白い花に籠められた想い


蓮貴の力を見てから何日か経った。



一度、屋敷を案内してもらったことがあったが、広すぎて途中で棄権した。




離れには、稽古場みたいなものがあって、もうほとんど使われていないのだと蓮貴が教えてくれた。



もう、師がいないから、仕方ないのだと。



ちなみにこの広い屋敷には蓮貴と使用人だけなのかと思っていたが、母親も居た。



門の傍でちょうど出かける所に僕等と出くわしたようだった。



この事実に僕は結構驚いて、蓮貴にそっくりの黒髪の美人だったのを確認し、蓮貴の容姿の良さに納得した。



お世話になっている御礼を伝えたかったのだが、母親という人は蓮貴を前に深々と頭を下げていたために、叶わなかった。



その傍を蓮貴は何食わぬ顔で通り過ぎて行き、僕はそれを追いかけながら、彼の複雑な胸の内を慮った。



父親も居るらしいが、役人で多忙を極めており、そうそう家に帰ってくることはないらしい。





言葉には出さなかったが、青年の持つ孤独を垣間見たような気がした。





「蓮貴様は、今日はお出かけになられているようですよ。」




玄が運んできてくれた昼飯を平らげている際、蓮貴はどうしているか訊ねたらこういう答えが返って来た。




「あ、そうなんですか…」




言いながら、珍しいな、と思っていた。



僕が目を覚ましてからというもの、蓮貴は大体の行動を僕と一緒にしてくれていたからだ。




「あのー…僕が倒れていた場所って、、わかります?」




体調も大分良くなり、体力も回復しつつあったため、特に制限なく自由にして良いと言われた僕は、ひとりであの場所に足を伸ばしてみようと考えた。




「はて、、存じ上げておりませんが…」




玄は渋い顔をしている。




「なんか、、くぼんだ所だったみたいですけど…ちょっと開けてて、水の音がしました」




僕はもうないに等しい記憶を懸命に思い出しながら、玄に心当たりがありますようにと願った。





「水…窪み…」




暫く思案していた玄は、突然「ああ!」という声と共に、ぽんと手を叩いた。




「きっと、蓮貴様がお好きな場所でしょう!えぇ、あそこならわかりますよ。蓮貴様が幼い頃からよく通っていますゆえ。」




「良かった!そこはここから近いですか?」




僕はほっとしたのもあって、笑みを溢しながら訊ねる。




「元々狭い村ですからねぇ、端から端まで行っても一日あれば着くくらいです。そこも大した距離じゃないですよ。門を出て右にまーっすぐ行けば、見えてくるでしょう。」




玄もにこにこと親切に教えてくれながら、手際よく食器を片していく。




「ありがとうございます。」




カチャカチャという食器の音を、心地よく感じつつ、僕は自分を探さなくてはと考えていた。




記憶はカケラさえも、僕の前には現れてくれず、ひっそりと影を潜めている。




まるで、隠れているかのように。




思い出されることを、恐れているかのように。




========================




先日蓮貴と歩いた道を、僕はひとりで歩いた。



ちょうど昼を少し過ぎたばかりなせいか、こないだのように畑を耕している人や田んぼに出ている人は見かけなかった。




空は今日も青く澄んでいる。



陽射しがやや強いために、遮る雲が欲しくなるくらいだ。




ただただ、真っ直ぐの単調な道が続く。




「あ。」




途中まで歩いて、蓮貴が引き返した場所まで来たことに気付く。




栗色の髪の女の子は、今日は居ない。




僕は二人の間の切ない距離をやるせなく感じつつ、歩を進めた。





―下手に記憶なんかがあるから、色々と面倒なのだ




いつか蓮貴が言っていた事の意味が、少し理解できた気がした。




楽しい記憶があればあるだけ、離れて独りになった時、辛くなる。




恐らく、そう言いたかったのだろう。




身体が汗ばんできた頃、僕は目的地に到達したことに気付いた。



道から少し外れた場所に、木々が囲むように植わった窪みを見つけたからだ。




玄の言ったとおり、大して遠くはなかった。



が、近いという気もしなかった。



それは、ここが見知らぬ土地であるせいかもしれないが。



疲れを感じ始めた身体を休ませようと、木の幹に手を着いて一息吐いた。




額の汗を拭い、下に目をやる。




と。





「お…」




窪みに出来た小さな池が、真っ青な空を反射させている。




その淵を、白い美しい花が囲うように咲いている。




さらにその周りは、薄黄緑の草の色で染められていた。




ふくらはぎに感じていた重みなど吹っ飛んで、僕は急かされるように池のほとりに立つ。



単純に、この場所が好きだ、と思った。



懐かしいとさえ、感じた。



とするならば。



自分はこの場所に縁(ゆかり)があるのかという考えが頭を過ぎる。





まじまじと見てみても、池の水は澄んでいた。




そして、ふと、その脇に咲く、白い花に目をやった。






「これ、確か…」





その花びらに手を当ててみて、呟く。




確か、蓮貴の部屋にもあった気がする。





白い、花…。





「つ…」




そこまで考えた所で、急な頭痛に襲われた。




どうしてだろう。




この花を見るといつも、何か思い出しそうな気がする。





とても、大切なことを。




余りの激痛に、頭を抱えるようにしてその場にうずくまった。



膝が、池の水に当たり、衣服が濡れていく。




このまま、いっそのこと池の中に落ちてしまった方が楽なのではないか―




そんな風に思った瞬間、





「ちょっと…大丈夫?!」





斜面を滑るような音と共に、女の子の驚いたような声が聴こえた。





「しっかりして!」




視界が暗く、ふらふらとする中、僕は女の子が肩を抱き、背中をさすってくれているらしいことに気付く。




すると、どうしてか、発作のように僕を悩ませていた痛みは和らいでいき、浅い呼吸とびっしょりとかいた汗以外は治まった。





「ありがとう…」




懸命にさすってくれている彼女から、やんわりと離れ、御礼を述べると、彼女の顔がはっきりと見えた。





「あ、れ…君は…」




蓮貴に話しかけていた女の子だった。





「…はい、どうぞ。」





彼女は肩から紐でかけていた筒の様なものをぱかっと開けて、僕に勧める。





「え…?」






何かわからずに、首を傾げると、手に押し付けられた。






「水。飲んだほうが良いわよ。」





ぶっきらぼうに、彼女はそう言うと、ぷいとそっぽを向いた。





「あ、ありがと…」





言われるまま、僕は躊躇いがちに口をつける。




自覚していた以上に、僕の喉は渇いていたようで、冷たい水は非常に美味しかった。






「全部、飲んじゃっていいから。」





ごくごくと喉を潤す僕を横目で見ると、栗色の髪の彼女はクスリと笑った。



厚意に甘えることにして、僕は全部飲み干した。




すっかり、落ち着きを取り戻した僕は、口を袖で拭いながら、隣に座って草をいじる彼女に声を掛ける。





「あ、の、本当に、どうもありがとう…ところで、、君は、蓮貴の、友達、、、だよね?」





「こないだ、思い切り無視されてた、ね。」




僕が気を遣って言わなかったことを、彼女ははっきりと自嘲気味に言った。






「いや…その…」






なんとなく気まずくて、返す言葉に困っていると、





「翠、よ。私の名前は翠。あなたは?」






彼女が訊ねてくれる。





「今は、星って呼ばれてる…」





名前って大切なんだなと、今更ながらに思った。




「今は、って?」




当たり前だが、今の言い方が腑に落ちなかったらしく、直ぐに翠が訊き返す。




「実は…僕、ここで倒れているところを蓮貴に助けてもらったんだ。だけど、記憶がなくて…」




言いながら僕は小さく溜め息を吐いた。



そう、それをなんとか取り戻したくてここまで来たのに。




「そうだったの。大変ね。でも、ここの村の子であることに間違いないからそんなに心配しなくても大丈夫よ。」



「どうして?」



「だって、この村に入れる者は、この村の者だけだもの。」





翠は当たり前のことだと言うように、僕を見た。



そう言われれば。



蓮貴にも、同じようなことを言われたなと思い出す。





でもこの狭い村に、僕が居たとしたら、僕の正体をわかる者がでてきても不思議はないんじゃないだろうか。



「途中で出て行って、帰って来たら帰るところがなくなってた、ってことはあるのよ。」




質問をぶつけてみると、翠はなんてことはないように答えた。




「どういうこと?」




さらに訊ねると、翠は僕を上から下まで眺める。




「星は、外見からすると、、まだ若いわよね。で、その若さで途中で村を出て行って、例えば空間を支配する国に行ったとして、王宮かなんかに長いこと居たとすれば、時間の流れがあそこは違うから―帰ってきたら知り合いが居ないってことは在り得るわ。」




翠の説明に、僕の頭はこんがらがるばかりだ。





けど、もう一度訊ねてみても、これ以上の答えは期待できそうにない。





「…そうなんだ」




とりあえず、理解できたフリをした。





そんな僕を見て、翠は全部お見通しとばかりに、また小さく笑った。




「それにしても、大丈夫なの?さっき、かなり痛そうだったけど…」





言いながら翠が、僕の頭の辺りに目をやった。





「あ、ああ…陽の光が眩し過ぎて立ちくらみと頭痛が起きたんだと思う。翠のおかげでもう大分楽になったよ。」





「…誰かもそんな風に素直だといいんたけどなぁ…」




僕を通して誰を見ているのかは見当がつく。というか、1人しかいない。




「誰か…って、蓮貴のことでしょ?」





「あ、わかった?」





べっと小さく舌を出して、にやりと笑う翠。





「小さい頃から仲が良かったんだけどね…ある日を境に避けられるようになっちゃったの。」




「ある日…って?」




肩を落とした翠に訊ねると、翠は笑みを崩さないまま、ふっと息を吐く。




「温度師について、色々訊ねたことがあって…でも怒られちゃってね…それからかな、蓮貴がよそよそしくなったの。」




「温度師の村なのに、温度師のことを知らないの?」




つい、訊いてしまって、すぐにしまった、と思った。




「…そう、笑えるでしょ?」




翠の顔が、暗くなったからだ。




「温度師になるのは、男なの、ずっと。女はほとんど力を持たない。だから、温度師の母にでもならない限りは知ることはないの。」




「でも、前の代の温度師のお母さんとかに訊けば教えてくれるんじゃない?」




また、失敗したらしい。




今度は翠がちょっと馬鹿にしたように笑ったからだ。





「温度師の世代交代は千年に一度よ。ここに居る人間の寿命は短い。生きてやしないわ。それに…皆余り話したがらないの。」





プチ、と小さな音がして、水が花の茎を手折った。




「結局、蓮貴からも、何も教えてもらえなかった…」




僕が知っていると言ったら、翠はがっかりするだろうな。



少し前の蓮貴を脳裏に思い浮かべながら思った。



あの裏山のてっぺんで。



呪われた力だと呟いた蓮貴に、僕が同意すると、彼は驚いた顔をした。




村の者達は、選ばれし一族と言うのに、と。





「…翠は、蓮貴を誇りに思う?」





「―え?」





唐突に聴こえたのだろう。



翠は首を傾げた。





「翠は、蓮貴が温度師だっていうことに、誇りを感じる?」





もう一度訊ねると、翠は足を前に投げ出し、地面に手を着いて空を仰ぐ。





「うーん…私にとって、蓮貴が温度師か温度師じゃないかっていうのは、関係ないの。温度師を知りたかったのは蓮貴がそうだからであって、蓮貴じゃなかったら、どうでも良かったわ。」




ふふと笑う翠は、正直に言っていいならば、やっぱりかわいかった。



あー、翠は蓮貴のことが好きなんだな、と思った。



そして、恐らく蓮貴も。




「この花ね、小さい頃、蓮貴が私の頭によく挿してくれたの。」




手折った花の香りを吸い込みながら、翠が懐かしむように言った。




「あの頃に戻れたらな…」




叶うことのない呟きは儚く消える。




「蓮貴が温度師になったら、翠はどうするの?」




「どうって…どうもしないわよ。」




ふと浮かんだ疑問に、翠は諦めているかのように答えた。





「ただ、元気にしてくれていれば、それで…」




一瞬俯きかけた翠が、はっとしたように口に掌を当てる。




「っといけない!畑を手伝ってこなくちゃ。星、またね!」




慌てて立ち上がると、飛ぶように去っていった。



懸命に走る翠の背中を見送ってから、僕は心地よさそうな草の上に寝転んだ。



木陰で、腕を枕にして、空を眺めていると、必然的に瞼が下がってくる。




眠い。




空腹も満たされている。




ここで出来た二人の友人の恋心がなんとかうまくいかないものかと悩みつつ。




良い解決策は浮かばない。



堂々巡りな思考回路にいつしか、うんざりしてくる。




そこへ、優しい鳥のさえずり。




ちょうど良い送風。




様々な状況は、素晴らしく良く重なって。




自分がここでしようとしていた当初の目的をすっかり忘れ、僕は深い眠りに落ちた。




========================




目を覚ました時には、辺りは朱色に染まっていた。




「ん…」




寝返りを打つことをしなかったらしい身体は、同じ姿勢を保っていたせいでやや痺れている。




ぐいっと伸びをするために腕を振り上げる。





「いてっ」





……



ん?



同時に何かに当たった衝撃と、自分のものではない声がした。





パチっと目をはっきりと開き、僕は腕の行った方向に首を曲げる。





「わぁっ!!」





余りの驚きに仰け反って悲鳴を上げた。




なぜって。



さっきまでは確かに居なかった隣に、蓮貴が本を広げていたからだ。




初めてここに僕が居た時のように。



「失敬な奴だな。人の腕を殴っておいて。」





少し口を尖らせて蓮貴が言う。





「いや、そんな所に居るとは思わなかったから…」





言いながら、僕は身を起こし、蓮貴の広げている本に目をやる。



瞬間、パタンと閉じられた本の装丁は濃紺だった。





「それ、何の本?」




「図鑑。」




短く答えて、蓮貴は大きな布に手早くそれを包んだ。





「ここで、何をしていた?」




「えっと、、なんだっけ…そうそう、自分が倒れていた場所に行ってみたら何か思い出せるかと思ってきたんだった…」





今更ながらに思い出した目的の、ひとつとして遂げられていない事に気付き愕然とする。





「で、何か、思い出せたのか?」




容赦ない蓮貴の質問に、僕はがっくりと項垂れた。




「何も…っていうか、翠が来たから…」


「翠が?」



「うん。僕がちょっと具合が悪くなったのを、通りがかって介抱してくれたんだ。」




蓮貴は、へぇ、と興味なさげに答える。




「蓮貴のこと、気にしてたよ。」




「…そうか」




それだけ言うと、彼はすっと立ち上がる。




「さ、行くぞ」




「あ、うん。」




続いて僕も立ち上がると、プチっという音がした。




「?」




不思議に思ってみてみると、蓮貴が白い花を手折っていた。





「それ、気に入ってるの?」




僕が訊ねると、蓮貴は背を向けて歩き出しながら、




「別に。」




と素っ気無く答えた。



そんな蓮貴の態度に僕はにやにやしながら、彼の傍に駆け寄り肩肘で小突く。




「翠も、その花持ってってたよ。」




「…そうか。」




「蓮貴が小さい頃よくくれた花だって言ってた」




そこまで言うと、蓮貴が立ち止まって僕をジロリと睨む。




「…何さ」




顔の筋肉が緩んだままの僕は少しの抵抗を試みる。




そんな僕を暫く見つめていた蓮貴は、やがて大きく溜め息を吐いた。





「なんか…星は段々図々しくなるな。」





諦めたように呟いて、また歩き出す。





「ちょ、それどーいう意味だよー」




僕はまだへらへらと笑いながら、蓮貴の後を追い掛けた。





時経つにつれ、蓮貴と僕の間に他人行儀みたいなものはなくなっていて、まるで古くからの友人のように、お互いに気を許しあっていた。




いや、僕の方がやや一方的に蓮貴になれなれしくなっていって、蓮貴がそれに仕方なく付き合ってくれていると言った方が真実により近いとは思うが。



蓮貴は思ったよりもずっと、根の優しい青年だった。




「なぁ、蓮貴ー」



「・・・・」




二人の影が長く伸びる。



赤い夕焼けがそろそろ闇と共になろうとしている。



辺りは、相変わらず、静かだ。



だから余計に、話し声が響く。




「ねーねー、翠のこと、好きなんでしょ?」




「・・・・」




「白状しちゃいなよ」




「・・・・」




「伝えないの?」




「・・・・」





「なぁ」





僕は早足で前を行く蓮貴の後ろを付かず離れずで歩く。






「いつ、蓮貴はいなくなっちゃうんだよー」






一方的に響く声は、夕暮れ時の今、やけに寂しげに感じる。




「…わからない、だが、もう、そろそろだ。」




ずっとだんまりを決めていた蓮貴が、歩調を緩める事無く答えた。




「わかんないの?はっきりと決まってないの?」




僕も変わらずに、蓮貴の後ろを歩きながら訊ねる。




「今の、温度師が死んだら、千年に一度の鐘が鳴る。それで、世代交代の時が来たことを知るんだ。」




「へぇ、そうなんだ…」



蓮貴の言葉を咀嚼するのに時間を要するため、僕は少し口を閉じる。





「…じゃあさ、かなり突然なんだね?」




「そうだ。」




僕の導き出した結論を、蓮貴は淀むことなく肯定した。





「寂しいな」




受け止める相手の居ない言葉は、風に吹かれて消える。






「そしたら僕も旅に出ようかな。」




陽はすっかり沈み、あちこちから虫の音が聴こえ出す。




「村に居ればいいじゃないか」




「でも、蓮貴がいなくなったら、つまらないし」




僕がそこまで言うと、蓮貴が急に立ち止まる。





「…星は、翠のこと、どう思う?」





「―は?」




つんのめりそうになった僕はなんとかブレーキをかけて留まる。





「あれの、器量は良い。」




振り向かない蓮貴の表情はわからない。




「どういう意味?」




僕は思わず眉間に皺を寄せて訊ねる。





「俺は―」




そこまで言って、やっと蓮貴は振り替えった。





「翠とお前が一緒になってくれればいいなと思う」





蓮貴の表情は、いつになく優しい。




でも、出された提案は、受け入れがたいものだった。






「…なんで、急にそんなこと言うんだよ。」





僕は、悲しいを通り越して、小さな怒りすら覚えた。





「蓮貴は、翠のことが好きなんだろ?彼女だって、蓮貴のことが―」





「やめてくれ」




言いかけた僕を、蓮貴が手で制す。





「なんで…」




「それを知ったところで、俺にどうしろっていうんだ?」




苦々しく呟く蓮貴に、彼が感情を押し殺していることを悟った。



「温度師には禁忌がある。誰かを愛することは世界の均衡を揺るがす。」





蓮貴の声は、とても小さくて低く、聞き取るのがやっとだったけれど。





「俺には、友はお前だけだ。そして、星だから、願いたい。翠を幸せにして欲しい。」





闇夜を照らす、月明かり。



僕と蓮貴はその場に立ち止まったまま、どちらも動かない。





何か。



方法はないんだろうか。




僕の頭の中に、翠の切なげな横顔が浮かぶ。




それから、視線を自分の手に落とす。





自分に、何が出来ると言うんだろう。




自分が誰かも分からず、何の力も持たないのに。





「一緒になる、ってことが、もし難しいのなら、見守るだけでもいいから。」




返事すらできない僕に、蓮貴が懇願するように言う。





「そうして、この花を僕の元に送ってくれないか?」





蓮貴の胸に挿された白い花が、月光を浴びてキラキラと輝いた。



途端に軽い頭痛が僕を襲う。




「その花、何かあるの?」




痛みに顔をしかめながら、僕は訊ねた。




「この花は―」




すっと蓮貴は胸に挿さる花を抜く。




「翠と一心同体になるように、術をかけてあるんだ。翠が元気なら、この花は枯れることなく美しく咲く。病にかかれば元気がなくなる。」




「…それじゃ、蓮貴の部屋に飾ってあるのは―」




僕の言葉に蓮貴はふっと笑った。




「俺は傍にいてやれないから。」




蓮貴の瞳が、揺れる。




じゃ、いつもあの池のほとりにいるのも。




―蓮貴様がお好きな場所でしょう!



―幼い頃からよく通っていますゆえ。





離れていても、見守れるように。






この白い花を通して、彼女の姿を映して。





「っつ…」




「っ星!?」





激痛に倒れこむ僕に驚き、蓮貴が駆け寄る。




視界が急激にぼやける。




それは意識が遠退いているからか、痛みから来る涙のせいなのか、それとも―








愛しい彼女への、秘められた、明かすことの出来ない想いが。






籠められた、白い、花。








何かを、思い出せそうなのに。





蓮貴。




僕は、君に幸せになってもらいたいよ。








―親しい友の想いを知ったゆえに溢れる、泪のせいなのか。

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