マイナー英雄

 バカかよ、の一語に尽きた。

 ゴシップ記者の住むゴミとボンクラが暮らすアパートとは雲と泥の差。あるいは月と路傍の馬糞の如き。華やかで綺羅びやかで――吐き気を催すファンシー。白とピンクをまぶされた薄青の空間。家具の九割が猫脚で、布と名のつく物には必ずレースとフリルがついていた。


「……普段の寝間着はピンクのドレスか?」

「ちょっと! あ、あんまジロジロ見るな!」


 マルセルは頬をほんのり赤く染めつつ、ソファーに座する巨大クマさんからショールを奪った。テーブルにデスクにクローゼットに、至るところにぬいぐるみやら花やらが添えられ、壁にかけられた絵までが夢の世界を描いている。


「……この部屋、まんま記事になりそうだな」

「したら本当に殺すわよ」


 いつも以上にドスの利いた声を響かせ、マルセルは両手を腰に置いた。


「――で、ジョー・マングスト? 彼は市井の人間よ? あんたみたいな連中に散々コケにされて凄まじい迷惑を――」

「ちょいちょいちょいちょいちょい!」


 おれは咄嗟に口を挟んだ。説教を聞きに来たわけじゃない。


「まだ記事にするって決めたわけじゃねえよ。おれだって反省したさ。書く前にちょっとは裏付けを取ろうと思ったわけよ。だからこうして――」

「ちょっとぉ……?」


 マルセルの眉間にビキリビキリと皺が寄った。


「裏の取れてない記事を書くほうがどうかしてる。あんたは――」


 説教はすべて聞き流した。正直、お前が言うなと思ったし。

 おれは真摯に話を聞くふりをしながら説教をぶった切れそうな話題を探した。調度品やら服装やらはイジったばっかで効果が期待できない。他に――あった。

 今週の『網の目』のクロスワードパズルだ。カミチョー。


「うぉ! マジかよ!? 全マス埋まってんじゃねえか!」

「――えっ?」


 予想通り説教が途切れ、次の瞬間、マルセルの顔が真っ赤になった。


「な、なに見てんの!? バカじゃないの!? てか見るな! 私の話を聞け!」


 大慌てでマルセルが新聞を畳む間に、おれはメモ帳と鋼鉄ペン、インク壺を出した。


「――そいじゃ親睦も深まったところで、ジョー・マングストについてドーゾ」

「はぁ!? 親睦って……あんた、マジでぶっ殺してやりたい……」

「ハハッ、分かるよ。おれもたまにぶっ殺したくなる」

「――えっ?」

「それで? ジョー・マングストについては?」

「デックス……! ああもう、わかった。教えてあげるからさっさと帰って」


 そうため息をつき、マルセルはジョー・マングストの貴重な情報を語ってくれた。


 ジョー・マングスト――通称、というか元は蔑称としてフリーキー・ジョー。

 その名はホーヴォワーク攻城戦以前には存在せず、攻城戦が終わると同時に消える。あだ名どおりの変人間で、街外れの森で暮らし、手負いの魔獣を助けたともいう。


 擦り切れた記録から推測するに、勇者カーライルが現れるまでのあいだホーヴォワークが壊滅せずにすんでいたのは、彼が街にいたからだ。

 そんなジョー・マングストは街を訪れた勇者カーライルに依頼され、東方に築かれた魔王軍の砦攻略に参加、魔王軍を撃滅したのち帰投時に戦死したとされている――。


「なんだよ、おれの知ってる情報と大差ねぇのか」


 そう言ってやると、勇者雑学の量に誇りでも持っているのか、マルセルは饒舌に語った。


「ジョー・マングストの死にはいくつも異説があるの。魔王軍の追撃を振り切るために囮になったとか、カーライル様をかばったとか、カーライル様が街を去った後に残党処理で怪我を負ったとか……もうめっちゃくちゃ色々あるのよ」

「なるほどなぁ」


 よく調べたものだとは思う。正直言ってクソだけでは足らないくらいどマイナーな英雄の逸話なので、それだけの異説があること自体が初耳。実におもしろそうなネタだ。

 おれはオリジナルの速記で逐語録をつくりながら尋ねた。


「ついでだからフリーキー・ジョーの周辺についてもドーゾー」

「どうぞー、じゃないっての。あとフリーキーって言うのやめろ!」


 こめかみに青筋が立っていた。そのうち脳の血管の一、二本ブチ切れそうだが、そうなったらマルセルの脳血管をブチ切った男として名を残せるかもしれない。


「なんもねえの? いや実はおれのほうでも調べたんだが、いったいこいつなんなの? どっっから湧いてきやがったの? 周辺人物が空っぽで、もういきなしホーヴォワークの片隅にポコっと湧いてきた架空人物みたいで――」

「――んなわけあるか! ちゃんと慰霊教会が立ってるし親族もご存命――」


 はっとマルセルが口を塞いだ。もう要は足りた。


「助かった。ありがとう。お礼を申し上げます。謝礼については――まぁ今度メシ奢るわ」

「ちょ、ちょっと待って――」

「あんがとなー。すんげー参考になった。さっすがマルセルだわー」


 おれは心にもない礼と賛辞を並べつつ、背中でマルセルの制止を受け流し、アパートを出た。明日からのスラム取材はすべてキャンセル。一月、下手しなくても二月、最悪を想定するなら半年もたせられる記事が必要だった。


 まあ、デックスの名入り記事がなくても読者は気にもしないだろうが――。

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