網の目
戦後みるみるうちに生活インフラを整えた王都の石路にバカ丸出しな騒音を撒き散らしながら車輪が回る。しかし、平和ボケの進んだ往来の人々は振り向きもしない。
向かいの席のマルセルが、おれを睨みつけながら鼻で息をついた。
「デックス。あんた、ちゃんと躰は洗ってるの?」
「……あぁ?」
おれは一張羅のシャツをはためかせ、犬のように鼻を動かす。まったくの無臭――というと嘘になってしまうが、ミスカ草の精油が爽やかに香っている。
「どこの香水かしらないけど、ヘドロと混じって最悪」
「さすがにヘドロは言いすぎだろ! つか、石鹸の匂いプンプンさせてスラムを歩くバカがいるなら教えてくれよ。来週の死亡記事に名前を書いといてやる」
「ほんと、バカよね。なんでデックスみたいなのが『網の目』にいるわけ?」
「そら、わざわざ対面で酷評してくれる熱心なファンがいるからだよ」
「……もう一回おなじこと言ったら、外に放り出すから」
「そら、わざわざ対面で酷評してくれる熱心なファンがいるからだよ」
マルセルの歯ぎしりを傾聴しつつ、おれは気分良く窓の外に目をやった。
魔王軍との直接対決に備えて石と鉄で補強された城塞のごとき街並み。芸術的な価値は微塵も感じられないが、戦略的価値なら狭い世界の最高峰にある。そんな、豊かさよりも安全を優先する通りに、『網の目』はそびえる。まるで砦の見張り台だ。市民を見守り王座を見張る義勇の塔――
二十年前までは。
現在では市民のシモを見張り王の靴を舐める売文家の巣窟といえる。もちろん、おれもクソったれ売文家の一匹だ。
馬車が停まり、御者がうやうやしく扉を開いた。マルセル嬢がサポートをうけながらしずしずと降りるのを待ち、おれはこれみよがしに唾を吐く仕草をしながら降りる。
馬車も御者も最悪だ。
蹄鉄なんてものをブチこまれて石畳を蹴る姿に野生はない。哀れな家畜を鞭でしばき倒してまで金にケツを振る背中は見るからに寂しい。
おれは馬車が嫌いだ。
世界を磨り潰す無思慮も、生きるものを磨り潰す傲慢も許せない。あと酔いそうになる。
「……デックス! 早く来い!」
「へいへいへーい」
深遠なる思考を音にする暇もない。カツカツカツカツ小気味よく踵を鳴らし階段を昇っていくマルセルの小さな尻を眺めつつ、おれは両手をポケットに納め猫背になってついていく。そんなおれたちを見て、大衆――というか『網の目』の社員が笑みをこらえる。
なんだかんだ言っても『網の目』エース候補のおれたちだ。揃えば人目を惹く。マルセルは類まれなる文才をもって一面を飾り、おれは三面以降でひっそり花を添える。
この『ひっそり』が重要だ。貴族が貴族として振る舞いつづけるには、その足元に奴隷のように働く民が要る。クソゴシップのクソライターがいるからマルセルの記事が輝く。
いつになったら気づいてくれるんだろうかと思いながら、おれはマルセルと社会部の扉をくぐった。つまり、おれが所属しているらしいフロアだ。
専用の机はない。テキトーな宿で記事を書き、デスクに渡し、掲載許可がでると金がもらえる。そういうのはフリーと呼ぶのが通例だが、おれはちょっと特別だった。所属こそ『網の目』だが、かなり自由な裁量を与えられているのだ。それも偏に文才のなすところ……ではなく、
「さぁ! 連れてきましたよ!? どんな処分を下してくださりますか!?」
「いきなりだなぁ、マルセルくん。そう言われても、デックスにいなくなられたら苦情の行き先がなくなっちゃうだろ?」
おれは世間サマがお抱えになられる巨大な悪感情のゴミ箱として置かれている。
社会部デスクはマルセル属する政経デスクのクソったれダブルスタンダード・ヘイズと顔を見合わせ、苦笑した。なにひとつ言葉を交わしていないが分かる。
――ヘイズゥ、頼むよぉ。
――でもねぇ、先輩ぃ。
クソつまらない無言の会話だが、事実ふたりの目線で『網の目』が回転する。
社会部のデスクは、ダブスタ・ヘイズの先輩で、ようするに力関係ではウチが上にある。逆らえないこともないが文句を言うのも難しい微妙な立場。ゆえに、
「ここはひとつ、穏便にすませられないかなぁ」
もちろん、マルセルは譲らない。脳天まで真っ赤に染めて叫んだ。
「デックスに制裁を!!」
まるで宗教裁判だ。マルセルの脳内では実際そうなのだろうが冗談じゃない。
「デスク!」
「うん。正直に言おうか」
デスクは中途に太った腹を叩き、薄くなった髪を撫で、右手をあげた。
「いい仕事だ、デックス!」
おれはヘイズとマルセルの目の前でデスクと手を打ち合わせた。ふたりの眉根がこれでもかと寄り、約一名の口から怨嗟の声が流れたのは言うまでもない。
その点、デスクはわかっていたようで。
「ただ、問題もあった」
「……問題ッスか?」
「お前の書いた記事に、『網の目』始まって以来の苦情がきてんだ」
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