放たれた力


僕等以外誰も居ない小高い山には、短い呼吸音だけが聞こえる。




暫く誰も何も言わずに、恐らくそれぞれが、今しがた起きたことを頭の中で反芻していた。





「…大昔の温度師が、甦ったということか…?」





やがて沈黙を破った鍵師が、僕の膝から草むらに降りた。





双子も何か言いたげにこちらを見ているが、声を出すことが出来ない。




ちなみにいうと、左京の方は鳩に戻ってしまっていた。



だが、白い羽は大分焦げたり、血に染まったりして痛々しい。





「…けど、、あれは僕の兄貴だぜ?」




混乱する頭を、なんとか冷静に保とうと必死になりながら、僕は鍵師を見た。




「……わかっておる。じゃが、あそこまで強大な力の持ち主にワシは今まで会ったことがない。こんなに近くにいて何も感じなかったのが不思議な位じゃ。現在の温度師など足元にも及ばぬ。」





遠い目をしながら鍵師が言う。




夏の風が、僕等の合間を縫って髪を揺らしていった。





「さっきの…温度師はどうなったの?」





恐る恐る僕は訊ねる。




消えたとしか思えなかった。



どこか他の場所に行ったのか、それとも最初から居なかったのか、と思うほどに。





「抹消された。一瞬で、な」




静かな声で息を吐いた鍵師。




「そんな…それって…つまり…」




「どこの世界にも空間にもあいつは存在しなくなった、ということじゃ」





鍵師の抑揚のない声が、やけに胸に響いた。





「あ、兄貴はっ、そんなことするような人間じゃないっ!」





動揺を隠せなくなった僕は思わず叫んでしまう。




「クミ…?」




そんな僕を驚いたように、右京が見つめた。絞り出された声は疲労の為か掠れていた。





「…温度師の言っていたことは真実だろうと思う。タクミに兄は最初から居ない筈じゃ。」





鍵師はちょうど木陰になっている芝生の上にちょこんと行儀良く座る。






「そんなこと言われたって、信じられるわけないだろう!?アレは、望月透って言う、正真正銘僕の兄貴だよ!」






優しくて、格好良くて、頼りがいのある、いつでも一番の―




僕の兄貴なんだよ。



正直、この歳で兄貴のことなんかでここまでムキになっている男なんて格好悪い。




だけど僕にはどうしても、スルーすることができなかった。




感情を制することが出来ない。




だって、これが事実だとしたら。




なんで。



どうやって。



どうして。



何のために。




蓮貴はずっと僕の兄でいたんだろうか。



僕の兄であることを、望んだのだろうか。




「クミ…クミのお兄さんは、ちゃんと、クミのお兄さんだったんだよ」




右京は立ち上がると、ふらふらとした頼りない足取りで、その場に座り込んでいる僕に近づく。




「私を助けてくれた時、確かにお兄さんに力は感じられなかった。だから、クミのお兄さんとしての記憶はちゃんとある筈だよ。ただ今は、温度師によって古い自分を起こされてしまったってだけだと思う。」





膝を抱えてうずくまる僕の肩に、右京はそっと手を置いた。





「だから、、クミのお兄さんは本当に居たんだよ。大丈夫。」





いつもは適当な彼女。




ふざけてばかりの女の子。




破天荒で馬鹿力。




空気は読めない。




なのに今、慰めてくれているらしい。




僕に気を遣って。





この彼女が―




この山に降って来てから、




僕の日常はがらりと変わった。





現実離れした出来事ばかりに巻き込まれ、




どんどん変な仲間が増えてって、




今になって兄貴は兄貴じゃありませんでしたなんて、




どこのお伽話だよ。




僕の生活はめちゃくちゃになった。




これからどうなるんだろう?




この先何が待ち受けているんだろう。




世界なんていつ終わっても良かった僕が、こんな風に考えるなんて。




ほんと世も末だ。



ふざけてばかりの右京が、真剣に僕を慰めてくれようとするもんだから、ちょっと可笑しくなって、そのおかげで僕は落ち着きを取り戻す。




要はまだ何も確実なことはわかっていない、ということに気づいたからだ。




憶測でしかない、僕等の予想。



大体は多分合っているだろうけれど。



真実はきっと最後。



もっと頑張った後に、わかるはずだ。





「…とりあえず、傷の手当をせねば」





「王に報告した方がいいかな?」





猫と鳩が同時に腰を上げた。





「…傷の手当が先じゃ」




「……いや、俺の王の報告の方が大事だと思う」




「いや、貧弱なおぬしらの体はもたないのじゃ。傷の手当が先じゃ」




「状況を王に伝えてからでも遅くはねーだろ」




猫VS鳩のどうでもいい喧嘩が勃発。




「……右京、ありがとう」




そんな一匹と一羽を尻目に、僕は立ち上がって、小山から沈みかけている夕陽を眺めつつぼそりと呟く。





「なにが?」




「…なにがって…」





相変わらずな彼女は純粋に何がなんだかわからないらしい。



かわいく首を傾げた。





「ふっ……いや、なんでもない。」





その様子がなんだか楽しくて自然と笑みが零れた。




「とりあえず、、、帰ろうか。家に」




そう言って右京を見れば、彼女はにこりと笑って、




「うん!」




と頷いた。




小山を降りて、公園を出た所で、




「俺達を置いてくなよ!」




置いてかれたことに気づいた左京と鍵師が猛ダッシュで駆けてくる。




知らん顔して立ち止まらずに歩き続けながら。





あー、こういう何気ない瞬間や出来事が。




かけがえのないって言うんだなって初めて思った。




当然別れが来ることは、出逢った時からわかっていたし、結果がどう転んだにせよ、世界は相容れないもの同士だ。




こんな時間の過ごし方は、今だけだ。



========================




「蓮貴が何をするかはわからんが、行動はきっと直ぐじゃ。己が志半ばでできなかったことをやろうとするじゃろう」




ちょうど出かけていて家にいなかったおとんとおかん。



僕は配達されたピザを受け取り、自室へと急ぐ。



右京と左京の傷は思いのほか軽くすんでいたので、あまり手間はかからなかった。




「だけどよ、俺等じゃ歯も立たないってことはわかってんだろ?」




片手にピザの箱、もう一方に2Lのコーラを持っていることで苦戦しながらも、ドアノブをまわすことに成功すると、心底悔しそうに左京が言うのが中から聞こえてくる。




「っっとと…」




≪私達も全面協力する。捕らえて封印することくらいはできるだろう≫




バランスを取りつつ、入ると知らない女の子の声がしたのであれと思った。



見ると真っ白な髪の毛の女の子が、僕の机の椅子の上にふんぞり返っている。




えっと…




「誰?」




僕が持ってきたピザを皆の真ん中に置きながら訊ねるとその女の子は露骨に顔をしかめた。




「クミ!この方は私達の使えている王様なの」




慌てたように右京が紹介する。




生身の人間の感じじゃなく、例えるなら映像がそのままそこに浮かび上がっているように、王と言われた女の子は居た。




「左京が王様に報告したら、王様もこっちに来るって話になっちゃって…でも向こうに王が不在ってことは駄目だから身体はあっちにいながら話し合いに参加するっていう形をとることになったの。」




説明しながら、右京が座っている少女に手で触れるが、空気のように空振りしている。





「…どーも。望月卓毅です」




僕がちょっと下に行っている間にいろんなことがあったんだなと納得する。




もう並大抵のことでは僕は驚かない。




≪では、タクミ。この度は、右京の傷の手当を始めとして我々に協力してくれたこと、心から礼を言うぞ。≫




偉そうな子供は、僕を真っ直ぐに見てそう言った。



瞳の色が、なんとも不思議だ。




「…いえ。」




確かに色んな意味で迷惑は掛けられているが、とりあえず僕は首を振って、謙遜する。




「んっと、じゃぁー本題に戻りまーす」




そんな僕等を暫く観察していたそれぞれだったが、ついに右京が口を開いた。




「とにかく、今まででわかっていることをまとめることにしよう」




鍵師がオホンと重々しく咳払いをする。



いつの間にかちゃっかり自分のグラスにコーラを注いでる辺りが、真剣さに欠けるけど。




「じゃ、これ使おう」




右京がホワイトボードの前に立った。



僕の部屋にはかなり大きいホワイトボードがあるのだ。



どうしてかって。



兄貴が僕に数式やら何やらを教えてくれる時、必ずと言っていいほど、コレを使ったからだ。



実際、かなり邪魔なんだけど。




「じゃ、俺書くー」




鳩、もとい左京が言う、が。




「待って。僕書くから」




僕がマーカーを手に取った。



書くことで、頭の中をきちんと整理したかった。




 ボードには以下のようなことが書かれていった。




  温度師の暴走

 |

 |数千年後

 | 

 |王任命の温度師地球の熱が高い事を忠告

 |  

 |空の変化

 |鍵紛失

 |鍵師失踪

 |鍵の材料粉砕される

 |

 |灼熱の国に怪物

 |使節襲われる

 |温度師が操る怪物に襲われ右京地球へ

 |  

 |左京怪物捕らえる

 |灼熱と協力

 |空間に歪み発生

 | 

 |右京公園の小山で僕と会う

 |兄に治療

 |鍵師発見・合流

 |左京合流

 |  

 |僕、夢を見る。

 |兄が僕と公園で会う

 |小山に案内

 |白い花が咲いた

 |温度師が現れる

 |右京左京戦う

 |鍵師合流

 |温度師本物によって滅びる

 →  兄…覚醒

    

  

「…蓮貴がもしも、さっき鍵師が言ったように、昔やろうとしていたことを実行するのだとしたら…その目的はなんだ?」





完成した表を見つめながら、左京が首を捻った。




元はと言えば、僕等は消えてしまった温度師と戦うことになると踏んでいたわけで。



まさか、何千年も前の人物が出てくるだなんて予想だにせず。



キーパーソンだった温度師が居なくなってしまった今、物事がどのように動くのかわからない。



本当に呆気なく黒幕が姿を消したのだ。




だからといって、地球が助かったわけでも、歪みがなくなったわけでも、絶対零度の鍵の材料が手に入るわけでもない。



事情聴取する筈だった犯人が自害したのと同じで。



こちらには結局真実はわからず終いということになる。


 


その上、厄介なのが、放たれた力、だ。



とてつもなく大きい能力を持つ、古来の温度師。



それも、心に深く傷を負った者。



愛する者はとうに居ない。




眠っていたままで良かったのに。




また独りになって、何処へ行くのだろう?



行く当てもないまま、世界を道連れにするのだろうか。





≪…目的はまだわからないが…本当に実行するとするなら、鍵の材料を集め始めるだろうな≫





誰もが難しい顔をして黙る中、王が煙管の様なものを口に咥えながら、世間話をしているかのごとく、さらりと意見した。




「…鍵の材料って一体何なの?」




右京が王に向かって訊ねた。




≪それについては、謎に包まれている。だが―。≫




そこで言葉を切ると、王は何故か僕を見つめた。




「?どうしたんだよ?」




それに気付いた左京が、不思議がる。





≪どうだ、タクミ。一度、こちらに来ないか?≫




「―え?」




聞き間違いだろうか。



僕は思わず聞き返した。




≪だから、こちらの世界に来てみないか、と言っている。≫



王はぷかぁーと煙で輪っかを作った。




≪事態は深刻な方向へと向かっている挙句、さらに速度を増した。一刻も早く蓮貴を捜し出さなければならない。なのに―≫




王は僕から目を放し、他の面々を見た。




≪慣れない空間で戦ったり能力を使ったりしたために、我が家来は疲弊しきっている。右京においては、翼が復活してくる気配すらない。アレがどれ程無理をしているのか、わからんだろう?≫





そう言うと少女はもう一度僕を見る。




≪さらに灼熱の国とも緊急に会議を行いたい。君には同席してもらわねばならん。≫




つまりは―



僕に決定権はない、と言う事だ。




「クミは、私達の世界に耐えられるの?」




少し不安げに右京が訊ねる。




≪耐えられるも何も、歪みのせいでちらほらと人間共が迷い込んできておる。その上、タクミは重要参考人だ。参加してもらわねば困るのだ≫




「そーなんだ。なら、いっか」



右京がにぱっと笑う。



いやいや、良くないでしょ。



これ完璧な脅しでしょ。





「王のご命令じゃ。タクミ、共に行こう」





鍵師も立ち上がって、伸びをする。





いくら僕がちょっとのことに驚かなくなったからって、そんな直ぐに心の準備できないって。



僕は文字通り言葉を失う。




「ほら、ぼさっとしてないで、決まったらさっさと行こうぜ」




おいこら鳩野郎。



そんな簡単に、よくわかんない世界に行くとか決めないで欲しい。



僕は黙りこくったまま、その場にひとり、胡坐をかいて座っている。



周りの者たちは、それぞれいそいそと出掛けるような仕草をしている。




≪決まり、だな≫




王は満足そうに笑った。



あの、僕は、一言も発していませんけど。



決まっちゃったんですね。



抵抗しても無駄なことは重々分かっていたけれども。



例えば、向こうに行っている間、こっちの時間はどうなるのかとかですね、そういうの、すごく気に掛かるんですけど。



説明は一切なしですか?




≪私がお前達をこちらに来させよう≫




王はそう言い残すと、フッと姿を消した。




「ほら、クミ、とにかく行くよ。あっ、ピザとコーラ、持ってって!」




「あ、コーラ、俺持つよ」




緊張感に欠けるふざけた双子が自分勝手なことをぬかしている。




「ちょっと、待って…行くって、ど、どうやって…」




やっと絞りだした僕の質問に右京はくすっと笑う。




「そのままで大丈夫だよ」




「―え?」





その時、僕は何も見えなかったし、何も感じなかったんだけど。



僕の部屋から眩しい光がカメラのフラッシュのようにはじけたと思ったら。



確かに部屋には誰も居なくなって、空っぽになるんだと。



見ている人がもしもいたならそんなふうに見えるんだよと、後から右京が教えてくれた。

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