物語は必然に



「うぁっとと…」




あっちこっちに滑りながら、上手くバランスを保ちつつ、右京が奥の部屋からこっちに来る。




「あ、右京…」




僕が呼ぶと、右京はこっちをちらっと見て、にやっと笑った。



そして次の瞬間、彼女は宙を飛ぶ。




そーか。




飛んでしまえば、地面が揺れていても関係ないのか。





「クミ!大丈夫?」





その声に、先程のような冷たさは残っておらず、僕はほっとする。






「うん、でも、、立っていられない。これ…どーいうこと?」





「わかんない…」





右京も考え込む仕草をした。




「あっ、でっ、その、二人っだけどっ」




揺さぶられながら、僕はない腹筋に力を籠める。




「協力っして…くれるって!」





僕の言葉に同意するように、溝端と尭が同時に頷いた。






「お、さーんきゅー」





右京はなんともゆるーい感じで、また笑った。



え、そんなもんなの…




ほんと、女心って奴は、未知の世界だ。




「とにかく、ここで踏ん張ってて!あたし外見てくる。」




右京がそう言ってゆるりと飛んでいくと、部屋のドアが自動的にぱっと開いた。




閉まる直前にちらりと見えた廊下は、グスたちが滑って、てんやわんやしていた。






「右京ちゃん…飛んでたな…」




ずれ落ちそうな眼鏡を抑えつつ、溝端が冷静に呟く。




「う、うん、、なんか、ほんと…ちょっと私自分の頭心配になっちゃったけど…現実っぽいね…」





尭の言葉に、僕は予想よりずっと早く、この二人は目の前のことをありのまま受け入れるだろうと思った。





しかし。




一体、この原因不明の揺れは何なんだ?




僕は、必死に考える。





この国で果たしてこんなでかい地震は、珍しくないことなんだろうか。





右京にちゃんと聞いとけば良かった。






そしたら、この意味不明な胸騒ぎは、もう少し治まっていただろうに。


掴まっていた絨毯はいつの間にか僕等の手を離れ、窓際に滑ったり、廊下側に滑ったりしている。



僕等も、身体のあちこちを角にぶつけたりしながら、何もできない。



幸い、右京の部屋には、がちゃがちゃするものが少なかったため、割れる音は照明ぐらいだ。




大きなテーブルも、椅子もないからその点ではこの部屋に居て安全だと言える。



船酔いしている時のような気分の悪さが残るがまぁそれは良しとして。






ただ―




「うわぁっ!」




一段と大きく揺れた際に、僕は部屋の窓際までまた流される。





「おわわわ…」




もう何度目かの揺れに耐えられなかったのか、バルコニーへと通じる窓際の扉がばかっと開いてしまった。





僕は吸い込まれるようにそこに滑っていく。





「卓!!!」




溝端がどっからか呼ぶけど、振り向きようがない。



このすべる力には抗えない。




確か右京の部屋は高い位置にあったような気がする。




いや、それどころか、このすべての建物自体が、高台ではなかったか。





―無理だ、死ぬ。




僕は滑り落ちるスピードと恐怖に目を瞑った。



無我夢中で、何かに掴んだ感触はあった。




それと同時に、ピタリと揺れが治まる。






「―へ?」





僕はどうも、落ちていってはいないようだと気付く。




だけど、この、、、心もとない…何かにぶらさがっているような、、感覚は一体…。






恐る恐る、僕は瞼を開く。




最初は薄らと。



次にはっきりと。






「おわぁぁぁぁ!?!!?!?」






傾いたままの建物。




僕の下は断崖絶壁。



闇がばかっと口を開けて待っている。





僕は片腕だけで、観音開きの扉の端を掴んでいる。




だが、4つある内、2つの蝶番は、僕の重みのせいか、はたまた大きな揺れのせいか、壁から外れてしまっている。





ぱらぱらと、崩れた壁の石が落ちていくけれど、地上についた音は一向に返ってこない。



「卓!」



「卓毅!」





部屋の中から、溝端と尭が二人して呼んでくれてはいるが。





「ちょっと、、、こないで…」





その重みで、こっちに傾きそうだから。




二人はそのまま、今の位置に居てください。




っていうか。




なんなんだ、この状況!?



よく見たことあるな。



漫画とか、テレビとかで。




実際なってみると…




腕が、痛い。




とにかく、痛い。





自分の体重は重いほうではないのだが。




重い。




「くっ…」




ギシ、と扉が軋んだ音を立てた。





腕の痺れがどんどん広がって行き、感覚がなくなりそうだ。




完全に無くなったら、それは落ちる時だろう。




あー、なんでもっと筋トレしなかったんだろう。




変なとこで後悔の念が押し寄せる。




僕はスポーツはできる方だが、トレーニングなんてしていない。





むしろ、没頭するほど、僕は何かに夢中になることがなかったんだから。





パキンッ





何かが外れた音がして、蝶番がまたひとつ奈落の底に落ちていく。






キラッと光るそれは、なんとなく虚しさを感じさせた。






「ちくしょ…」




びりびりとする腕に指に悪態を吐く。




もう、駄目かもしんねぇ。




落ちたら痛いのかな。




あ、でも、その前に余りの高さに気を失うか。





じゃー、まぁいいか。




だけどちょっとだけ。




この世界の行く末を。




見たかったような気もするな―




パリンッ




最後の蝶番が、外れた音がした。





「卓っ!!!!」




溝端の呼ぶ声と、悲鳴のような声が響く。




掴んでいた手から、力が抜け、止まっていた血が中でどくどくと流れ出したのがわかるようなわからないような。





お前等、後はなんとかしろよ。






あろうことか、僕は笑った。






絶叫系の乗り物は、昔から苦手なんだよな。





この、内臓が浮く感じが、大嫌いなんだ。





け、ど。





「…あれ?」





扉は確かに僕よりも下に落ちていった。




なのに、僕の視界は、一向に城の窓際から遠退いていかない。




何より、僕の身体に胃が浮くような感覚は無く。




強い浮力が加わっている様に、僕は何故かその場で止まっていた。



「あー、良かった!間に合った。。。」




少しだけ、息を切らした声が、間近でした。




「え?」




僕はきょろきょろと辺りを見回す。





「ナイス!右京ちゃん!」





見ると、先程まで僕が掴まっていた扉があった壁際まで溝端と尭がやってきて、こちらを見ている。






そして、僕の1m先に、右京が、




「いぇい」




と得意げにVサインして居た。





う、右京…





た、、助かった。






僕は、腰が抜けそうになったが、そこは男だから、ちょっと我慢。




今更ながら、冷や汗をかいていたことに気付く。




続いて、外の空気が予想していたよりも冷たくないこと。





それどころか吹雪いてすらいないことにも、気付いた。




「右京…?なんか、変じゃない?」




僕が呟いた言葉に、右京は真顔で頷く。




「変、どころじゃないわよ。さっき起きた揺れもとーってもおかしいわ。」





そう言って、崩れかけている建物を指差す。




「かなり長くここに居るけど、地面が揺れることなんて今まで無かった。それに、この城には協力な術がかけてある。何かがあったとしても影響は無い筈よ。なのに―」




難しい顔をしながら、右京の話を上の二人も静かに聴いている。




「ここまで損壊しているってことは…、こっちの世界の現象なわけじゃなく。。この城自体が狙われたってことよ。」





片翼の翼をはためかせながら、右京は腕を組んだ。




そこへ―






「なんだ、それ、タクミどーしたんだよ?大丈夫だったのかよ?」





右京とは反対の位置にある片翼の持ち主、左京がやってくる。





二人共、翼があって、飛んでいるからなんとなくいいけどさ。





僕は何かの力によって浮いているだけだから、すごく落ち着かないんだけど。





いつか、落ちるんじゃないかってそわそわする。




…いや、まぁ、そんなことどうでもいいんだけどさ。




「あー、空間を切り取って制止させたのか。考えたな右京。」




感心したように顎に手を当てて、左京が口笛を吹く。



その風で左京の前髪が靡いた。





「相変わらずあんたはおっそいわね!あたしが異変に気付いて途中で出てきたから良かったものの。あとちょっとでクミは谷底へどすん!よ!」




「いやいや、俺は仮眠中だったしー。」




全く悪びれずに左京が言い返す。




「この揺れであたしが起こすまで寝てるあんたはどれだけ使えないのよ!?で!?王はこの事について何て仰ったか聞いて来た?」





がみがみ言う右京に、左京はやれやれと言う様に、肩を竦めてみせてから。





「蓮貴しかいない、とさ。」





今最も旬な要注意人物の名前を口にした。




右京も僕も凍りつく。




が。




左京だけはのんびりと。




「で、あれ、誰?」




壊れた壁際からこちらを覗いている尭と溝端を指差した。



「っていうか…何あの、現実離れしたイケメン…」




尭が呆然としながら、呟く。



いやそれよりも、色々突っ込む所は沢山あるだろうと思うが。



「つーか、右京ちゃんにそっくりな…」



溝端、お前もかよ。




「えっとー。クミのトモダチ、かな?」




右京、何故疑問系なんだ?




僕は、この非現実的な上に、シリアスになるべき状況で、のほほんとした和やかな空気に呆れる。





「あ、そう。じゃ、人間?どーも、初めまして。右京の弟の左京です!」





左京ががっつりと挨拶。




「あ、えっと、私卓毅の幼馴染みの尭って言います。」




「俺は、淳って呼んでくれて構わない」





それぞれ、挨拶。




緊張感、ゼロだな。



人間である二人が、なんでここにいるのか、という当然抱くべき疑問を左京は抱かないらしい。




「で、その、蓮貴しかいないっていうことは、この発端がっていう意味として受け取っていいの?」




右京がやっと軌道修正を図ってくれた。




「蓮貴って、、さっき卓毅が話してた…透さんのこと?」





尭の言葉に僕は頷く。



尭とは幼馴染みだから、僕の兄とも面識がある。



それはつまり、蓮貴を知っているということにもなるわけで。





「なんか、、色々信じられないことは沢山あるけど、、、その中でも輪をかけて信じられないな。透さんが、悪い人、なんて…」





年の離れている兄は、尭にも勿論優しく穏やかで、好かれていないわけがなかった。




なんなら、僕の同級生の女子は大体一度は兄貴に恋したといっても過言ではないんじゃないだろうか。




「…うん」




僕は頷くことで精一杯だ。




「でもどっちにしろ、この城の傾き具合といったら、ひどいもんだぜ。」



左京も右京と同じように腕組みをしながら、溜め息を吐いた。




「一体、何が目的で…」




右京が言いかけるのと同時に、突風が吹き出す。




「うわっととと…」





僕はなんとも無いが、右京と左京は煽られてバランスを崩す。



上に居る二人も、飛ばされないようにしがみつく力を強めたようだ。




何度も言うけど、僕はなんとも無い。




それは多分、さっき左京が言っていたように、僕の周囲の空間がこことは切り取られて別になっているからなのだろう。




本当に、何ともない。




しかし、この突風は何なんだろう。




「強い…近くに居るわね…」




右京が呟く。




「ほんと…なんちゅう強さだ。桁違いだな…」




左京も力を使っているのだろうか、必死でその場に留まりながら辺りを見回した。




「あ…」




僕は、驚きの余り声を上げた。




身体の回りにきらきらと輝く露玉が散っていくのが見えたからだ。





これは―







「雨だ…」





またしても、、雨が降る。





これは、何の雨だ。一体。







「まさか…死の雨、じゃないでしょうね?」





右京が唇を噛んだ。



白銀の髪が、見る見るうちに湿っていく。




「まさか。鍵はまだ揃ってないはずだ。奴と遭遇したのはついこないだだぜ?」




言い張る左京の髪からも雫が垂れる。




「…むしろ、、死の雨になるっていうこと自体、確実なことなのかな。」




僕はずっと不思議に思っていたことを口に出す。




「大昔の蓮貴の騒動は、、本当に世界を滅ぼすことが目的だったんだろうか。」




「だって、現にそうだったから、記録にも残っているわけで、蓮貴は捕まったんだろう?」




左京が不服そうに口を尖らせる。




そうなんだけど。



何故だろう。



この雨は。




死の雨になんか見えない。




それよりも。




霧雨のように輝いて、世界を濡らしていく。





「ああっ!!あそこっ!」




三者が考え込むように、黙り込んでいると、尭の驚いたような声が響く。




弾かれたように僕等は顔を上げて、尭が指している方へ向く。





「あ…」



「蓮貴…」





僕だけは、心の中で呟く。




兄貴。





止むことの無い強い風と、霧雨。




その場にいる全員が、自身を庇うことに必死になっている中で。




悠々と浮かぶ蓮貴が、僕等よりもずっと高い位置に居た。




漆黒の髪と、漆黒の衣を身に纏い、こっちを見下ろしている。






「あんたねぇっ!!そんなとこにいないで!降りてきなさいよ!この城どーしてくれんのよ!」




さすが、右京。



この状況にあっても、口だけは減らない。




蓮貴は微動だにせず、何も言わない。




怒っているわけでもない。



笑っているわけでもない。




ただただ、穏やかな顔をして、蓮貴は僕等を見つめていた。





「ちょっとぉ!何とか言ったらどうなのよ!?」




この風だから、右京みたいに叫んだら、口の中に砂とか入っちゃうだろうな。




それより乾いちゃうんじゃないかな。





僕は現実逃避を始めているのだろうか。




やけにどうでもいいことが、気になる。




心臓はさっきからずっとドクドクと早く動いている。






だって。





蓮貴は、やっぱり。




僕の兄貴と、何ら雰囲気が変わってなかったから。





あぁ、ひとつだけ。





物悲しそうな空気を纏っていることが、兄貴でいたころと、違うみたいだ。



蓮貴に文句があったって、誰もこの凄まじい風の中、掴みかかることは愚か、動くことだってままならない。


僕は風は感じないけど、動くのはやめたほうがいいということは、なんとなく分かる。





ぴゅうぴゅうと風の音が聴こえる中で、蓮貴が一瞬僕のことを見た…気がした。






「?」






確信が持てずに、僕は目を凝らして蓮貴を見ようとする。




が、蓮貴はすぐに目を伏せて、右掌を広げる。




そこに左手の人差し指と親指を、ちょうど時計の針のように重ね合わせた。







あれは―。





確か、以前、僕を小松から助けるため、右京が時を止めた際にも、あんな仕草をしていたような―





「時を止めようとしているの…?」






僕が呟くと、右京が首を傾げた。






「止める、意味がないわ。ちょっと、誰か王を呼んでこれないかしら…こいつと戦うには頭数が必要なのに…」





確かに。





じゃ、一体何をしようとしているんだ?



蓮貴の掌を、全員が固唾を呑んで見守る。




と。




蓮貴の左手の指が時計回りとは逆の方向へと、回された。





くるり。





「あっ、あれは―」





右京が何か言いかけたが、その声は直ぐにかき消される。




何故って。




世界が、回転を始めたから。





ひどい眩暈を起こしたかのような、空と地上の繰り返し。




小学校の鉄棒をやった時を思い出す。




ぐるぐるぐるぐる。




逆さになったまま、夕陽を見たりなんかして。




強い吐き気に襲われたけど。




吐くよりも気を失う方が、早かった。




ありがたいことだ。




もう、風の音も、右京の声も聴こえない。




みんなの声も、聴こえない。




極寒の国なんかも見えない。




ただ、あるのは深い闇。



けれど、不思議と怖くはない。





段々と落ちていっているような感覚なのに、それすらも心地よい。





ん?




時折ちらちらと見える、あの白いのは、何だ?






あ、花びらだ。





いつかの―




あの、花の。





鍵師から聞かされた、温度師の物語に出てきた―





大切な。




大切な、白い、花。



________________________



背中に、鈍い、痛みが、する。






「ってぇ…」





余りの痛さに、眉間に皺が寄っているのがわかった。





あれ。僕、目瞑ってるのか。




視界が真っ暗なことに、今更気付く。






あー。なんだって僕、こんな満身創痍な感じでいるんだろう。



とにかく全身が打ったように痛くて、重い。




えっと、何があったんだっけ。





とにかく、目を開けてみようと試みるが、長いことぎゅっと瞑っていたせいか、中々難しい。






えいっ。




心の中で僕は自分に掛け声をかけて目を開いた。






うわ。眩しい。





なんか、懐かしい。





そうだ、これ。





太陽の陽射し、だ。





一体、どこなんだ。ここは。




思いながらも、反射的に細めた目が、明るい陽射しに慣れるまでには時間がかかる。





それに、動きたくても、指一本すら、動かせる気がしないほどに、力が入らない。





喉の奥もからからだ。






草の匂い、次いで水の匂いが鼻腔に広がる。





生温かい、空気。




小春日和っていうんだよな。こういうの。




そよそよと時折頬をかすめていく風も心地よい。





しかし。




痛い。





ずくずくと広がる痛みだけが、穏やかな空間に不釣合いだった。





しっかりと目が開けるようになって、最初に飛び込んできたのは青い空だった。


目だけ下に動かすと、やや勾配のある芝生のようなものが見える。



と、いうことは。



恐らく、自分はちょうど、緑の土手に囲まれた窪みのようなところに居るのだろうと察することができた。




次に、左右に目を動かしてみる。





「!!!!」





右側に向けた所で、僕の目はぴたりと止まった。





僕のほんのすぐ脇で。





漆黒の髪の青年が、こちらを見つめていたからだ。





その手には、今読んでいたのだろうか。



大きな本が開かれた状態でのっかっていた。




胡坐をかいているような姿勢で、彼は固まっていた。





同じように僕も(まぁ、目以外は自由が利かないんだけど)完全に静止している。




チチチ、と何かの鳥の囀(さえず)りだけが、のんびりと流れた。


やがて青年は、警戒心を露わにして口を開く。




「お前…誰だ?」





見覚えの無い場所で。



見覚えの無い、男。




僕は先程からずっとやっているように、自分の記憶を探る。




どうしてだっけ。



なんでここにいるんだっけ。



それから、えっと、僕は。




僕の名前は―




「見ない顔だが、この村の者か?」




訝しがるように眉間に皺を寄せる青年の眼光は鋭い。






「…わ、からない…」






擦れた声で呟くように答えるが、途端に激しい眩暈が僕を襲う。



気持ちが悪い。



靄がかかったように、何も思い出すことが、できない。




吐き気がする。




「とぼけてるのか?この村には只者は入れない。空間の世界から来た旅人か?」




尋問するかのような口調で、問い質されるが、思い出せないばかりか、眩暈がひどくなる一方だ。




「つっ…」




居ても立っても居られない、ぐるぐると回る視界に目を瞑った。




額に脂汗が浮かんでいるのが、わかる。




熱い。




息も、荒くなっている。





「おい!」





青年が、僕を呼んでいるみたいだけど。




僕はとにかく、このすべての痛みと、不具合から解放されたい。





よって。





僕は再度意識を手放した。



「なんだよ、気を失ったみたいだな。」






青年は、溜め息を吐きながら、広げてあった本をパタンと閉じた。




今日はもう、この本を再び開く余裕はなさそうだ。






「…怪我してるのか…?」







様子が変なことには気付いていたが、パッと見、倒れている男は何の外傷もないように見える。





それでも、抱えている痛みが尋常なものではないということが、様子から伺えた。






「仕方ない」






池のほとりで青年はパンパンと衣服に付いた葉を払い、立ち上がる。





そして、左手に本を抱えると、右手の人差し指を突き出し、倒れている男の周りを囲むようになぞった。





「行け」




呟くと、男の周りは切り取られたように浮かび上がり、一瞬で姿を消した。




それを見届けると、青年も土手を登り、家路を歩く。




池のほとりを静寂が支配する。





白い花が、さわさわと風に触れられて揺れる。




物語は、繰り返される。



それは必然に。




誰からも、気付かれることなく、ひっそりと。

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