政経のマルセル
おれは、勇者サマの打ち立てた功績については、いっさいの誇張を抜いて記した。
たとえば、王都に産まれたカーライルが自らの躰に勇者の刻印を見つけた話。
王国の一兵士として領内の魔物討伐に参加し、大怪我を負いながらも数多の魔物を屠った事実。言葉の通じぬ魔獣を五十二、言葉を解する魔族を七、自ら降伏を誓った人型の魔族を三人、容赦なく斬り殺している。加えて重傷を負っていた味方四人の介錯もした。その後、カーライルは四人の女を抱いた。それが事実。
――まぁ魔獣の数はカーライルの所属していた部隊があげた戦果の合計だし、人型の魔族は『人』で数えているし、書かなくてもいい降伏を拒否した事実をあえて書いてはいる。
しかし、それもこれも、『これまでカーライルが抱いてきた女』の話を強調するためだ。
血なまぐさい話を並べたすぐあとに、性を語る。
ごく普通の性の話が、神をも恐れぬ乱痴気騒ぎのように読める。大衆は喜ぶ。
もちろん、飛ばしは入れた。娼婦が語る噂話が元で、まっとうな裏付けはない。必要ないのだ。大衆は清廉潔白な英雄と、その裏話を血眼になって探している。この手のゴシップのほとんどは笑ってもらって話の種として消費されればそれでよい。
おれは新聞を畳んでソファーに投げた。
「で? これがどうした? 名文だろ」
「どこが! ふざけてんの!? あんたのせいでこっちの記事まで信用が落ちるのよ!?」
「信用って……お前……」
誕生から一年もたずに潰れかかりゴシップで再建を果たした『網の目』で、信用などという崇高なる概念を語る記者がいるとは。まぁ、事実として目の前にいるが。
マルセルはゆっくりたっぷり時間をかけて首の骨を鳴らし、髪を振り乱しながら言った。
「あんた……! 一面の記事、読んでみなさいよ!」
「悪い、おれ新聞はクロスワードパズルしか読まねぇんだ」
「――なっ、こ、の、ぉおおおおお!」
マルセルの美貌が歪み、陶器のような白いこめかみに愛らしい青筋が浮いた。もちろん青筋が愛らしいというのは好意的に見た誇張表現だ。事実は、すごい怖かった。
でも。
正直、読む気にならないのも事実である。
週刊新聞『網の目』は冗談でもなんでもなく、エロと、ゴシップと、クロスワードで再建したのである。とくに評判がいいのはクロスワードで、『豚でも解ける』レベル(通称ブタトケ)から『神への挑戦』(通称カミチョー)までの五段階で丸一ページを担当する。
胡散臭い記事担当の次期エース候補と目されるおれもクロスワードには勝てない。今週のカミチョーも二、三語ほど埋めて敗北感に打ちひしがれた。
そんななか、マルセル渾身の一面は、
「『勇者カーライル聖教会と強力タッグ 戦災孤児救済へ』……正気か?」
こんなもの誰が読むのか。見出しがダサイとか以前の問題だ。
勇者と聖教会の若き広報官との握手は大事件だとは思う。日刊新聞なら一面だ。週刊だってどれもこれも同じニュースを扱っていたに違いない。だからこそ、思う。
こんな一面、誰が読む。
「……ウチで出したってパイ取り競争に――」
「挿絵がついてるでしょうが!」
マルセルの言うように、記事には誰に描かせたのか精密な挿絵が入っていた。偉大な勇者と、若き美貌の司教様。物珍しさで部数も伸びるだろう。
だが、挿絵を挿れれば値段も上がる。どうせ絵を挿れるなら(発禁の危険は増すが)ゴシップ記事に挿れたほうが費用対効果も高いだろうに。
「カーライル様が、聖教会と一緒になって戦災孤児に手を差し伸べようと言うのよ!? クソみたいなゴシップの何百倍も価値があるじゃない!」
「せっかくなら何千倍くらいに盛れよ。てか、クソってお前……まぁいいけどよ……」
マルセルの意見もわかる。くだらない話ばかりを好む『網の目』の購買層でも、橙色の君ラナンキュラス・ファビアーニとカーライルの組み合わせなら見るかもしれない。
だが、肝心の記事の質は――ため息が出る。
聖教会の薄っぺらい教えに熱心で、勇者サマにご執心なのが災いしている。マルセルらしい簡潔・明瞭な文体は失われ、怜悧な批評眼には何百枚ものうろこが飛び込んだ。
「……なぁマルセル、お前カーライルの記事には関わらないほうが――」
「うるっっっっっさい! デックス! あんたの評論が聞きたいんじゃない!」
若手ゴシップエースのアドバイスをぶった切り、マルセルは両腕を広げた。
「いいから! 来なさい!」
「……胸に飛び込めって?」
やぶさかでもないが、
「違うわ!」
マルセルは唾を撒き散らす。
「私と、一緒に、『網の目』に来い!」
「……やだよ。今日は休みで明日から――」
「うるっっっさい! 馬車を待たせてんだから早くしろ!」
「はいはいはいはいはいはい……」
おれは短剣をシャツの下に隠して顔を洗った。鏡に覇気の溢れる顔――は映らないが、それなりに整ったパーツとなかなかの輪郭、中の上ないし上の下の笑みがあった。
マルセルの怒りよう――、
おれの記事は会心の出来だったのだ。
「始末書でもなんでも書いてやろうじゃねぇか、なぁ?」
おれは両頬を叩いて、マルセルの用意した馬車に乗り込んだ。
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