと彼女のクソみたいな取材につきあわされて時間をロスったせいでもあるが、かつて勇者カーライルは魔王軍を打倒しながら人の足で踏み越えてきたという。

 (ここから)ホーヴォワーク――土地の英雄ジョー・マングストの命と引換えに恐怖から解き放たれたこの街は、いまも深々と降り積もる雪に鎮魂の祈りを捧げる。

 勇者カーライルが立ちあがる前、人々を最も苦しめたのは物流の断絶だった。王都は北方に散らばる各種鉱山を奪われ、北方の民は王都より運ばれる燃料を失った。

 東方に魔王軍の砦が築かれたホーヴォワークは、昼夜を問わず得体のしれぬ獣に襲われ、肌を突き刺す冷気に戦意を奪われていた。

 街の唯一の希望は、雪林を盾に戦うジョー・マングストだったのだ』


 ――真面目に紀行文を書き続けるマルセルを真似て書いてみた駄文だ。文体はそれっぽくでっちあげてみたが、中身はまんまいつものおれ。ウソ偽りのないシンジツを、こっちの都合に沿うように並べてみただけの代物である。

 より正確に記述するなら『雪林に囲まれた死にかけの街』の一文で足りるだろう。


「……それで? 何から始めるのかしら、先輩記者様?」


 この三週間で嫌というほど聞いたマルセルの嫌味に、おれは髪をかき混ぜた。年がら年中飛んでくる言葉の棘に苛まれ、いまに禿げてきそうだ。


「まずは宿の確保だな。お前のそのクソ大荷持を置かないといけないだろ? それからクソ郵便局に大事な手紙の確認を取りに行って、それからおれは愛すべき差出人を探す」


 おれは足元の雪を蹴り飛ばし、寂寥とした街並みを見渡した。


「こんな寂れた田舎だ。郵便屋もクソバカかもしれねぇ。運が良けりゃ一発だ」

「……デックス、その口の悪さなんとかしないと取材なんかできないと思うけど」

「いまは取材中じゃねえからな。そっちはどうする? こっからはもう紀行文なんざの取材に付き合いたかねぇんだが?」

「……今度はこっちが付き合う。私にとってもいい取材になるかもしれないし」


 青ざめた唇を高慢に震わせるマルセルに、おれは乾いた青空を仰いだ。


「……おお、神よ。まだおれに子守をさせるのですか」

「平然と神様を侮辱すんな!」


 即座に怒号が飛んできた。ふざけろ。おれの神は聖教会の金庫にゃいない。

 それからおれは、自分の鞄に加えてマルセルのクソ重い衣装鞄を引っさげ街を彷徨いた。平穏が訪れた日から十年――より正確にいえば、魔王軍打倒に先立つこと二ヶ月前に苦難を乗り越えた街は、幸いにも観光地化しようとしてシクった痕跡があった。


 観光客にあえぐ大量の安宿は、隣の宿の名前を出せばすぐに価格競争に入った。周辺で一番サービスのいい(しかも安い)宿に二部屋を確保し、クソ重たい荷物を下ろし、できればマルセルという重荷そのものも置いていってやりたいとこだが、こっちは無理だ。


「――だーかーらー、銃を下げんなら見えるように下げろっつってんだろー?」

「しつっこいわね! またその話!? 取材に行くのに武器見せてどうするわけ!?」


 まただ。この三週間で思い知ったが、マルセルは田舎をナメている。王都のいたるところに衛兵が立つ安心安全な暮らししか知らないのだ。


 魔王軍の旧支配地域は奥に行くほど治安が悪化し、さらに北のおれの故郷は今では盗賊共の巣窟になったという噂もある。感触からして馬車で一週間。それくらい踏み込めば美人のねーちゃんが拳銃ひとつで歩き回れない。


 まして拳銃が豪奢な彫刻エングレーブの入った手の込んだホイールロック式ともなれば貴族生まれ確定、盗賊には銀食器つきの鴨にしか見えないだろう。


 そんなマルセルが無事に歩いていられるのは、紀行文用の取材におれがくっついて回ってやってたからで、これからも連れて動かなくてはならない。


 なんだかんだいってもマルセルは『網の目』の正統派エース。おれの取材に付き合って死んだんじゃ親も『網の目』も浮かばれないし、夢見が悪くなるのはごめんだった。


「おいおいおいおい! だから荷物を全部置いてくのは――」

「大丈夫だって言ってんでしょ!? いままでだって平気だったじゃない!」

「へーへーへー、運が良くてなりよりですよ。着替え盗まれてもしらねえかんな?」


 宿選びにチップを弾む苦労も知らないで。おれは舌打ちをこらえて短剣を上着に忍ばせた。マルセルには銃を見せるように言いながら、なぜ隠すのか。


 理由はさっきマルセルが言っていたのがひとつ。

 つまり、取材に行くのに武器を下げてくのはやっぱりマズいからだ。その点は正しい。

 だが、もうひとつ、おれには隠していい理由がある。


「――さっき値切っといてなんだけどよ、もうちょっと払ってもいいと思ってんだよ」


 おれは宿のカウンターに肘を置き、主人に向けて低い声で言った。

 温かい宿の中でも服を着込んでいる主人はチップをガン見しながら言った。


「これはこれは、サム・スペード様。ご利用頂いただけでも十分ですよ。信用に関わりますからね」


 サム・スペードというのは、おれが宿帳に書いた偽名だ。おれはカウンターの奥に金を置き、さらにつづけた。


「まぁもらっといてくれよ。なんか少しでも変なことになってたら、この代金分は何がなんでも取り返すっていう――まぁ保証金みたいなもんだからよ」

「――承りました」


 主人は口ひげをひと撫でし、隠すように喉を鳴らした。

 おれが短剣を隠していいのは、荒事に慣れているからだ。三つの頃から狩りを学び暴力と不幸に耐性がある。


 記者になってからは、見舞うのも、見舞われるのも、日常のうちだった。

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