守りたいモノ



「なんだ、これ…」




瞬きの間に、僕の見ている風景は様変わりしていた。



何メートルあるのかと思うほど高い天井には、青い石で細工が施されている。



ギリシャにでもありそうな、大きな柱は人が15人輪になったら囲えるかなという位だ。




そして、白いふかふかの絨毯がどこからか敷かれていて、その一番先、奥にある王座に、白い髪の少女が座っていた。




その両隣に右京と、元の姿に戻った左京。



それから狐でもないし、猫でもない、金色の毛並み、碧玉の瞳を持つ生き物が着物を来て二本足で立っている。




「まさか…」




僕が言いかけると、その獣は面白そうに頷いた。




「ワシじゃ」




鍵師がこんなにでかかったなんて。




僕の頭は沢山入ってくる情報についていけない。




「よし。じゃ、右京はまず治癒室に行って翼をどうにかしてもらっておいで。」




固まっている僕を余所に、王は指示を出し始めた。




「左京も右京と一緒に行くこと。鍵師、お前も行くか?」




「…いえ、ワシは結構です。幸い怪我はひとつもしていませんし、疲労もそこまでではございません」




すぐさま移動を始める双子を横目に、鍵師はやんわりと断る。




「わかった。では温かい飲み物と食事を用意させよう。暫しごゆるりとされるが良い。」




王がそういえば、どこからかわらわらと仕える者たちが入ってくる。




「タクミも今から客室に案内させよう。ここの衣を届けさせるから、着替えるように。」





右京と左京は羽根を生やしたペンギンみたいな者達に連れられて姿を消し、鍵師も広間の出口に向かって歩き出している。





「えっと。。。」





王の指示があっという間に現実になっていくのを見ながら、僕はいまだ戸惑いを隠せずに居た。






その上、実はすごく寒い。






「あぁ、その前に。タクミ、こっちに来い」





王は何かに気付いたかのように、僕を手招く。




歯をカチカチ言わせながらも、僕は言われた通り、王の前に立った。





「こっちの世界でも、大丈夫なように術をかけておこう」




王はそう言って、小さくて白い掌を王座から僕に向かって突き出す。




「????」




てんで言われていることがわからない僕は、ただただおろおろするばかりだ。




「よし」




そして何をされたのか全然わからないけれど、王は満足気に頷いた。




「じゃ、とにかく部屋に行って着替えなさい。すぐに食事の支度をさせるから、身支度を整えたら使いの者に大広間に連れてきてもらうように」





王が言い終わらないうちに、ペンギンのような家来だろう者が、僕の後ろで行儀良く気をつけをして待っている。



「あ、…はい」



僕は王に一応返事をして、背後に立つ、ペンギンに羽が生えた生き物に向き直る。



すると、ペンギンは【こちらへ】というように、その平べったい手を扉の方へと向けた。




ぺったんぺったんぺったん




なんともかわいらしい音が歩くとするので、少し間の抜けた感じがする。



ただ、他の皆が一気に居なくなってしまったので、心細い気がするのも確かだ。



扉は自動のように、ペンギンが目の前に立つとゆっくり開き出す。




「うわ…」




その奥に広がる光景に僕は眼を奪われる。



クリスタル、だ。



眩しいくらいにキラキラとお互い反射し合って輝き亘る広い廊下。



青い光が縦横無尽に飛び回っている。



「あれ?」




ふりふりと振られる青い尻尾の後をはぐれないように見つめつつ、僕は首を傾げた。



どう見ても、今居た所より冷え冷えしていそうな場所なのに、寒くない。




「あぁ、そっか」




王がさっき掌を僕に突き出したのはこの為か。



どうやら、こっちの世界に順応できるようにしてくれたようで。



先程まで感じていた肩凝りがするような寒さは今は全くなくなっていた。



見ているだけで寒気がするけど。




ペンギンは相変わらずぺったんぺったんと音を鳴らしながら前を歩いている。



今は空中廊下を渡る所で、さらに奥の建物に繋がっているらしい。



なんていうか。



自分が地球ではないどこかに、こんな簡単に来てしまったことと、知り合いがすぐ傍にいないことが、すごく不安だ。



いっそのこと、これらは全部夢で、なんてオチはないんだろうか。



しっかりしろ。自分。



目を瞑ったり開いたりしながら僕は冷静さを保とうとする。



長い空中廊下の天井部分は、ガラス張りになっていて、外が吹雪いているのが見えた。




僕が見たどの雪よりも白く舞うそれは、キレイで。




不思議と温もりを感じた。




いや、外に出たら絶対に寒いんだけど。




うまく言えないけど。



地球で言う雪は、どちらかといえば害と思われるもんだけど。



ここで言うコレは、この世界を守るために降っているように見えたんだ。



「あっ」



雪に見惚れて立ち止まっていたことに、はっと気付き、ペンギンの姿を探す。



このペンギン、よくしつけられているようで。



1メートルくらい先で、何を言うでもなく待っている。




「す、すみません…」




慌てて謝罪の言葉を述べて、ペンギンに追いついた。



ペンギンは、軽くお辞儀して、またぺったんぺったん歩き出す。




どうでもいいけど。




一体いつになったら、部屋に着くんだろう。




僕は王宮の広さに舌を巻いていた。



そして、ふと見た床に彫刻が施されていることに気付き、再び驚く。



ほんと、手の込んだ建物なんだ、と。



リ・・・リリリン



氷に反響するのか、きれいに響き渡る鈴の音に、僕は床から目を上げてペンギンの方を見た。



ペンギンの平べったい手には、銀色のベルが握られていて、震えていた。



ペンギンの立ち止まる場所の前には、大きな扉が立ちはだかっている。




リ・・・リリリン



再度ベルが鳴らされると、その大きな扉はいとも容易く開く。




ペンギンが、僕にどうぞ、とでも言う様に、薄ぺたい手の平で中を指した。




勧められるまま、僕は部屋に入る。




そして、言葉を失う。




これ、一人部屋どころじゃねーだろ。




濃紺の絨毯が広がり、壁には床と同じ彫刻のが施してある空間。




ざっと―




100人は入れるだろう。



呆然と立ち尽くしていると、バタン、と背後で扉が閉まる音がした。




「…嘘だろ…」




僕の口からは、本音しか出てこない。




ぺんぎん、居なくなっちゃうのかよ…。




知らない世界に、知らない場所で、広すぎる部屋に僕一人とか。




ありえねぇ。




「仕方ない、か。」




ここでオチていても、物事が動きそうにないので、とりあえず気を取り直して部屋の中を観察することにした。





「と、いってもなぁ…」




とりあえず、ぐるりと周囲を見回してみる。




部屋中に使われている磨き上げられた石達は宝石のように輝き、細かい糸で細工されている絨毯は部屋全体に統一感を与えている。



お。



僕は部屋の一角にあるものを発見するが。





「あれ、ベッドか…?」




どうも確信が持てない。




なぜなら、案の定馬鹿でかいからだ。



キングサイズ、とかいうレベルじゃねーだろ。



何人で寝ろって言うんだよ。



恐る恐る近づくと、さらにあるものに気付いた。





「これ…着ろって言ってたやつか…?」





指先で摘まんで、きっちり畳まれていた服らしきものを持ち上げる。




鍵師が着ていたのに近い。



動き易そうな作務衣みたいな服。



藍色のキレイな色に染め上がっている。




「ま、いっか。あとで」




僕はそれを暫く見つめて、ぽいっと脇に放ると、ベット…マット?に仰向けになった。



自覚はなかったものの、身体は疲れていたようで。



柔らかい敷物の上に横になると、必然的に瞼が下りてくる。




右京は今頃どうしているかなぁ。



羽根を治してもらっているかなぁ。




そんなことを考えながら、数秒後には寝息を立てていた。



========================




「クミ」




どこかで、誰かが僕を呼んでいる。



真っ暗な中で、僕はその声をやけに懐かしく感じている。




どうも、僕はこの声の主が好きらしい。



だから、このままゆっくりと睡魔に身を任せ―




「起きろっ!!!!!」





て、いたかったのだが。




鼓膜が破れんばかりにでかい声で、わざわざ耳元で、モーニングコールをする輩がいるおかげで。





「…う、きょ…?」




僕はここのところ寝坊をしたことがありません。



「クミ、何回も呼んだのに全然起きないし、グス達も困ってたんだからねぇっ!」




僕はまだ寝ぼけ眼で、腰に手を当て怒る右京を見つめた。




あれ。ここ、どこだっけ。




ぐるりと部屋を見回して、自分の居る場所を再認識した。





ちょっと横になるつもりが、爆睡してしまったらしい。



なんか、大分身体がすっきりしたように感じる。





「ちょっと!!クミ!聞いてんの?」




「あ、うん。聞いてるよ。」



慌てて僕は言葉を返した。




「グスはもう食事の支度を終えてるから、あとはクミがくればいいだけなんだよー。わかったら早くそれに着替えて!」





右京はマシンガンのように喚いて、僕を追い立てる。





「はいはい、、、ところでグスって…何?」





作務衣もどきを手に持ちながらふと感じた疑問が口をついて出てきた。







「グス?…あぁ、あたしたちの世話焼きのことよ。」






どうやら、ペンギンに見えるあの生き物のことをグスと呼ぶらしい。





「へぇー」





僕は軽く相槌を打つ。






…………




えーと…






「ところで…着替え、見てるつも…」





シャツに手を掛けたところで、僕は扉に寄り掛かる右京を見た。






そこで、僕は固まる。



なぜなら声だけでずっと右京だと判断していて。



寝ぼけ眼で言われるがまま起きて着替えをしようと服を探したりしていたわけで。



右京のことをきちんと見ていなかった。





「あぁ?あたしに外に出てろって言ってんの?仕方ないわねぇ。5秒で済ませてね!」





僕の異変には気付かずに、右京は早口でそう言うと、さっさと部屋から出て行った。





「び、びっくりした…」




口の悪さや、態度のでかさに違いはないけれど。




片翼が完璧に生え揃った、そしてここの衣服を纏った、白銀の髪の少女は―




僕がこれまでに見たどんなものよりも。



美し過ぎて。




右京が口を開かなきゃ、黙ったまま永遠に見惚れていたかもしれない。



そんなことを思い巡らしながら、僕はいそいそと身支度を整えた。




「おそーい、5秒じゃなかった!60秒かかった!」




外に出ると、右京が頬を膨らませて腕組みをしていた。




「いや、5秒で着替えられるわけないでしょ…」




「ほら、さっさと歩く!」




右京は人の話も聴かない。




そんなの、十二分にわかっていますが。




銀のチャイナ服。グラデーションで下に行くにつれ、濃紺。




そこに真っ白な片翼。




僕はその後ろ姿を眺めつつ歩く。




そして思う。



顔だけでなく、性格も重視するべきだな、と。




どこの世界にも、美しいバラには棘があるものだ。




右京が案内し始めた頃、既にグスたちは群がってきていて、4,5匹(羽と呼ぶか匹と呼ぶか人と呼ぶか、迷う所なのだが)がキレイに整列して、先だって僕等を連れて行こうとする。





「クミ、寒くない?言葉が話せるってことは、王様に順応の術をかけてもらったって事?」





今は横に並んで歩きながら、右京が僕に訊ねた。





「うん。寒くないよ。どうも、そうみたいだね。僕には全然母国語にしか聞こえないけど」





頷いて返すと、右京はははっと笑った。






「あたしも!クミの世界に居た時はそんなんだったよ。変な感じがするよね。」






よくわかんないけど、親近感を覚えたらしい。




僕は、とりあえず笑い返しておくことにする。




青くて長い廊下はどこまで続くのか、わからないのだが―





「?」





見間違いかな?



心なしか、一定の区間歩くと、風景が移り変わっているような気がする。



だけど、どっちにしろ青い廊下には変わりないので、景色に大差はない。



「あ、クミ。不思議な顔してる」




横目でそんな僕を観察していたらしい右京がにやっと笑う。




「え、どういうこと?」




僕が返すと、右京は笑いを深くする。




「景色が変わるのは見間違いかなって思ってる?」




まさに僕の今の思いを言い当てる右京。




「本当に、そうなの?」




「そうだよ。」





右京は楽しそうに頷いた。



「この城は広いから、合間合間に移動の鍵が設置されているの。だから、一定の間隔に置かれているそれを越えると移動するんだよ。」




「へぇ。」




右京の説明が僕には少ししか理解できなかったが、とりあえず相槌を打った。



とにかくそんなに移動できるんなら、今すぐここから、その広間とやらに行かせてくれればいいのにと願う僕はひねくれているのだろうか。





「さぁ、着いたよー」




そんなことをぶつくさ考えていると、あっという間に一際大きくて、目立つ装飾が施されている扉の前で右京が止まった。グスたちも止まった。




内心、え、もう?って感じだ。




なんだか長く歩いた気がしないでもないが、実際はほんの少しの時間だったのかもしれない。



違う世界に来るっていうのは、色々大変なんだな。



扉に施された金色の紋章のような模様を見つめつつ、他人事のようにそう思った。



グスたちがリリリリ・・・ンとそれぞれの持つベルを鳴らすと、音階がそれぞれ違うのか、和音になって辺りに響いた。




一際大きい扉は、音もなく開く。



分厚くてあんな重たそうな扉だというのに、あのベルで開いちゃうなんてどういう構造なんだ一体。





「おっせーよ!」




そして中が見えたか見えないかくらいに、聞こえた最初の声が、不機嫌そうなこれだった。




予想通り、中には右京の片割れが、腕組みをして偉そうに席に座っている。



だけど、そんなのどうでもよくなるくらい、目の前に広がる光景は信じ難かった。




客人は、鍵師と僕、だけ。




たぶん食べる人数は、王様も合わせるなら5人、だけ。




なのに。




この広間は。




でかすぎるだろう。




このテーブルは、広すぎるだろう。




この料理の数は―、完全な無駄遣いだろう。



「うっさいわねぇ。あんたはちっとは待つってことを覚えたらどーなの?」




立ち尽くす僕の脇をスタスタと右京が通り過ぎていく。




「はぁ?なんで俺がそんなこと覚えなきゃなんねぇんだよ。いっつも右京のことばっか待ってたら、終わる仕事も終わんねぇっつーの」




「なんですってぇぇ?!!」




ぎゃんすか言い争う双子をよそに、鍵師は僕を見るとにやっと笑った。




「中々似合うのぉ」




「あ、ありがとうございます」




僕は我に返って、返事をしつつ、グスがひいてくれた席に座る。




多分上座の一際豪奢な椅子が、王の席なのだろうが、まだ空いている。




ぎゃーぎゃー騒ぐ双子と、穏やかな鍵師。



テーブルに所狭しと並べられた珍しい料理。




うん。




どれを取っても、何を見ても、人類滅亡一歩手前の状況だとは思えない。



ここの世界の者たちは、のんびりがモットーなんだろうか。



それともなるようになれ、というのが信念なのだろうか。




そもそも、もしかしたら、今までの事は全部ドッキリ、なんてことあるんじゃないだろうか。




そんな風に思えてしまうくらい、この世界の者達―特に双子は、どうでもいいことに時間を掛け過ぎている。






バァーン!





僕がそんなことを考えていると、突然銅鑼を鳴らしたかのような大きな音が広間に響いた。



双子の言い争いもぴたりと止んだ。




「鳳凛様の御成ぁーりぃー!!!!!!」




どこから誰の声なのかはわからないが、広間の奥の部屋の扉が開いて、王が衣を変えて登場した。




一言で表わすなら。



豪華。これに尽きます。



だけど。




「手に、握られているのは…」




小声だが、口にだしてしまった。




「ピザ…とコーラ、か?」




僕の後の言葉を、鍵師が継いだ。




確かにしっかりと持っている。




「「あーーー!!!!」」




双子の不服そうな声が、広間に響く。




「それー!俺が持ってきたやつ!しかも治癒室入る前に置いてけとか言われてすっかり忘れてたけど!」




左京が喚く。




「ずるいずるいずるいー!盗られたーーーー!!!」




右京がそれに上乗せ。



でもちょっと待って欲しい。



それ、ウチの。




「黙れ」




王が冷たい一瞥と共にぴしゃりと言い放つ。




僕の声は、きっと誰にも届かない。





「…治癒室、、行くの初めてだったから…騙された…」





右京が小さくぶつぶつと言っているのが聞こえた。





そういえば、右京と会ったばかりの頃、自力で治せるから治癒院は必要ないとか言っていたのを思い出す。




言いかえるなら、今回は自力で治せないほどの負傷だったってことか。




僕は一人で勝手に納得した。



しっかし、こんなに豪勢な料理が並べられているというのに、ピザとコーラでここまで熱くなれるなんて。



一体どれだけお気に召したんだ。



僕は半ば呆れながら、周囲を軽く見渡した。






「待たせた。今日は心行くまで食べ、飲むが良い。」





王が挨拶し、宴は始まる。




と、いっても、頭数は5しかないのだけど。




僕は見たことのない料理をグスに色々取り分けてもらいながら、その美味しさに舌鼓を打った。




温度師との戦いが嘘だったかのような、穏やかな、時間。




誰も、今はそのことを口に出さない。



それは逃避というよりも。



敢えてこの時間を、切り取っておいているようだった。





「あのさ」



各自がそれぞれ食事を楽しむ中、僕は対面する右京に声を掛ける。




「ん?はひ?」




僕が知っている限りの名前で呼ぶなら、大きな骨付きチキンなるものにかぶりついたまま、右京がこちらを見た。




「僕、いつまでここにいるのかな?」




「ほんなの!きまってんでほ!」




むぐむぐごっくん、と咀嚼嚥下して、右京はぺろり唇を舐める。




「カタがつくまで、だよ!」




右京はにこりと笑う。


僕は固まる。




えー、と?




「親、とか、心配しない、かな?向こうで、失踪しちゃった、とか、ならない?」




至極真っ当な疑問だと思うのだけど、右京はおかしそうに笑う。




「クミ、ここは何の世界だと思ってるの?」




「え…?」




「私の使った力も見たでしょ?」




あ。



そーいえば。




「ここは空間を支配する世界。」




赤い果実をポンと宙に投げると、右京はそれを指差す。




それは落ちる事無く制止し―




早送りのように、花を噴出し、種に戻った。




「時間の流れは、ないと同じよ?」




「そ、そう…」



「うん。ま、ここの城だけだけどね。とにかく大丈夫だよ!」




そう言うと、右京はまた食事を開始する。



そうか。大丈夫なのか。




……



じゃなくて!



全然大丈夫じゃないし!




僕はずっとここにいなくちゃいけないってこと?




まずい展開だ。



時間が流れないなんて。




家に帰れない。



こんな。



雪しか降らない所、僕は嫌だ。




やけに太陽が恋しくなった。



========================




夕食を終えて、割り当てられた部屋で寝る支度を整えていると、コンコンとドアがノックされた。




「はい?」




一応返事をしてみる。




「クミ?まだ起きてる?」




右京の声だ。




「起きてるよ」




「ちょっと…出てこれる?」




僕はさっきグスが持ってきてくれた上掛けを羽織って、扉を開ける。



右京は食事の時と変わらない出で立ちで、傍に立っていた。





「どうしたの?」




右京は僕を見ると、にこりと笑った。




「いいもの、見せてあげる」




「いいもの?」




僕の言葉に、右京はうんと頷いた。




「だから、ちょっと付いて来て?」




そう言うと、右京は僕の返事を待たずにスタスタと歩き出す。




「え。ちょっ…」




こうなったら、右京は僕が何を言っても聞かないし、行かないと言ったって連れてくだろう。




まぁ、いっか。



別段、疲れは感じていなかった。



いや、身体はきっと疲れているんだろうけど。



テンションが変になってるっていうのかな。




とにかく寝れるような精神状態ではなさそうだったから。



僕たちは瞬間移動する道を歩き続けて、やがて空中廊下なるものに行きあたった。




グスに案内されている時も立ち止まった場所で、僕の足はやっぱりペースを落とす。



天井部分の雪は変わらずに、ずっと降り続いていた。




空ははっきり見える程明るいわけではないが、



何も見えない程暗いわけでもない。





「キレイでしょ?」




数歩先で、そんな僕を振り返って右京が訊ねた。




「…うん」




吸い込まれそうな吹雪から目を逸らすことなく、僕は頷いた。




「でも、それは序の口」




嬉しそうに右京が声を立てて笑う。




「さ、まだこっちだよ」




言いながら、右京は歩き出す。




「…いいものって何?」




僕は右京の跡に付いていきながら訊ねる。




「それは、ついてからのお楽しみだよ」




前を行く右京はちらっと振り返って、すぐに前に向き直る。




「…ふーん」




一体右京は僕に何を見せたいと言うのだろう。




雪ならうんざりするほど見ている。



まぁ、さっきの雪景色はキレイだけど。




それを言うなら、今歩いている廊下だって、宝石がちりばめられているかのように美しい。



さらに言わせてもらえば、口と性格は悪くても、右京も左京も目の保養になる。




これ以上何があるって言うのだろう。




僕は黙って歩きながら、頭を悩ませた。



「クミ、疲れた?」




前を向いたままで、右京がふいに訊いてくるので、僕は考え事をやめた。




「…まあね。」




「帰りたい?」




「…まぁ」




僕の返事に、右京は笑う。




「そうだよね…でも、暫くは帰れないね。明日は灼熱国の王様も家来も交えての会議が開かれるし。」




どんな表情で言っているのかはわからないけれど、途中から真剣な声になったように思う。




「ごめんね。巻き込んじゃって」




「…え?」




僕は自分の耳を疑った。




右京が謝るなんてこと、あるのか?




つーか、どうして謝る?




「…なんで?」




理由がわからずに、僕は右京の背中に訊ねる。



右京は先程からペースを変える事無く、先導している。





「…クミが、あたしを助けなければ、クミは今頃ここには居なかったし、無関係だった」





う、右京って、そんなこと、考えられたのか。




人のことなんてお構いなしなのかと思っていた。





「あたしは、あそこで息絶えていても、おかしくなかったのに。クミは助けてくれたのに。そのせいでこんな目に遭ってる。」





今はきれいに生えている右京の大きな片翼が、きらりと輝いて見えた。





「…右京を助けたのは、僕の勝手だよ。右京は悪くないよ」




それは事実だ。



僕は、一応自分の意思で、右京を助けた。





「それに、兄貴は早かれ遅かれ、正体を現したんじゃないかな。その時はやっぱり僕は関わっていたと思う。」





フォローのつもりじゃなく、そんな気がする。





「クミは、、やっぱり優しいんだね」




ふふ、と静かに笑いを溢し、右京は足を止めた。




行き止まりだったのか、と見上げると、青い空間には不釣合いな、朱色の扉が僕等の目の前にあった。




僕を振り返ることなく右京はぶつぶつと何か唱えると、赤い扉から、がちゃんという鍵が開く音がする。





「さ、いくよ」




右京がそっと扉を押すと、いとも容易く道が出来る。




中は、真っ暗で、何も見えない。




「電気とか、ないの?」




内心、ちょっと怖い僕は訊くが、右京はふるふると首を振った。





「あると、見えない」




なんだよそれ、怖いよ。まじ勘弁してくれよ。





この先に一体何があるというのだろう。




手探りで恐る恐る右京の後ろをついていこうと暗闇に足を進めると、急に手を掴まれた。





「うわっ!?」




心底びびって、掴まれている手をぶんぶん振り回して取り戻そうとする。





「クミ、あたしの手だってば。」





どこか呆れたような口調に、自分のチキン度を呪った。





「真っ暗で見えないけど、もうちょっと行けば…結構直ぐだから。」





僕は大人しく手を繋がれたまま、右京の後を歩いた。





絶対根本的に設定が間違っている気がするけど、もういいや、なんでも。




術をかけられていても、少し冷える気がする空間を、ふたり無言で歩いた。




5分、いや10分くらいかな。



さすがに暗闇にも無言にも慣れてきた頃。





前を行く右京がぴたっと止まった。





「クミ…、しゃがんでちょっと這い蹲る格好になって…」





右京の声が反響する。




「こう?」




言われるまま、しゃがむと、右京が僕の手をひっぱってごつごつとした枠みたいな石を触らせた。





「これ、ちょうどあたしたちが抜けられるくらいのトンネルなんだけどここくぐった先が目的地になるの」





えーと、つまり?




僕には直ぐに解釈できない。





「だから、匍匐(ほふく)前進って言うの?とにかくそれで進んでいって。」




何故なら、できるならしたくないからだ。




冷えた石の感触がして、さらに嫌だという思いが強まる。





「右京、、やっぱり僕「早く」」




まだ何も言わない内に、阻止され、僕は完璧萎える。




「あたしが先に行くから。怖けりゃ足首にでも掴まっててよ。」





成る程。




全てお見通しってわけですね。




右京はさっさと中に進んでいってしまう。




情けないことに。




僕は右京の右側の足首を結局掴んで、後に続く。




けど、途中で足首を掴むのは疲れるからやめた。




多分、こうした冒険はもっと若いうちにやっておくべきだと思う。



幼少期にこういう泥とか、這い蹲るとか、暗くて狭いところを行ってみる、とか、そういうのを経験しなかった僕は、どうしたってこういうのに向いていないからだ。




きっと無事に光の下に出た暁には、僕はあちこち汚れて、擦り剥いて、散々な様子をしているのを左京辺りに笑われるんだ。




はぁ、とこっそり溜め息を吐くが。




「ちょっと!クミ!もっと楽しみなさいよ!」




元々不気味なほど静かな場所なのだ。



気付かれないわけがなく。



右京に渇を入れられる。



だけど。




どこをどう見たら、この暗闇の中を匍匐前進する状況を楽しめるというんだろう。




僕は自分のツイてなさをここにきて呪った。



あの塾の帰り道。



僕が寄り道なんかしなかったら。



あの公園に行かなかったら。



そしたら、この子に逢うこともなく。



普通に時間が過ぎて行って。



多分突然兄貴が行方不明になって。




それで、地球が滅びる。



ま、そんなシナリオだったんだろう。




まさか、僕が住む場所以外に、どこか他の世界があるなんて、考えもしなくって。




ましてや助けてもらうことになっているともつゆ知らず。



暑い中アイスでも食べて、音楽をダラダラ聴いている間に、その「日」自体がなくなったのかもしれない。




守りたいもの、なんて、なかった気がする。


「ほら、クミ、見て!」




空気の通り道ができたのか、狭い通路の先から冷たい風を感じることができる。





…見てって言われたって…




考え事をしていた僕は、前を行く右京の言葉に呆れる。




右京がどかなきゃ、見えないって。




そんなツッコミを心の中で入れてると、前が突然明るくなった。





「え…?」




その眩しさに、思わず目を細めながら、右京がこの狭い通路から外に出たのだと理解した。




ほとんど目を瞑った状態で、僕は出口から這いずり出る。





「ほら!」




右京に急かされて仕方なく、瞑ったままでいたかった目を叱って開けた。





「あ。。。」





そして、目の前に広がる風景に―




文字通り、言葉を失った。



これは―




僕は自分の知りうるワードを頭の中で必死に探した。




多分。



箒星(ほうきぼし)だろうか。



それも無数の。




自分が居る空間が、どれ程の広さなのかはわからない。



けれどもその中を自由自在に、お互いぶつかり合うこともせず、星が飛び交っている。




大きいものも、小さいものも、太いものも、細長いものも。



眩しい光を放つものも、仄かな光しか持たないものも。




黒という絨毯を青白い光でいっぱいにしている。






「右京…これって…」





僕は目の前の景色に圧倒されながらも、かろうじて声を出した。




「この国の中枢部分。絶対零度の鍵はこの場所で使うの。」




何故だか声を潜めて、右京は僕に教えてくれる。




「…きれいだね…」




思ったとおりのことを、口に出せば、右京が笑ったのがわかった。




「そうでしょ?だから、クミに見せたかったの。私の大事な場所。私の―」





そこで一旦言葉を止めると、右京は暗がりの中で僕の目を捕らえた。




傍を通った星の光が一瞬、右京の美しさを照らす。





「守りたいモノ。」





呟かれた言葉はたった7文字の短いものだったのだけれど、どうしてかズシンと僕の心に重く圧し掛かった。





「クミは?」




「…え?」




「クミの、守りたいモノってなぁに?」





右京の質問に、僕は答えられない。






僕が守りたいモノは。




その答えは―




右京に比べたらすごく身近で、すごくちっぽけかもしれない。



世界のどこかの景色を守りたいとか、人々の生活を守りたいとか、そんなことじゃなくて。





ただ、目の前に居る君を。




守れたら、僕はそれで満足だ。




―なんて、言えるわけないだろう。

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