金色の猫
小松の騒動から数日して、夏休みに入った。
そのせいか噂は思ったよりも広まらず―多少の物足りなさを残しつつ、学校という媒体は息を潜めたのだ。
「卓。お前、ちゃんと勉強してんの?」
久々に実家に顔を出した兄貴が、アイスをかじりながらぼへーっとテレビを見る僕に心配そうに訊ねた。
テーブルは嫌だ。
ソファも暑い。
だから床。
クーラーつけたいんだけど、親の許可が出ない。
部屋に籠もってこっそり涼んじゃおうかな。
「してるわけないでしょ!全く。おにいちゃんの爪の垢煎じて飲ませてやってよ。」
おかんが昼食の後テーブルを布巾で拭きつつ答える。
「来年は受験生だろ?期末試験の結果は?」
「あら!そういえばどうだったの?」
やばい。
雲行きが怪しくなってきた。
「結果は夏休み明けだよ」
テレビに釘付けのフリをして、冷や汗をかいている僕。
「結果ぁ?あぁ、クミこないだもらってたやつ?んーーーーと、先生が怒って呼び出しくらってた…む、んー!!」
出たな、右京。
僕は咄嗟に立ち上がって右京の口を塞ぐ。
「あー、そうだった!今日溝端ん家で勉強会があるんだった!あー忘れてた。行ってくるわ!」
「んー!んー!!!!」
明らかに怪しんでいる表情のふたりを残し、現状を理解していない右京をずるずるとひきずって慌てて玄関に向かう。
「なにすんのよぅ!」
ちょうど家を出た所で、右京を解放してやると、案の定彼女は怒っていた。
「右京さ、ちょっとは僕の立場考えてくれない?あそこは正直に答えちゃいけないところなの!」
困ったように僕が言うと、右京は口を噤んで不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「僕が将来のことを考えてないって説教が始まるんだよ」
はぁ、と溜め息を吐くと、右京は隣でふぅん、と呟く。
「クミは将来のこと、考えてないの?」
あてもなく歩き出しつつ、今度は僕が考える。
「将来のこと、考えたって、意味があるとは思えないんだ」
右京も同じようにぷらぷら隣を歩き、首を傾げた。
「なんで、意味が無いの?」
陽の光の眩しさに、目を細めつつ、僕もうーん、と唸る。
「例えばさ。」
右京と向き合えるように振り返って、後ろ向きに歩いた。
「今日、これから僕は死ぬかもしれない。そうすると、僕が今までもしも勉強を必死に頑張っていたとしても、良い大学に入れることが確実になっていたとしても、その努力は泡になる。ならいっそのこと―」
ここまで言うと、僕はまた前を向く。
「最初から努力なんて格好悪いことしないで。楽に、楽しく、一日一日を過ごせれば、それでいーんじゃないかって僕は思うんだよ。なんでもほどほどにね。」
右京より前に歩いているから、右京がどんな表情をしているのかは見えない。
暫く沈黙が続き、お互いの歩く足音だけが聞こえる。
「…親は、かなしむんじゃないの?」
やがてぽつり、右京が訊ねた。
「悲しむワケない。どーせ兄貴が成功してんだ。兄貴さえ良かったらそれでいいのさ。僕がどんな人間でどんな風に生活しようと、皆の前でへらへら馬鹿みたいに笑ってれば、それで十分なんだ。僕はずぅっと二番だからね」
常日頃、僕が自分の中だけで処理している感情だった。
誰かに話すことなんてしようとも思わなかった。
だけど、右京は非日常だったからか。
僕は素直に質問に答えることができた。
「だから、クミは地球が亡んでも構わないのかぁ。」
納得したように、右京は言った。
「自分が好きじゃないから、住んでいるこの場所も愛せないのね。」
思わず僕は立ち止まる。
なんでかって?
図星だったからさ。
「あたしは自分の世界が好きよ」
僕の変化に気づく様子もなく、右京は僕に追いついて、顔を覗き込む。
「宝石みたいに輝くあの場所が好き。自分のことも好き。」
ふふ、と子供みたいに笑う右京を、少し羨ましいような気持ちで見つめ返す。
「あ。」
その彼女の視線が僕の向こう側を見て、笑い声もピタリと止んだので、つられて同じ方向を振り返った。
近年の増税の煽りを受けて、かなり減った貴重な街の煙草屋。
彼女の視線はそこに釘付けになっていた。
「…どうかしたの?」
気になって訊ねると、はっとしたように我に返った右京が指を差す。
「あそこ。」
彼女の指の先を辿った先には、黄金色に輝く毛の長い猫が置物のように店先に座り込んでいた。
その目は碧色で、きらりきらりと輝いている。
「鍵師だ…」
右京はそう呟くなり、駆け出した。
「ちょっと待って…」
僕もつられて走る。
「鍵師ー!!!」
どこかぼんやりとしていた猫は、右京の張り上げた声に気づいたのかこちらを見た。
そして―
背を向けて逃げた。
「えぇぇ!?」
その行動に右京も驚いたのか、素っ頓狂な声を出した。
が。
「負けるかぁぁぁぁぁ!!」
間違いなく人より多く彼女に備わる闘争心に、火がついたらしい。
僕もついていくのが必死なくらい、加速した。
「まじかよっ」
全速力で街中走るとか、かっこ悪いんだけど。
どのくらい走ったのか。
せいぜい10分くらいか。
黄金のふさふさした猫は、僕らが通ることのできない隙間などには入らず、
姿を消すようなことは、決してなかった。
それどころか、時々こちらを振り向いては、ちゃんとついてきているのかを確認するような素振りをする。
そして、今、工場が立ち並ぶ一角にひっそりと佇む、もう長いこと使われていないだろう古びた煉瓦造りの小さな工場の前で、猫はぴたりと座り込み、こちらが追いつくのを待っているようだ。
「全く。そうならそうと言ってよね!」
右京が憤慨している。
僕はどちらかと言えばそんなことよりも、あれだけ早く走ったこの子が、息切れのひとつもしないで怒っていることが信じられない。
「う、きょっ…はっ…はっ…早い……」
怒るどころか、話すエネルギーすら、僕にはもう残っていない。
にゃーーお
野太く、低い鳴き声で鳴くと、猫は躊躇いもせずに、工場の中へ足を踏み入れた。
「ついてこいって言ってるのよ。ほら、クミ行くよ!」
疲れをこれっぽっちも感じさせない、むしろワクワクしているような薄い笑いさえ浮かべて、右京はそう言うと、猫の後を追う。
「もう、僕ここで待っててもいいかな…」
ぽつり呟いた言葉は、誰にも聞こえてない上、了承されないことを知っていた僕は、小さな溜め息を吐いて、右京の後を追うことにした。
工場の中は、空気が淀んでいて、下はコンクリートだった。
戦争時代に使われていたんじゃないかっていうような…古い建物だ。
入り口だろう場所は鉄が打ち付けられていて、封鎖されている。
じゃ、僕等がどうやって入ったかというと。
壁の材料になっている煉瓦と煉瓦の間に亀裂が入っており、劣化するにつれて崩れてできたその隙間が、ちょうど人一人ぎりぎりくぐれる位の大きさの穴になっていたから、そこに身体をねじ込んだのだ。
中は当時のまま残っていて、作業台や椅子、線の抜けた電話機などが、埃を被ってじっとしていた。
全体的に石造りなせいか、ひんやりとした薄ら寒いような空気が漂う。
窓に打ち付けられている木の隙間から、光が零れて線となり、中にちらちら差し込んでいる。
ひとつだけしかない、恐らく一番偉い人物が座っていたのであろう、革張りの茶色い椅子に、黄金の猫は行儀良くちょこんと腰掛けていた。
「右京…」
しわがれた声に、僕はどきりとする。
そして周囲を見回した。
僕、右京、猫以外誰もいない。
でも僕は信じることができない。
だって声を発したのは、金色に輝く猫しか考えられなかったから。
僕の頭も相当イカれたのかな。
ま、イカれていたとしたって今初めてそうなったわけじゃない。
「鍵師。あんた、温度師に捕まってたの?」
この勝ち気な女の子に会ってから、僕の頭はずっとイカれっぱなしだ。
「…まぁ、落ち着いて話そう。右京…」
ゆったりとした口調で言うと、あろうことか猫は慣れた仕草でどこからか煙草を取り出し、口にくわえた。
多分、長い毛の中に隠していたんだと思う。
「嘘だろ…」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
異次元初体験の僕にとって、猫は話すだけでも驚きなのに、煙草を吸うだなんて。
長いふさふさの尻尾で煙草をシュッと擦ると、先端が赤く燃えた。
三本の足で立ち、片足で煙草を燻らす。
それを旨そうに吸ってプカリ、紫煙を吐き出しながら、満足そうに碧色の目を閉じた。
「ちょっとー!それこっちにきてもやってるわけー?信じらんないっ。ってかそんな暇ないでしょうよ!早く動かないと地球どころか、王権も代わるのよ?!」
ちょこっとだけ我慢したらしい右京は、もう限界にきたらしく、喚く。
「…右京は、昔から短気でいけない…」
そんな彼女の怒声は慣れっことでも言うように、猫は少しも動じず、目も閉じたまま。
「きぃー!鍵師はいっつもいっつも昔からそんな風にゆっくり生きてるからそんなもじゃもじゃになっちゃったのよ!」
基本的に、言われたままでは居られない右京は、よく理解できない理屈で返答する。
僕は…
ぶっちゃけ、どうでもいいです。
だって何もかもに、ついていけないから。
結局猫は最後の最後まで、煙草を吸い切った。
右京はぶすくれたまま、ワンピースなのに(おかんが買ってきたらしい)胡坐をかいて、猫のことを睨みつけている。
僕は目のやり場に困って、二人から…もとい、一人と一匹から離れた場所で、体育座りをして見学者を決め込んでいた。
「さて…と」
やがてゆっくりと猫は碧の瞳を開ける。
「右京、、きっとお主はここに来るだろうと思っていた。」
「…どういうこと?」
ふてくされている右京は猫を怪訝な顔をして見つめている。
「…雨が、降っただろう」
思い返すように、遠い目をした猫は、心なしか苦しい表情をしている。
右京が頷いた。
「あれが、何を意味するか、知っているか?」
「知ってるよ。統治している星が死ぬ前兆だって」
右京が答えると、猫は首を大きく縦にふった。
「それから?」
「…それからって?」
先を促す言葉に首を傾げる彼女に、猫は困惑しているようだ。
「雨が降った後、どうなったのか、ということも、かなり重要なんだが。右京は雨が止んだ後どう変化したか、わかるね?」
「晴れた。太陽の晴れ」
猫はうんうんと頷く。
「で、それが何を意味するか、王は教えてくださらなかったのか?」
「うん。」
「うーん、王が言わなかっただけか、それとも王もご存知ないのか?」
猫は不思議そうにしている。
「ねぇ!何の意味があるの?知ってるなら、早く言いなさいよ!」
我慢できない性質な上、ただでさえ苛々の塊である右京はけんか腰で叫ぶ。
「あぁ、本当に右京はうるさくてせっかちだの」
猫は心底迷惑そうに耳を伏せる。
「良いか。雨が降った後、それが雪に変わり吹雪けば、わが国への変化は極寒と灼熱が多少入れ混じる程度だ。曇だった場合は現状維持。そして雨が止まなかった場合は津波が襲う。最後に晴れた場合は―」
そこで猫は一旦言葉を切り、僕のことを何故か見た。
「滅びる星と、我々の世界が入り混じることになる。」
それってどういうこと?
目をぱちくりさせて、僕はない脳みそを使ってみる。
単純に考えて、滅びる星と右京たちの世界が混じっちゃうっていうのは―
「あたしたちの星も無くなるってこと!?」
右京が悲痛な叫びをあげる。
そうだよな。そーゆーことだよな。
「左様。最早王だけの問題ではない。」
猫は神妙な面持ちで呟いた。
「うっ」
突然、右京ががくっと崩れ落ちた。
「右京?」
僕は思わず駆け寄る。
「右京、、この世界で力を使ったな?」
猫は慌てる様子もなく、ゆっくりとした動きで、膝立ちしている右京に訊ねた。
「この世界で力を使うことは、我々の世界で力を使うこととはワケが違う。倍以上の力が必要な筈だ。加えて怪我もしていると言うのに…」
「お説教はやめてよ、鍵師。これくらい、寝たら治るわ。」
にやりと笑うと、右京は宣言どおり眠った。いや、意識を失ったという方が正しいだろう。
そんな彼女を抱え込むようにして、僕は途方に暮れる。
「…この奥に、横になれる位のソファがある。お若いの、あんた運んでやってくれないかの。」
猫は僕をじっと見つめながら、貫禄を感じさせる口調で言った。
「…わかりました」
猫と話すという、なんとも不思議な体験に戸惑うが、一応返事をする。
「全く。お転婆な娘だわぃ」
先だって歩きながら、猫がぶつくさと文句を言っている。
結局右京をおんぶしながら、僕はふらふらとその後を付いていく。
「右京はどんな状態でやってきた?」
ひぃひぃ言いながら、でかい女・右京を横にならせてやると、猫が訊ねてきた。
「瀕死でした」
一応一部始終話すと、猫は難しい顔をした(元々毛がフサフサしているので険しい顔に見える)。
「奴の毒にやられたのか…よくあれだけ元気に今まで居れたもんだ。」
呆れたように呟くと、二本足で立ち上がり、右京の方へトテトテと歩いていく。
そして、横たわる右京が無意識に抑える肩(―恐らく背中が痛むせいで)の手をそっと外させた。
それから右京の額に前足を当てて、うーんと険しい顔を(多分)した。
「随分と厄介な毒だったからの。地球での治癒は難しいかも知らん…応急処置が精一杯か…」
猫がそう呟き、くるぅりと空気を撫でるかのように前足を回すと、右京の辛く歪んだ顔が和らいだ。
それを確認すると、猫はこちらを振り返る。
休めの姿勢で居た僕は、びくっと姿勢を正す。
「…若いの。名はなんと言う?」
猫は、この部屋を自分の隠れ家として使用しているようで、右京が寝ているソファも、今しがた猫がぴょんと飛び乗ったレトロなテーブルも、付随する椅子も、埃ひとつ被ってはいなかった。
窓の隙間から漏れる光を鏡で反射させることで、薄暗い室内は照らされていて、僕はちょうど鏡とテーブルの間に立っている。
「えっと…望月卓毅といいます」
答えると、猫は軽く何度か頷いた。
「そうか。タクミか。良い名だ」
人間の姿している右京より、猫の姿しているじーさんの方が話しがわかる気がした。
「では、タクミ。そこに座んなさい。」
僕は言われたとおりに猫の座るテーブルのすぐ傍にある椅子に座った。
そうするとちょうど、テーブルに座る猫と僕は、同じ目の高さになった。
「単刀直入に訊くとしよう。タクミは右京の言うことが真実だと思っているかね?」
僕はその質問に正直、どう答えればよいのかわからなかった。
だけど、碧玉の様な色をした目は澄んでいて、何もかも見透かされてしまいそうな気分になる。
「…最初は…彼女自身が嘘と思っていなくても、現実ではないと思っていました。単なる空想とか妄想に過ぎないと。でも…」
「でも?」
「彼女の力や、そして、、あなたのことを見て、、非現実だとはいえないと、今は思っています。」
例えどんな形でも。
彼らの言う、地球のオワリはきっとあるんだろうし。
僕等が汚してきてしまったこの星を守ろうとしてくれていたことも、確かに事実なんだろう。
「…自分自身の目や精神状態を疑うことはしないのかの?」
「えっと…それは…」
猫の言葉は、ここ数日自問していたことなので、答えに窮する。
「冗談じゃ。お主の目は確かだし、精神はどこも異常をきたしてはおらん。」
なんだよ、冗談かよ。
猫の表情はわかりにくすぎる。
「まぁ、それなら話は早い。ここが滅びるのも時間の問題じゃ。我々の国を道連れにして、な。この地球という場所は余程特別な星なんじゃろう。」
「?どういうことですか?」
「我々が支配している空間は無数にある。そのうちのほとんどはなくなっても誰もわからない程の星じゃ。大した影響もない。ただ稀に、多大な影響を及ぼす星がある。それは実は密接に我々の世界と関わってきたからなんだが―、そうした星が滅びる場合、こちらの世界もその住人もろとも失くなる。」
つまり?
僕は今の言葉を自分で消化するために噛み砕く。
「なんでもない星だったら、滅びても、そっちの世界は何の影響も受けなかったわけですか?」
「民間人は、な。王とその家臣は違う。命が掛かっておる。」
王の命とその家臣ってことは…
王、と…
「右京の命も?」
「左様」
猫は僕の反応をわかっていたかのように直ぐ頷いた。
「それは世界が入り混じらなくともそうなる。王の手腕の責任を問われるからだ。王権は剥奪され、王と王に仕える者とは力を失い、命を失う。例え、次代の王が家臣を引き継ぐことになったとしても、あの子は今の王を慕っておる。共に逝く覚悟じゃろう。」
そんな馬鹿な話って今時あるのか?
僕は言葉を失う。
「だから、右京は地球に住む人間が嫌いじゃ。自分達の手でこの星を汚し、当たり前ではない物を、当たり前のように受け、地球の悲鳴を聴こうとせず、滅び失うまで気づかない。自分たちの犯してきたことを、自分たちの知らない誰かが奔走して拭おうとしていることも知らずにのうのうと生きている。」
猫自身、いや、鍵師自身の怒りでもあるのだろうと思う。
碧色の瞳がゆらり、小さく橙に燃えるのがわかった。
陽の光ゆえの錯覚かもしれないが。
それを見て僕は。
右京がいつか言った言葉と、表情を思い出していた。
―人間は、無償で受けているものに気付かない。
そう言うのも当然だ。
命が、大事な人の命が、こんな僕が住んでいる世界に、掛かっているんだから。
初めて右京と言葉を交わした時。
彼女は血だらけの瀕死だったのにも関わらず。
必死な顔をして、僕に言ったんだった。
―『地球が滅んじゃうのよ!』
それを聞いて僕は、
なんて事を言ったんだろう。
なんて事を思ったんだろう。
―『別に、いいんじゃない?』
あの時殴られた、もうとっくに癒えた筈の頬が痛む。
―『馬鹿じゃないの?!』
殴られて、当然だったんだなぁって今更ながら納得した。
右京は、いつだって全力で、誰かの命を救おうとしていたのに。
「ワシと会えた事で、右京の緊張が少し緩んだのだろうな。気力だけで堪えてきた分、少し緩んだ瞬間に、身体が限界を告げたんじゃ。」
鍵師はふぅ、と溜め息を吐き、僕から目を離して床に目をやる。
「ワシの仕事は鍵師で、その名の通り鍵を作る。今まで何度も地球が熱を上げるたびに応急処置として使用してきたのが、【絶対零度の鍵】じゃ。右京はワシが居れば時間稼ぎにはなると考えておる。だが…」
「?」
言い淀み床を見つめ続ける鍵師は、項垂れているようにも見える。
「だが、材料がなければ作れない。あっちの世界に戻れたとしても、全て獣に破壊されてしまった。残ってもおらんだろう。貴重な幻雪の結晶…。そして右京の様子を見ると、弟の左京とも意志の伝達が図れないようだ。なす術がない。」
それは、つまり。
「このまま、滅びるのを、黙ってみているしか方法はないと?」
鍵師は肯定はしなかったが、否定もしなかった。
ただ、黙って、床を見つめたままだった。
「僕は、、、何ができるでしょうか?」
気付けば、言葉が勝手に零れ落ちていた。
この星を守るために、別の星の誰かが失われてしまう。
白銀の髪をした、天真爛漫で、力が強くて、自分勝手で、
誰よりも気高く何よりも美しい、
この少女が、居なくなってしまう。
―『無くなってしまったらもったいない世界だね』
この星に住む者ではないのに、
この星に命を奪われそうだというのに、
この星が無くなる事を、
多分地球上の誰よりも、残念に思ってくれたこの少女に。
どんなに格好悪くても。
どんなに似合わなくても。
力が君より全然なくても。
自分は自分なりに、君だけの為に、今だけ。
やっぱりヒーローになりたい。
君の力に、なりたい。
「クミ!!!」
僕の質問に鍵師が答えようと口を開いた瞬間に、
僕の後ろのソファで眠っている筈の右京が、僕を呼んだ。
驚いて思わずびくっとなって、振り返ると、右京は目を瞑ったまま手を宙に伸ばして―
「行こう」
と言った。
誰かの手を掴むように掌を握ると、ゆっくりと下ろし、そして寝息を立て始める。
ね、寝言か。
人騒がせな。
ノミのハートをばっくんばっくん言わせながら、頼りないヒーロー志望だなと自分に苦笑する。
それにしたって一体どんな夢を見て、僕は連れて行かれることになったんだろう。
恐ろしい。
「恐らく―」
静かな声に姿勢を戻すと、鍵師が僕を見つめていた。
「右京はお主に頼ろうなどとは思っていない」
余りのはっきりな言い様に、さすがに僕もがっかりして俯いた。
わかってるよ。
自分に何の力もないことなんて。
自分よりよっぽど彼女の方が強いことなんて。
彼女が僕を含め人間を毛嫌いしていることだって。
だけど、何も力になれないのか?
「ただ―」
鍵師の声に、まだ続きがあるのか?とその先に淡い希望を抱き、顔を上げる。
鍵師はそんな僕を面白そうに見ている。
「今のでわかったじゃろう。右京は『クミ』に見届けて欲しいようじゃ」
え?
何を?
僕は目を瞬かせる。
それを見ると鍵師は益々楽しそうに笑い声をあげた。
「右京は自分の力をフル稼働させて、きっと地球を救おうと奔走するじゃろうな。成功する確率は現段階では最悪で、まず地球存続は無理じゃ。だがどちらに転ぶにせよ、右京はこの星の行く末を、タクミに見て欲しいと思っているようじゃ」
えっと。それはどういう…
僕は結局どうしたらいいのかわからなくて、とうとう首を傾げた。
「右京の傍で、その目で見ていて欲しい。」
鍵師がその小さな頭を下げる。
「タクミは厄介なことに巻き込まれたと思っているじゃろう。だが、ワシからも頼みたい。」
そこで言葉を一旦切り、顔を上げると鍵師は言った。
「右京の傍に居てやって欲しい。」
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