いざ、取材旅行へ
乗合馬車に、おれとマルセルの他に客はなかった。
人生は驚きに満ちている。上等下等を問わず、この世に放り出された生命は、土塊になる前に最低、三度は驚く。生の驚きベストスリーが、そいつの価値観を決めるのだ。
眩しい! くせぇ! なんでこんな世界で生きなきゃいけねぇ!?
多くの哲学者はこの三つをベストスリーに据えて、人生という難問に挑む。
哲学者ほど頭が良くなく、幸いにも鼻のつまっていた奴は――、
「まず家族と呼ばれる他人を見て、世界には自分と違う考え方をする奴がいるってのに驚くだろ? 次に本や新聞を読んで自分と同じ考え方の奴もいるのに驚く」
ガツン! と大きく馬車が揺れた。おれは舌を噛みそうになり、対面のマルセルが小さな悲鳴とともに手帳を閉じた。よく揺れる道だ。手記を書こうとかどうかしてる。
マルセルは小さなため息をつき、おれを睨んだ。
「……三つ目はなに?」
「――なんだよ? おれの話をメモってたのか?」
「ンなことするわけないでしょ!? 驚きが三つ! 最後のひとつは!?」
「気になるだろ? なんでかわかるか? 三つあるって知らされてるから――」
「いいから教えなさいよ!」
マルセルの金切り声に、御者がちらりと振り向いた。興味津々って顔ではない。他に客もいないし暇で暇でしょうがないが女のほうは怖いみたいな。ついでに男のほうは延々と喋っててなんか怖いみたいな。そんな顔だ。
おれは御者の視線を横っ面に感じながら奇術師のように手を振った。
「三つ目に、新聞社に入って驚くんだよ」
「……だから何に驚くのよ」
話を引っ張るおれに、意外にもマルセルは真剣な顔で食いついてきた。こころなしか馬車の速度も遅くなった。無駄にプレッシャーを感じる。
冗談めかして逃げたくなったが、今後もしばらく付き合わなければならないマルセルと親睦を深めておくべく、おれは真摯に答えを伝えた。
「同じとか違うとか、それ自体がまやかしだって気づいちまう」
「……あー……えっと……ちょっと待って?」
なにを待てというのか。マルセルは真面目に腕を組み、ガラスの入ってない窓枠の外に目をやった。王都を離れて馬車を乗り継ぎまくること早二週間、街道脇に積もる残雪も、もはや目新しくない。ホーヴォワークまであと少し。向こうはまだ銀色の世界だろう。
*
二週間前、王都最大の乗合馬車待合所の、高級感たっぷりな長椅子に座るおれの手には、『網の目』が用意してくれた高速馬車のチケットがあった。
腰のツールバッグにゴシップ記者の七つ道具。足元の鞄に着替え、防寒具、各地の宿で使えるらしい紹介状の束。使えば使っただけ後々の貸しになりそうな魔法の切符だ。
愛用の短剣は背中側のベルトを使い、下ろしたての少し値の張る上着に隠した。
勇者サマが世界に平和とやらをもたらして以来、王都の表通りで武器を見て分かるように持ち歩く奴は少ない。いたら大抵は退役軍人くずれ――退役したうえで身を持ち崩している危ない連中くらいだろう。スラムにはゴマンといるが、このあたりにはいない。
だから、おれも、表の人間を装って待つ。
「……まだかよ?」
目の前に馬車が一台止まったのを認め、待合所の時計に視線を走らせ、誰に言うでもなく呟いた、わけではなく、約束の時間から一時間も遅れているマルセルに言った。
「お兄さんの荷物はこれだけかい?」
馬車を下りた御者がハットのつばを引いた。服装だけなら洒落た老紳士といえる。しかし、ゴツめの体格とぎこちない笑み、それに舌が慣れていない様子の丁寧な発音からして、おそらく下町の住民だろう。元は日雇いの肉体労働者。必死になって貯めた金で御者になるための最低限のトレーニングを受けた。悪くない。
おれは靴の爪先で革鞄を押し出した。
「――もうひとり来るんだ。待っててくれ」
「聞いてるよ。恋人と旅行かい? いいねぇ若いってのは」
「――だろ? まぁ箱ン中じゃ大人しくしてっから勘弁してくれ」
御者が隠語として恋人だの若いだの言っている様子はない。だったら、わざわざ否定してネタをくれてやる意味もない。
おれはツールバッグからシガーケースを出し、細巻きの葉巻を一本咥えた。
勇者と魔王の世界を分かつ戦いで、資金提供と命知らずの荒くれを押しつけただけであとは知らんぷりしてきた南国の、さらに南の島で作られているという逸品だ。
葉っぱの出どころがどこか。それは真実か。そんなことはどうでもいい。
重要なのはそれが高級な煙草であるらしいことと、香りに関しちゃ本当にいいこと、それに取材の小道具にことさら有効だということだ。
「どうだい、一服」
「おお、いいのかい? ありがたいねぇ」
このやりとりだけで相手の程度が計れる。
本当のプロなら断る。二流なら恐縮しながら応じる。こいつはまだ三流だから遠慮会釈なしにもらうし、そのぶんだけ口が滑らかになる。
おれは御者から数日前までに乗せてきた客たちのゴシップをダラダラ聞きながら一時間ちかく待った。オリジナルの速記でメモを取りながら聞き続けて一時間だ。
「ああ、よかった! いてくれた!」
すっとぼけた発言をするドデカい革鞄三つと肩掛けカバンふたつのバカ女。
おれは怒鳴った。
「いてくれたじゃねぇよクソッタレがぁ!」
「しょうがないでしょ!? あんたの代わりに資料集めて――」
「いらねぇよ! 資料なんていらねぇんだよ! 今日からの取材に資料をくっつけんだよ! 順序が分かってねぇのかよ政経ってのは! ああぁぁぁぁぁん!?」
我ながらこれほどの声が出るものなのかと思うくらいの大声だった。
ついで御者からの、
「……あんた、記者だったのか? ……おい、おい! さっきの話は――!」
というどうでもいい弁解には、決して口外しませんし個人名が明らかになることはありませんと、どうでもいい約束をした。御者の語るゴシップに心配はいらない。情報元には誰も興味をもたないし、危ないネタもなかった。
「――つか、どんだけ荷物もってくんだよ……一個……いや、せめて二個に絞れねぇ?」
逃げる、戦う、引きこもる。荷物は少なくするに限る。
マルセルは息を整えつつ、また持参した荷物を見渡しながら言った。
「最低限に絞ったのよ、これでも」
「じゃあ、いますぐ鞄一個分減らしてくれ」
「……私の話聞いてた?」
「聞いて、言った。手提げの旅行鞄三つに肩掛け鞄ふたつとかイカレてんのか?」
「――っな、この……デックス! あんたと違って私は――」
「デックス!? あんた、あの『網の目』のデックスなのか!?」
マルセルの激昂を遮る歓喜の声。おれは感情の渦に辟易としつつ順番に処理した。
まず御者の私物にサインを書いてやり、マルセルに鞄をひとつ減らさせ、ようやく馬車の人になったのだ。
それから最初の宿で同部屋問題で大喧嘩をし、次の宿で喧嘩こそなかったものの些細な盗難事故があり(おれが解決した)、三つ目に入る直前さらに鞄を減らさせて――、
そうやって、怒涛のように日々は過ぎていった。
……怒涛ってのがどんなものかは見たことないが。
*
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