壊された空間



空気が切り裂かれている。



その狭間から見え隠れしている、ここではない世界。



歪みはあちこちに生じ、混乱を免れることは最早できそうにない。





城は崩れ去り、空は荒れ狂い、竜巻が生じ、雨が降り頻っていた。





何もない空間に、つまらなさそうに座している男が居る。





その足元には、白い虎のような獣が咆哮を上げている。





ずっと下にある切り立った崖に、横たわる黒い翼の女がおり、その隣に縋るようにして泣いている、やはり黒い翼の女があった。





かろうじて、虎と対峙するようにしている白い片翼の女は、翼とは逆の肩に怪我を負っており、鮮血が流れていた。




見るからに重症に見えるのに、彼女は痛みなど少しも感じていないようで―






「クミをどこにやったのよっ!?」






獣の向こうにいる男に向かって、怒鳴り声を上げた。




「おい右京、タクミだけじゃないんだぞ?」




彼女のすぐ脇で、同じく片翼の男が突っ込みを入れる。




「左京は黙ってて!」




右京は噛み付くように横目で左京を睨みつけるが、直ぐに視線を男に向けた。





しかし、最初から男は一度として口を開こうとはしなかった。




緊急事態は予想していたよりも早くに生じた。







「まさか、、時を混同させるとはな…」





忌々しげに吐き捨てた白髪の王は、自ら大きな結界を張り、被害が民に及ばないように力を使っていた。




赤髪の王も同じようにしていたが、世界はとっくに破壊されている。




王族が力尽きれば、結界も消える。



時間の問題だった。





優秀な家臣を一人、失った。




誰一人、無傷ではない。




そう、無言の男、蓮貴だけを除いては。



時間が入り混じり、灼熱の国の境も極寒の国の境もなくなってしまった。



白き獣は封じられていた檻から解かれてしまい、温度師の犬のようになっている。





「何故、さっきから何も言わんのだ…」





燕軌が怒りを燃え上がらせた。




側近であった鳳は、突風吹き荒ぶ中、果敢にも蓮貴の間合いに入ろうと挑んだ。




しかし、蓮貴は指ひとつ動かさず、鳳は動かぬ者となった。




しかも、鳳は蓮貴に触れることは愚か、近寄ることすらできずに。





「お前は、世界を滅ぼして何をするというのだ!!」





燕軌の片腕から、鷲のような炎が燃え上がり、蓮貴に襲い掛かる。





翼を広げたそれは蓮貴の結界に噛み付き、鋭い爪を立てようとするが、蓮貴はそれをちらっと一瞥すると、人差し指を上から下にすっと振り下ろした。





するとたちまち氷の剣が鷲を突き刺し、あっという間に消しさった。






「…燕軌どの。感情で動かれるな。奴は強い。我々が力を合わせなければ、力を無駄に消耗することになりますぞ。」





鳳凛が、肩を落とした燕軌に耳打ちする。




全員が、蓮貴の力に圧倒されていた。





「いつまでだんまり決め込んでんのよー!!!クミを返しなさいよ!」





勝ち気な少女以外は。



ガァァァッ!!



動かぬ闘いに痺れを切らしたのか、白い虎が右京に再び襲い掛かる。




「あー、もう!あんたはも少し大人しく寝てた方が良かったのに!あたしはあんたのこと嫌いじゃないの。」




大きく開いた獣の口に、臆する事無く右京は飛び込んで行き、その牙をぐいっと持ち上げる。





ガァガァガッ!!





閉じようとしても、叶わない口に、獣は戸惑っているようだ。






「ふふんっ」





得意げに笑った右京は、次の瞬間少し残念そうに眉を下げる。





「ごめんねっ、あんた、ちょっと悪さが過ぎるから、この自慢の牙を折っちゃうね?」





言い終わらないうちに、二つの牙を片手ずつ持ったまま、右京は掛け声を掛ける。




「えいっ!!」




ガキーーーーン




バラバラバラ





術を使ったのか、単なる握力を使ったのかは定かではないが、獣の牙は粉々に砕け散った。




支えがなくなったせいで勢い良く閉じられた口から、右京はぱっと外に出てくると、今度はその鼻っ面に思い切り握った両手を振り下ろす。




ゴスッ




キャインッ




犬が鳴いたような声がして、獣がその場に崩れる。




浮力を授けられていたそれは、意識を失くした瞬間に解かれて落下していく。





ズシャーーーーーン!!





黒い翼の双子から少し離れた場所に、獣は勢い良く倒れこんだ。






「お前…殺すなとか言っておきながら…」





一部始終を手出しすることなく見ていた左京が、呆れたように右京に言うが。





「まさか、死んでないわよ。ちょっと寝てもらってるだけ。」





けろりとそう言うもんだから、左京もむっとする。





「でも、あいつ操られてるんだろ?ちょっと寝かしておくだけじゃ―」




左京が言いかけた所で、右京が首を振った。



「違うのよ」




「何が?」




右京は小さく溜め息を吐く。




「今回、あの子は操られてはいなかった。瞳は正常だった。」




左京は目を開く。





「は?マジかよ。ってことは―」





右京は頷き、左京の言葉を継いだ。





「自分の意思で、あの男に仕えてる」





言葉を持たない野獣が、心を開く温度師。




今更ながら、右京の頭に思い出される言葉があった。





―蓮貴は…そんな悪いヒトには見えませんでした。




「とにかく、その子が目覚める前に蓮貴に力を使わせないと…」




右京はそう言って王達を見た。



蓮貴を封印する為には、蓮貴が力を使っている時を狙って王達に封印の術を使ってもらうしか方法はない。




しかし、先程からその隙を掴むことができないでいた。



何故なら、ほとんどといっていいほど、蓮貴は力を使っていなかった。




使ったのは、王族が揃う前。



しかも、いとも簡単に、蓮貴は時間を混同させる術を使ったが。




あれを使える者は、恐らくこの世界に彼以外、居ない。




幻の大術だった。



彼の力は想像を遥かに越えて、強大な物となっている。




ただ、解せないのは―




その術を使って、蓮貴が何をしたいのかということだった。




一気に滅ぼすことも、可能だろうに、彼は一体どんな結末を望んでいるのだろう。




しかも、そのせいで、この場から人間が揃いも揃って姿を消した。



何処へ行ったのか、再三尋ねているが、蓮貴は相変わらず黙したままだった。





「蜻蛉(あきつ)!!!」





右京は、鳳の亡き骸を抱き寄せながら、泣いている黒い翼の少女を呼ぶ。





「いつまでも泣いてたら埒があかないわ!早く位置に戻りなさい!」





声を張り上げて、呼びかけた後、右京は左京を振り返る。





《左京》




二人にしか聴こえることのない声で、右京は念じる。




《あたしが今からあの男の背後に回るから、あんたは正面をお願い。蜻蛉には下から仕掛けてもらう。タイミングは点が繋がる時に合図するわ》





右京に応える、左京の声が直ぐに返って来る。




それに対し、右京は「ん」とだけ言って、直ぐに急降下し始めた。




そして、蜻蛉の傍に寄り、何事か耳打ちすると、直ぐに王達に合図を送る。





チャンスは一度、だ。





ひゅっと、いつになく感じる緊張をほぐすために息を吸った。







―クミ。





今、ここに居ない少年に、無意識に語りかけていた。






―今、何処に居る?






クミが言ったように、蓮貴はもしかしたら、そんなに悪い奴じゃないのかもしれないね。





話し合えたら、最高だったのかも。






でも。




でもさ。




現に、ここに、クミが居ないじゃない。






あたしさ、結構、、怒ってんだよね。




もしかして、死んでたりなんか、しないよね?





クミが居なくなって、蓮貴が悪いかどうかなんて、どうでも良くなったの。




そんなの、構ってられないのよ。




このままだと、こっちの体力がなくなってしまう。




持久戦に持ち込まれたら、最低な結果になるわ。




―そしたら、クミを捜せない。






いつの間にか集中するために閉じていた瞼を、カッと開くと同時に、右京は地面を思い切り蹴り上げ、羽ばたく。





蓮貴の、背後に回る為に。













―クミ。









クミのことは、あたしが絶対に守ってあげる。





必ず、見つけ出すから。

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