バカとマニアは使いよう

 そもそも、ジョーの名前を思い出せたのは地名とセットになっていたからで、どちらかが欠けていれば無理だった。というか、マッコイ爺さんとクロスワードパスルがなければ思い出すのに数ヶ月かかってそのまま忘れてしまったはずだ。


 一瞬、マッコイに聞きに戻ろうかと思った。だが、爺さんはクロスワードに出てきた他の単語を覚えていただけで、知識としてフリーキー・ジョーを知っていたわけではない。


「……となると、大学か……図書館か……」


 もう夜だ。図書館は閉まっている。それに隣の学生は数学科のボンクラだから勇者サマにまつわる話は知らない。数学科の連中ってのはどいつもこいつも浮世離れしている。なかでも特に面白かったから大学入学には協力してやったが、いまは役に立たずだ。


「……じゃあ……やっぱ……」


 思いついた名前はひとつ。頭を抱えたくなった。それは最後の手段にしたかった。何を言われるかわかったものじゃないし、嘘を教えられるかもしれないし、なにより夜だ。

 最後のはわりとどうでもいいが、持っていくような手土産がないのもどうでもいい。


「……落ち着け、おれ」


 おれは三秒考えた。頭を下げるのは嫌だ。しかし、勇者絡みなら誰よりも詳しい。スピードを優先するなら彼女しかない。急ぐ必要はどこにもない、こともない。

 今年は勇者サマが世界に平和とやらを取り戻して十年目。記念されるべきらしい十周年祭が計画されている。勇者サマの醜聞を書くのに今年以上の年はないのだ。


「……これは取材、これは取材、これは取材……」


 おれは気つけの呪文を繰り返しながら、短剣とツールバッグを腰に下げた。


 街に人影はない。馬車もない。窓から漏れる灯りで月明かりすら心もとない。一般市民の頼みの綱はショボイ街灯くらいだ。

 魔王とやらが倒れて十年、城塞化した街路に立つ衛兵は槍を捨てた。鎧もない。まぁ戦時であっても鎧を着ていたのは少数だったと記録にあるが。


 兜も剣も盾もなく、あるのは帽子と警棒とランタンだけ。そんな装備で王都の暗がりを歩くゴロツキ共から市民を守れるのかといえば、守れていなかったりする。

 スラムのゴロツキは戦後に即時解雇された実践経験豊富な兵隊、衛兵は戦後に雇われた見目麗しき青年。闇を蠢く戦時の暗部と、街路に立つ戦後復興の象徴。勇者サマがもたらした平和は、反吐が出るような欺瞞の上に成り立っている。


 なにが平和だ。


 そんなものを享受しているのは、街灯に照らされ、手ぶらの衛兵に笑顔で見守られている高級住宅地――たとえば、マルセルのような人間が暮らす区域にしか存在しない。


 おれは唾を吐きたくなるのをこらえた。豪奢なアパートの前に衛兵がいる。

 まずは襟を正し、『網の目』の社員であることを示す襟章を見せ、全身全霊でつくりあげた笑顔を向けて会釈して、ようやく脇を抜けられる。

 マルセルの部屋の前で足を止め、おれはひとつ息をついた。薔薇の飾られた廊下に、金縁の鏡。姿を写して髪と笑顔をチェック。大丈夫。いつもの調子でいこう。


 ノック、ノック、ノック。


 喉に何かが絡むような気配があった。おれは咳払いした。瞬間、扉が薄く開いた。


「なんですか? こんな夜……おそ……く……」


 廊下を覗く整った顔。寝る前なのに疲れが見えないのはさすがだ。

 おれはマルセルの顔が歪むより早く尋ねた。


「よぉ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいことって……ていうか、なんで私の家の――」

「フリーキー・ジョー」


 って、知ってるか? そうつづけるはずが秒で雷声が轟いた。


「ジョー・マングストよ!! あんたまでなんなの!? 不敬でしょ!?」


 予想よりも遥かに強い反応。沸点の低さがありがたい――が、《あんたまで》? 

 脳裏を過ぎった疑問はひとまず脇に置き、さらに煽ることに決めた。まず部屋に上がらせてもらわなければ、いつ会話が終わってしまうかわからない。


「おーっと、そうだった。ジョー・マングスト。あの間抜けについて知りたいんだが――」

「間抜け!? あん……った……! ちょっと待て!」


 マルセルは叩きつけるようにして扉を閉め、ガチャガチャガチャン! と三つか四つの錠前を外して扉を開けた。なにやら可愛い寝間着姿だ。記者のくせに。


「ジョー・マングストはねぇ! ホーヴォワーク攻城戦でも――」


 おれはマルセルの言葉尻を食いとるようにして言った。


「そうなんだよ! そのジョーの資料が足らなくてさ! 上がっていいか?」

「あが……はぁ!? ふざけんな! 誰が上げるか! 明日、私のデスクに出直せ!」


 予想通り、マルセルは怒鳴りながら扉を閉めようとした。

 おれはドアの隙間に鉄板を仕込んだ靴を挟んで封鎖を阻止、声高に言った。


「おいおいおいおい! 頼むよ! 『網の目』のマルセル様!!」

「ちょ、な――!?」


 扉に足を挟み込まれた動揺と、廊下で名前と社名を叫ばれる驚嘆と。マルセルは竦み上がっていやがった。ザマーミロだ。才媛マルセルもこうなってしまえばこっちのもの。


「頼むよ! 『網の目』のマルセル! ほら! こないだスラムの売春宿で――!」

「ちょ、やめて! ああもう! 入って!」


 廊下に住民が姿を見せ始めたところでマルセルが扉を開けた。ヤジウマ根性丸出しの高等遊民サマどもにお騒がせしましたーと一礼し、おれは悠々と部屋に上がり込んだ。

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