覚醒




「それで?どうなったの?」





暫くの沈黙の後、右京が鍵師に訊ねた。



ソファにあったクッションをぎぅっと抱き締める彼女を見て、少し気持ちが和んだ。



僕にとっては余りにも奇想天外な話。



そして、やるせなくなる話だった。




「…伝えられていく物語というものは、色々脚色されるもの。全てが真実かどうかは知らんが―」




長いこと語った鍵師の声は、少しざらついている気がする。




「その本に書かれていること、つまり温度師の禁忌を犯した為、世界を揺るがす大惨事になったらしい…既の所で食い止めはしたらしいが…」




そこまで言うと、鍵師は立ち上がって軽く伸びをした。




「その時封じ込められた温度師が翌日には消えて、行方不明になっている。まぁ、かなり前の話。致命傷を負っていたようだし、どこかで生き絶えたのじゃろう。。しかしそのせいで、跡継ぎの温度師は異例の王指名になって、今に至っている。」




「え、そーなの?」




鍵師の言葉に、今度は左京が驚いた声を出した。




「うむ。そのせいで、温度師の跡継ぎが決まる時に降る星は、もう長いこと誰も見ておらんのだ。」




鍵師が嘆かわしい、というように前足で頭を抱えて見せた。




「…一体、その本に載っていることとはなんだったんだろう…」




僕が呟くと、鍵師が偉そうに頷いた。




「そう、それをワシは話したくて、こんな長い前置きを話したのじゃ!」




え、前置きかよ!



僕は心の中だけでツッこむ。



その肝心なところをさっきから知りたいから皆聞いてるわけで。



もっと早くに結論だけ言ってくれたら、空がこんなに白けてくる前に、眠れたことだろう。





「えー、前置きぃ?長すぎるー!!」



「ほんとだよ、じじぃ。早くしろよ」





思ったのは、どうも僕だけじゃなかったらしい。




「あー、最近の若いのはせっかちでかなわん!」




鍵師はふんと鼻を鳴らした。




いや、だって、一刻も争う事態なんでしょうがよ、今。



再度僕はツッこみを入れる。



心で思っても、僕の声は届かないだろうけど。




鍵師はオホン、勿体ぶるように軽く咳払いをした。





「星が並ぶ時、空間が歪む時、全てが入り混じる時―、絶対零度の鍵と灼熱の鍵を十ずつ共に使い雨を降らせると―」





鍵師の言葉に全員が耳を澄ます。





「それは、死の雨になる」





そんな僕らの顔を順番に見回し、鍵師が言った。




「死の雨が降れば、全てが終わる。滅亡じゃ。生き残る者は一人もおらんじゃろう。ただ、温度師には相当な力量が必要なんだが。恐らく今の温度師はこのことを知ってはいるが、それだけの能力はないだろう。所詮王の指名じゃ。普通より上、本物の温度師よりは下って所だからの。」




「じゃ、どうするの?心配要らないの?」




右京が首を傾げて言った。



「そこまでは何とも言えないが…今の温度師がその状況を狙っていることはわかる。後は力を手に入れるだけだから…使い手を探しているのじゃろう」




「って言うことは、私達も膨大な力を持つ者を探せば、温度師が向こうからやってくるってワケね?」




右京の言葉に、鍵師は頷く。




「左様。それが何処にいるのかわかればの話じゃが…」




「まず、地球には居ないだろ?」




左京が訊ねる。




「しかし、我々の世界にも、そんなに強大な力を持つ者はおらん。王は別だが、力の種類が畑違いじゃ」




「え、じゃーどうしろっていうんだよ」




左京が片翼を、バタバタと振った。


「…相手の出方を待つしかない」




鍵師がそう言うと、左京が憮然とした表情をする。



鳩だから実際よくわかんないけど、多分そう。




「そんなんじゃ、いつまで経っても…」




右京が呟くが、その続きを誰も言わない。




「地球が先に滅びるか、滅ぼされるか、か。」




少し長めの沈黙が続いた後、結局鍵師が最悪の結末を述べた。




「その前に、向こうの者がこっちに来ちゃったり、こっちの人間が向こうに行っちゃったり、大混乱が起きるぜ」




左京が肩を落としながら言った。



空が明るくなり、部屋全体を照らした。



部屋から漏れている人工の光は、もう必要なさそうだ。




「とにかく、現状はつかめたわけだし。僕、少し寝ていいかな。」




僕は提案してみる。




実は僕の頭のキャパはとっくに越えていて、このままなら立ったままで眠ることが出来るだろう。




「…そうじゃな。とりあえず、我々も休憩を取ることにしよう」




こうして、一応作戦会議は作戦が思いつかないままお開きとなり、それぞれは、それぞれの寝床に散った。




僕はベッドに勢い良くダイブする。




「…なんか、、疲れた」




ぐるぐるする。



目を閉じると、すぐに睡魔が僕を襲う。



深い眠りだろうから、ただただ意識を失うように眠れるのだろうと思っていたのに、僕は夢を見た。



真っ暗な闇の中に咲く、一輪の白い花。



そこに佇む、漆黒の髪の少年。



華奢で美しすぎるその少年は、どこか冷たさと、そして近寄りがたさを放っていて、



僕は少し離れた場所から、見ていることしか出来なかった。



頭のどこかで、この少年が、鍵師の話に出てきた少年なのだろうとわかっていた。



肝心な顔が、俯いて花を見つめているせいでよく見えず、少しじれったい気持ちになる。



すると、生温かい風がひゅっと吹いて、彼の前髪を揺らした。





なんだか、どこかで―





一瞬だけ見えた横顔。



僕は彼の事を知っている気がした。




そのまま、時が止まっているかのように、どちらもその場を動かなかった。



暫くして、僕は彼に近づいてみようと決心する。



足元が土なのか、アスファルトなのか、草むらなのか、よくわからないけど、物音がしなかった。



それで、僕はとても静かに、彼に近づくことができた。



あと数歩行けば、彼の傍にいける位の距離になって、僕は気づく。



彼の片手。



僕からは反対の手に抱えられている、一冊の本。





あぁ、あれは確か―




その本に意識を奪われていると、ふいに持ち主がこちらを向いたのがわかった。



つられて僕も目線を上げる。




「あ…れ…?」



僕は目を見開く。



「君は―」



========================




「はっはっはっ」




ドクドクする鼓動。



そして、息切れ。



僕はびっしょりと汗をかいて、ベットから跳ね起きた。



陽がとっくに昇って、カーテンの隙間からは眩しい光がチラチラと見え隠れしている。





「…夢、、、」




思わず心臓に手を当てながら呟いた。



こんな夢を見たのはきっと、鍵師の話を聞いたせいだということは分かっていた。



だけど。



根拠のない胸騒ぎがした。




「クーミ!おっはよー!!」




ノックもなしに、突然開いたドアから、右京と猫と鳩が顔を出した。



なんて、元気な奴らなんだ…



内心で彼らの活動力に脱帽する。



右京と左京は若いのはわかる。いや自分と同じくらいだけど。



鍵師はどう見ても、ご老体な筈だ。



なのに、元気すぎるだろう。ついでに言うなら食欲もありすぎだろう。



時計を確認すると、時刻は午前9時を過ぎた所だった。



多分寝てから3時間ないし4時間位しか経っていない。



睡眠時間というものが、この1人と1匹と1羽には要らないんだろうか。





「どうした。タクミ。浮かない顔をしているのぉ」




いや、あんた、睡眠時間が取れないと人間はげっそりするもんだよ。



とは、思うけど言わない。




「…夢を、見たんです」




どうも頭にひっかかっていたので、とりあえず鍵師に報告することにした。




「ほぉ。どんな?」




鍵師の目がキラリと光る。



右京も左京も不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。




「昨日、、話してくれた…温度師の少年が、白い花の傍に佇んでいました。」




鍵師はじっと耳を傾けている。




「片手に本を持って。最初は、どうしてか傍にいけなくて、少し離れた場所から見ているだけだったんですが。少しして近寄ろうと思ったんです。」




僕は既にぼんやりとしている夢の記憶を必死に手繰り寄せた。



「そして、、、彼は僕を見ました。僕も彼を見たんです。だけど…」




頭が痛くなった。




「顔、思い出せないんですけど…」




キーンとする痛さに、思わず顔をしかめた。




「僕…知っているような、気がしました。」




「なんだって?!」




左京が最初に反応を示す。




「どういうことじゃ?」




鍵師は静かに訊ねる。



だが、どういうことなのかわからないから僕は鍵師に話してみたわけだから。




「いや、わかりません」




顔も思い出せないし。




「…クミが知ってるってことは…、能力の持ち主は地球に居るかもしれないわね?」



それまで黙っていた右京が口を開いた。



「だけど、コイツの記憶が勝手に作った夢だろ?そんなんアテになんねーよ!それに温度師はとっくに死んでるんだろ?」



左京の言葉に、僕もそうだろうな、と思う。



そうなんだけど。




「でも、胸騒ぎがするのじゃな?」




鍵師はベットの上に飛び乗って、のそのそと僕の前に来た。




「…はい」




僕も、鍵師を見つめて頷いた。



妙にリアルな夢だった。



僕は温度師の少年を、知っていた。



それも古くから知っているような。



親しい思いが、夢の中で僕を泣かせようとした程に。



========================



「ふぁーあ。」




予備校からの帰り道。


案の定僕は欠伸が止まらない。


片手に持ったアイスが溶けていっていることにすら、どうでも良さを感じて、そのままにしている。



瞼が開かない。



今日は尭は珍しく休みだった。


なんでかは知らない。


多分、出かけたんじゃないかな。


尭が風邪を引いたとか、信じらんないし。




こんなのんびりとした気兼ねない帰り道っていいなぁ。



家に居るトリオも今日に限って付いてくるとは言わなかった。



久々の一人、だ。



「公園によってこっかなぁー」



じりじりと暑いだろうけど。


真っ直ぐ家に帰ってしまうのは勿体無さ過ぎる。



なんだか毎日が目まぐるしく過ぎていくせいで、公園に寄るのは、右京を連れてきて以来のことだった。



一番暑い時間帯の公園は、誰も居なかった。



入り口に突っ立ってそのことを確認していると―




「卓」




突然、背後から声が掛かった。




あれ、この声は―




後ろを振り返ると、おなじみの顔があった。




「兄貴じゃん、珍しいね、こんな時間に。」




「救急の夜勤明けだよ。卓こそ、予備校の帰りにしては早くない?」




少し疲れ気味な顔をしながら、兄貴が僕ににやっと笑う。




「失礼だな。おかんが五月蝿いからちゃんと出てるよ」




「で、何?寄り道?」




「うるさいなぁ。いいだろ、別に。兄貴こそ、家に帰るの?」




面白そうに訊いてくる兄貴を鬱陶しく思いつつ、訊ねる。




「あぁ、お母さんから卓の勉強見てやってって電話掛かってきたからさ。」




「はぁ?まじで?そんなこと一言も聞いてないけど」



僕が口を尖らせると、まぁまぁと兄貴がそれを制する。




「で?卓はこの公園のどこが好きなの?」




不意を突く質問をされた。




怪訝な顔をして立ち止まっている僕の横を通り抜け、兄貴は公園に入る。




「ちょ、どこ行くんだよ?」




慌てて後を追いかけた。



蝉がわんわんと鳴いている中を、男二人、歩き続ける。




「右京が落ちてきたっていう所はどこ?」




やがて、兄貴が口を開いた。




「…えっと、、そのちょうど真ん中にある山のてっぺんだよ。」




首を傾げたまま、兄貴は一体何をしたいのだろう、と考えた。



無言で僕のお気に入りの場所に、兄貴は上っていく。



変だな。


いつもの兄貴のような大らかな感じがない。




―なんか病院でミスでもしたのかな。それとも上の先生に怒られたとか?




ただ、僕の知っている兄貴は、例え理不尽なことで怒鳴られようが、珍しいミスをしてしまおうが、落ち込むことがあっても、苛々することはなかった。



周囲の人間がどうであれ、自分と比べたりしないし、己の道を行くタイプだ。



八つ当たりするようなこともない。



けど。



こんな風に、僕の道草場所を知りたがるタイプでもなかった。




その上、右京がここに倒れていたのを見つけたのは、二週間以上も前になる。



今更?



考えれば考える程、益々わからなくなるばかりだ。




それに、少し焦っているような様子も気になる。



無口だし。



僕よりずっと高い位置にある広い背中を見ながら、こんな兄貴は初めてみるかもしれないと思った。






「―ここか。」





小山の頂上まで来ると、兄貴は呟き、周囲を見回した。




立ち尽くす兄貴を横目に僕は欠伸をした。




―まずい。



寝不足が祟っている。



僕、このままじゃ、眠っちゃう。



しかも、ここ、暑いし。



ぼんやりしながら、頂上に立つ兄貴を見た。




―ん?





おかしいな。



僕は目を擦る。



寝不足過ぎて頭が変になったのかな。



それとも、この暑さで脳みそが溶けたのか?



こないだ来た時にはなかった白い花が、兄貴の足元に咲いている。




っていうか、あんな花見たこと無い。




―夢の中でしか見たこと無いぞ。




そこまで考えて、ぞくっとした。



背中に汗が伝う。



夢……



俯いて顔が見えない兄貴…




生ぬるい風がヒュッと吹いて兄貴の前髪を揺らす。



「!」




―そうだ。



僕はどうして今まで気づかなかったんだ。



思い出さなかったんだ。



どうして忘れていたんだろう。



自分の馬鹿さをここまで呪ったことはない。



僕は、少しずつ後ずさりを始める。




一輪の花の傍に佇む美しい漆黒の髪の少年。




目と目が合った瞬間。



僕は呟いた。





『君は―』





『僕の兄貴じゃないか』




段々と―



足が、動かなくなった。



重い鉛をつけられているかのように、



地面に縫いとめられてしまっているかのように、



ピタリと、僕の足は止まる。




兄貴は、こちらを見ないまま、ただ、その場にじっとしている。



足元の、小さな白い花を、見つめて。





「!?…空が―」





背景が、空が、急速に流れていく。



雲の流れが、早送りされていくように、辺りはあっという間に闇に包まれた。




空に星も月も、見えない。




この異変は、僕の頭がおかしくなったのか、それとも現実なのか。




暑い夏なのに、ひやりとした空気が漂う。


公園の街灯が、次々に点灯した。





そして、ちょうど兄貴の真後ろに、音もなく、男が立っていた。





「…あ、にき」




乾ききった声で、僕は兄貴を呼ぶが、届かないのか兄貴は動かない。




前髪が揃った、丸眼鏡の男は、首からじゃらじゃらと懐中時計のようなものをぶらさげている。




青白いその顔は、口角を上げた。





―笑ってやがる。





その男が何者なのか、検討はついていた。



狙っているのが、、、誰なのかも。





男は、兄貴に向かって細くて白い腕を伸ばす。





「兄貴っ!」



もう一度今度は大きく呼ぶと、僕は弾かれたように走って兄貴に体当たりした。




ズシャァァッ




砂埃を舞い上げて、兄貴と一緒に倒れた僕は、直ぐにパッと顔を上げる。




少し先に倒れた兄貴は、気を失っているように見えた。





「邪魔だな」




ほっとしたのも束の間、氷のように冷ややかな声が頭上からした。



目の前に立つ、先程の男。



即ち…今の、温度師。




「兄貴に、、何したんだよ」




僕は兄貴を庇うようにして立ちはだかる。





「お前に答える義務はない。元々お前に兄なんて居ない」





扇子を取り出して、口元を覆うと、温度師は見下すように僕を見た。





「そこをどかないなら、容赦しないよ」




そう言うと、扇子を持っていない方の手の指を、こちらに向ける。



温度師が左右に指を振ると、たちまち炎が空気中を切り裂くようにして現れた。



まるでそこだけ破けてしまったように、空中に浮かぶそれはメラメラと燃え上がり―





「うわぁっ」





僕に襲い掛かった。




勢い良く飛び退くが、時既に遅し。




生き物のごとく口を開けた火は僕を飲み込もうと向かってくる。





規格外なこのパワーに、僕はもう駄目だと瞼を閉じた。


が。



あれ?



炎の熱が僕を包むと予想していたのに、一際冷たい風が僕の頬を撫でた。



氷のように冷たい風が。





「ごめん!クミ!ちょっと油断してた!」




耳に馴染んだ声がする。



恐る恐る瞑っていた目を開けると、目の前に立ちはだかる氷の柱。



そして、白銀の髪の少女。





「あんたの相手はあたしよ!こないだの分、たっぷりお返しさせてもらうわ!」





破天荒な彼女は、炎を操る男と対峙して怒鳴った。



ヒーロー志望の僕はというと、情けないことに腰が抜けていた。



「フン、鳳凛の馬鹿犬か。やはりあの時あそこで始末しておくべきだったな」



そう言うと温度師は扇子をクィっと高く上げて仰いだ。



ボワッ



小さくなっていた炎が息を吹き返し、火炎放射のように吹き付ける。




僕の前に立つ氷の柱は瞬時に溶ける。



右京は思い切り炎を喰らった。




「右京!?」




燃えたように見える右京は顔色ひとつ変えずにその場に立っている。




あ、熱くないのかな?



僕は要らない心配をしているようだ。






「あたしも甘く見られたものね!」





燃え盛る火は、右京の伸ばした両手の中に、徐々に吸い込まれていった。


「ほぉ?ならばこれではどうだ?」



温度師は抑揚のない声で、淡々と言うと、持っていた扇子を閉じて右京に向け、クルクル回して見せた。




すると。




グガァァァァッ



たちまち龍の形をした火がそこから飛び出し、右京の肩に噛み付く。




ガシュッジュウウウウウ




今度は見事に受けてしまったらしく、一瞬右京の顔が顰められたのが分かった。




「はっ、こんなんで満足しないで欲しいわ」




べりっと肩から龍を剥がし、右京はそれを氷の刃で地面に突き刺した。



そこへ―、




「よぉ、相変わらずヘマしてんな?」





誰?



僕は首を傾げる。




いつの間にそこにいたのだろう。



右京と同じ白銀の髪を無造作に散らしながら、片翼の美しい少年が温度師の背後に立ち、にやにやと笑っていた。



顔立ちは右京にそっくりだが、瞳の青の深みが違うようだった。




「馬鹿姉弟が揃ったか…ってことは近くに鍵師の奴も来てるな?」





温度師の問い掛けに、




「…勿論じゃ」





鍵師は姿を現した。




ちょうど僕の足下に。猫の姿で。




「ちょうどいい。弟の方にはかわいいペットを奪われたんだった。まとめてここで終わらせてやろう」




そう笑うと温度師は両手を高く掲げた。


「あれ、もしかして左京?」




緊迫した空気の中、僕がこっそり鍵師に訊ねると、鍵師は頷いた。




「…じゃ、なんであんた猫?」




「…この方が隠れやすそうだから」




「…………」




「…………」




「ひ、卑怯っ」




「五月蝿い。元々ワシは鍵師じゃ。闘いには向いとらんのじゃ」




年寄りの猫は、年寄り特有の自分勝手さを最大限に使っている。




「じゃ、ここに居てくださいよ」




「?!何っ、ワシを拉致する気かっ」




僕は双子の姉の影に隠されつつ、ぎゃーぎゃー言う猫を膝に抱え、兄を後ろに庇う。



ちょうど僕の眼が、再び温度師を捕らえた時、先程掲げられていた彼の両手は振り下げられて―




炎の竜巻が、互いの間に吹き起こる。





温度師の両手はその後横に引き伸ばすように動き、それに倣い竜巻も大きさを増していく。






「そうはさせねぇぜ」





左京は楽しそうに呟くと、自分の袖から扇を取り出して思い切り仰いだ。




たちまち強風が起こり、座り込んでいる僕等も目を開けていることが難しいくらいだ。





「今回だけ、協力ってことね。」




これまた余裕の表情で、右京はその荒れ狂う風を払うような仕草をした。




すると風に氷の粒が混じり、吹雪となった。



右京、温度師、左京という並びで、真ん中に巻き起こる炎の竜巻。



三人の間に吹雪く風。



到底有り得ない光景を、僕は目の当たりにしていた。




そんな中、僕はぼんやりと、




―右京の翼はもう生えてこないのだろうか。




なんて思っていた。




左京の片翼は綺麗だった。



今まで見たどんな鳥の翼より―



どこまでも白くて、きらきらとしていて。




きっと。




右京の翼はさらにキレイなんじゃないかって、思うんだよな。



「うっ…」




僕の後ろで聞こえる鈍い声にはっとして、直ぐに振り返り、眠っている筈の兄貴を見た。




「兄貴!?」




焦点は定まっていないが、兄貴の目が薄らと開いている。




僕は必死に呼び掛けた。





「兄貴!!!」





あんたは僕の兄貴だよな?





心の中で、繰り返し訊ねる。





さっき温度師に言われたことが。





『お前に兄なんて居ない』





頭の中で繰り返されているんだ。





嘘だよな?




だって僕は。




兄貴の背中を見て、追いつきたくて、追いつけなくて。




もがいてここまで来たんだぜ?




「ん…?」





兄貴の意識が戻った、と思った瞬間。






「目を覚ましたか…そろそろ遊びはおしまいだな」





温度師の冷たい声が、やけにすぐ傍で聞こえた。






「うわっ」



「きゃっ」





続いて双子の悲鳴が。




でも、僕に双子の安否を気遣う余裕はなかった。



振り返ることができなかった。



兄貴から、目を離すことが、できなかった。



「あ…に、き…?」




先程まで横たわっていた兄貴は、ゆっくりと身体を起こす。




服装はワイシャツに黒いスーツ。



兄貴の格好をしている。



だけど。



決定的に、目が違った。



真っ黒の、瞳。



一筋の光も、見えはしない。



見続けると吸い込まれてしまいそうな。




懐かしむように彼は辺りをくるりと見渡し―





そして、



笑った。



「タクミ」



こそこそっと抱えている猫、じゃない鍵師が僕を呼ぶので目をやると、後ろを見ろという身振りをする。



あ、そういえば。



慌てて僕も、右京たちを探す。




「あっ」




温度師が両手を上げて手の平をぐっと握り締めている。




その両方の宙に右京と左京は苦しそうに首を押さえ、もがいていた。




直接手は触れていないものの、温度師はまるで二人の首を締め上げているかのようで。






「右京!左京!…つっ、あれ?」







咄嗟に助けに行こうとするが、例えるなら飛行機の離陸時のようにものすごい重力が、僕を押し付けるので抗うことが出来ない。





「どうしたんじゃ?なんじゃコレは」





それは鍵師も同じようで。




僕らは少しもその場から動くことができなかった。




「蓮貴様…お目覚めになりましたか?」




いつの間にか、兄貴の傍まで来ていた温度師が、兄貴の前に恭しく跪(ひざまず)く。




右京と左京は先ほどのまま、まだ苦しんでいる。





僕は固まったまま温度師を睨み付けるが、




「れ…んき?…」




今しがた聞こえた名前を、信じられないような思いで口にした。




まさか。




そんな。




何千年も前の存在が?





「…お前が、私を起こしたのか?」





静かな声で、蓮貴と呼ばれた男は温度師を見下ろす。




「はい。貴方様と志を同じくする者です。」




「ふん、禁忌を犯したのか?」




「いえ、私の力では無理でございます。貴方様のお力がなくては叶いません。」




「だから、俺を起こしたのか。」




納得したように蓮貴は軽く頷いた。





「お前の言う、志とはなんだ?」




腕組みをして、蓮貴は訊ねる。




「無論、全ての世界・空間を終わらせ、自らの手で支配することでございます」




「フッ」




温度師の答えに蓮貴は笑う。



温度師もにっこりと笑った。




が。



一瞬にして、蓮貴の表情は消える。





「じゃ、もう用無しだ。」





指先ひとつ、動かす事無く、蓮貴の呟きと同時に温度師が消えた。





「え?」





今確かに温度師が跪いていた場所。




見間違いかと、僕は自分の目をごしごし擦る。



そして―




「うわっ」


「きゃっ」



ドサッ





大きな音に振り返ると、押さえつけていた力の主が消えたことで、首を締め上げられていた二人が解放されていた。




肩で息をしてはいるが、大丈夫そうだ。




僕は安心してほっと息を吐いたが、直ぐに蓮貴の方へと向き直った。




しかし。






「?!」





蓮貴は、もうそこには居なかった。





世界は光を取り戻し、夕暮れになって。




周囲はオレンジに染まり、温度は高い。




いつも通りの、公園の中にある、小山。




何事もなかったかのように、全ては元に戻っていた。




ただ。





「花が…」





幻かと思っていた白い花。




手折られたのだろうか。




その茎だけが、ゆらゆらと風に靡いていた。




『お目覚めになりましたか?』




最後の星に選ばれし温度師。




彼は、目覚めてしまった。

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