裁くのはおれじゃない

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ゴシップ記者のデックス

 しばらく使っていなかったまきストーブに書き損じとボツ原稿を放り込み、買ってから一度も本来の機能を発揮できていなかったソファーに寝転ぶ。

 十五秒前に飲んだワインが頭の底を流れているような気がした。

 うまくすれば三週間分にも足りるだろう長大な記事を編集部に提出したのが二日前。評判は上々だと言われたのが昨日。祝いにワインの栓を抜いたのが今朝。


「……あー……やめときゃよかったー……」


 おれはおれ以外誰もいない部屋に後悔を吐き捨てた。

 週刊新聞『網の目メッシュ』に二、三年ほどごまかして伝えた十七年の人生で、おれは知った。


 おれは酒に弱い。

 すこぶる弱い。

 だから普段は一滴も飲まない。


 ならなぜ飲んだのかといえば、久しぶりに勇者カーライルの記事を書いたからだった。

 伝説の勇者カーライルが魔王軍を打ち破り魔王を斬殺してから約十年――十年祭なる新しい祝祭が催される記念すべき年に、勇者サマの暗部を暴いた。祝杯には十分な理由だ。


「ざまーみやがれ勇者サマーってんだー…」


 明日がくれば、またスラムで取材がはじまる。

 今日くらいはダメ人間として過ごしても許されるはずだったのだが――。

 表通りをやかましく行き交う馬車のひとつがアパートの前で停まった。靴音も高く昇ってくる。最上階の没落貴族夫婦を両親あたりが訪ねてきたのか。あるいは一階上の退役軍人。実は終戦で失職した天才剣士かなんかで、国の上役が教育係に雇いに来たとか。


 そんなことを考えていたら、靴音が廊下を歩いてくるのが聞こえた。

 隣に住んでる学生だろうか? だったらコップを壁に当ててやろうと躰を起こすと、部屋のドアが叩かれまくった。


「……マジかよ」


 おれは慌ててからだをあらためた。愛用の短剣が手元にない。

 かつて王が言った。

 言論と思想に自由あれ。

 真っ白すぎて眼球が漂白されてしまいそうな御言葉だが、ペンを握れば誰もが悟る。


 自由とは反逆者を炙り出すための罠だ。


 おれは明日からの整理整頓を誓いながら短剣を探した。ノックが激しく鳴り響く。そこらの書類をひっくり返す。ない。魔法で探すのは却下。居留守を試すべきか。無理だ。燭台の火が点きっぱなしだ。足音にも迷いがない。在宅を知っていての所業だ。


 服の山をあさり、取材鞄を開き、ノックの音にスラムで取材した酔っぱらいの悪党どもの姿を想像したところで、玄関扉の前に転がる短剣を見つけた。

 黒鋼の刀身に青い稲光のような模様が走るイカした相棒。昨晩ハムをスライスするのに使ったような記憶がないでもない。

 おれは昨日の自分に毒づきながら短剣を背中側のベルトにはさみ、柄に手をかけた。


「あいよー。あんまガンガン叩かないでくれよぉ。追い出されちまう」


 いいから開けろとばかりに扉が鳴った。


「おいおいおい! ちょっと待て! 名乗ってくれよ! おっかねぇよ!」


 軽口を叩きつつ襲撃者の首を掻っ切れるように備える。ノック。ノック。ノック。蹴ってきた。おれは右手を走らせながらドアを押し込み、慌てて短剣を左脇の後ろに隠した。


「……名乗れよ、マルセル」


 我らが週刊新聞『網の目』きっての才媛がいた。初見だとびっくりするくらいの美人で、家は笑っちゃうくらいの金持ちで、おれと違って歳をごまかさずに十七で新聞社に入ってきた変わり者。いくら平和な時代とはいえ新聞社に入る女は稀だし、雇う方も珍しい。


 少しばかり聖教会の信仰篤く、異常なくらい勇者サマ好きなのが玉に瑕――つけくわえるなら、おれを見下すのをやめ、おれの記事を嫌うのをやめ、真実がどうたらいう説教をやめ、『網の目』もやめ、他にも色々とやめてくれたら付き合ってやってもいいと思う。


 そのマルセルが、一言も発さず、黙ってろとばかりに空の左手を突きつけてきた。一秒、二秒、三秒が静かに流れ、青い瞳が獣の眼光を宿す。


「デックス。この記事は、何?」


 おれの鼻っ面に突きつけられたのは、まさにおれの書いた記事だった。

 誕生から二十年を数える栄光と伝統ある我らが『網の目』の、偉大なる叡智。

 ゴシップ――もとい、三面記事だ。


『勇者サマは危ないのがお好き!?』


 それが記事のタイトル。


「――これが何か? 反響は上々だって聞いてんだけど?」

「上々ぅぅぅぅ……?」


 マルセルの全身に怒りが漲る。もちろん目に見えるわけじゃあないが。おれは左脇の後ろで短剣を手放し素早くキャッチ、見えないようにベルトに挟んで両耳を塞いだ。


「ふっっっっっっっざけんな! 何よこの嘘まみれのクソ記事は!!」


 本日もきっと晴天なり。空なんざ見ちゃいねーけど。

 それが、おれの記事の書き方だった。

 

『偉大な勇者は危険のあとに女を抱く。英雄色を好むというが、勇者カーライルもご多分にもれないらしい。近々、魔王討伐十周年の祝祭を開くと噂のカーライルサマ。英雄がはしゃいだ伝説的な夜を紹介する前に、少しばかり栄光の軌跡を語らせていただこう……』


 冗長かつ煽り気味の書き出しだが、読者が求めそうなものを書き連ねていったらこうなったというだけだ。マルセルの目には嘘まみれと見えても、何ひとつ嘘は書かれていない。


 晴天を伝えるのに空を見る必要はない。


 外に出てみればいいのだ。

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