疑いようのない事実

遠くから聞こえる部活動の人間たちの声。


すぐ近くから響く、ボールを弾く音。



まだ高い場所にある太陽がじりじりと僕の身体を刺す。



体育館裏。



といったって。



バスケ部が体育館使ってるんだから、なんか隠れようにも隠れられない。



だって、ほら。



冬ならまだしも。



真夏の今、体育館の窓も扉も開けずにスポーツなんてやってられないわけで。



そうなると勿論、裏と言えど、体育館のすぐ傍で、陽の当たるこの場所で、立っている僕は丸見えだ。



制服でじっと相手の出方を待っている僕は、ひどく滑稽だろう。



それに相手も、、相手だし。


ちろっと小松を見ると、腕組みをしたまま、相変わらず僕をじっと睨んでいる。



それから…



僕はそこからすぐ隣に視線を移す。



今人気沸騰中の転入生が、いるわけだし。



右京は僕の脇で、目を爛々と輝かせ、口元には笑みさえ浮かべて行く末を見ている。



注目の的になること必須っていうか。



もう、仕方ない感じだよね。うん。



自分で自分を慰めながら、これから待ち受ける悲劇にメンタルを整える。



「望月ぃ。お前、右京ちゃんと付き合ってんのかぁ。もう一度きっちり答えろ!」



しばし沈黙を守っていた大男が、口を開いた。



僕は項垂れる。



付き合ってるなんて一言も言っていません。なんて言えずに。




「付き合ってないよ」



か細い声で、僕が答えると、小松は怒った。



「男らしくねぇーな。男だったら潔く認めろ!」



僕、容疑者が『はい、僕がやりました』って言っちゃう心境が、ちょっとわかった気がする。



こうやって冤罪はつくられてくんだ、きっと。



バスケ部の溝端は、にやにやしながら、こっちに一番近い扉によっかかって、聞き耳を立てている。



ほんと、悪趣味な奴だぜ。


僕は緊張をほぐすために、コホンと咳払いした。



「…小松…くん。君の誤解なんだよ。俺は右京とは付き合っていないんだ」



僕はしっかり真実を伝えた。



筈だったのだが。



「なんで呼び捨てなんだよ、はぁぁぁん?」



怒りを煽るだけだったらしい。



しかも質問の答えとは違う箇所が、癇に障るとか。在り得ないって。



「とにかく、一発お見舞してやるぜ!」



空気を切った音がヒュッとして、その拳はすごい速さで僕の目の前まで迫ってきた。




うわ。



すんでの所でキリキリ避ける。



あーアブねぇ。痛い思いをする所だった。




「クミ、避けちゃ、だめだよ」



さっきよりは少し離れた場所で、右京は自分勝手なことを口走った。


何言ってんだよ。


両腕を膝の上にのっけて、その両手で自分の頬を支え、座り込んでいる右京に文句のひとつでも言ってやろうかと一瞬目をやる。



その一瞬に、右京はパッと片手の人差し指を突き出し、僕に向けてクルクルっとまわした。



例えるなら、トンボの目を回すためにするような感じで。



―まずい



そのことに気を取られて、次に繰出される小松のジャブを避けられない事実に冷や汗が出た。



来る。



思わず目を瞑る。



全くと言っていいほど構える事ができなかったので、僕の顔面が腫れ上がることは容易に想像できた。



流血は免れない。



…………



筈だったのだが……。



…………



……





いつまで経っても衝撃を感じられない。



無意識に食いしばった歯に気づく余裕すらある。



もしかして、僕意識がもう吹っ飛んでるのかな?



考えてみれば、先程まで聞こえていたグランドの声も、



体育館からの音も、



小松の息遣いも、



なんだか耳に入ってこない。



静寂が辺りを包んでいる。



目が覚めたら痛いのかな。



そんな考えが頭を過ぎり、僕は現実と向き合うことを躊躇う。



そこへ―



「ほら!クミ。いまのうち!」



静寂を破って、底抜けに明るい声が響いた。



「は?」



思わず頑なに閉じていた瞼を、あっさり開いた。



僕を待ち受けている光景は、僕の予想を遥かに上回って―



異常だった。



「え?」



これから先、僕が発する言葉全てに疑問符をつけたい気分だ。



きっと、夢を見ているんだろう。



僕はもう一度強く目を瞑った。



「何やってんのー?早くー!そのうち動き出しちゃってもいいの?クミ鼻血ぶーだよ」



夢ならば、覚めてくれ。



そして、この素っ頓狂な少女ごと失かったことにしてくれませんか。



誰に願うでもなく、強く思った。



「どういうことなの?」



僕は諦めて目を開けて、辺りをくるりと見回した。



僕の前の小松は、僕の鼻の先まで拳を近づけ、カーブしたままの姿勢で一時停止していた。



ひょい、とその脇に僕はどいて、体育館を覗く。



バスケ部の奴らも、扉に意地悪く寄りかかる溝端も、やっぱり止まっている。



五月蝿い位の蝉の合唱も、



生ぬるく吹いていた風も、



ギラつく太陽さえも、



静止しているようだ。



「空間の流れをちょこっといじって止めただけだよ」



なんでもないことのように、右京は笑った。



僕は、、



残念ながら、笑えない。



しゃれにならん。


あぁ、これは夢なんだ。



悪い夢なんだ。



「僕は、本当はノックアウトされて意識が吹っ飛んで、こんな夢を見てるのかな。現実は保健室のベットで寝てるのかな」



「クミってやっぱり馬鹿なんだね」



ぼやく僕に、心底呆れたとでも言うように右京がはぁ、と溜め息を吐いた。



「これのどこが夢の中なのよ!そのでかい男にはちょっと痛い目に合わしてやりたいけど、クミが怪我するのはかわいそうだから仕方なく加担してあげたのに。」



偉そうにふふん、とふんぞり返っている。



どこがって。



全部が夢みたいな出来事なんですが。



言ったって無駄なことを空気で感じた僕は黙っているけれど。



「とにかく!ぼっこぼこにしてやって!その男ったら、こともあろうかあたしに貢物を持ってくる素敵な人たちを追い散らしやがったんだから!」



右京は鼻息荒く、シャドウボクシングをしてみせた。


食い物の恨みは恐ろしいもんだなぁ、と他人事のように思った。


実際の所、他人事なんだけど。


「…でも僕は…」



無抵抗の人間に手を下せる程鬼じゃない。



「かー!生ぬるい!生ぬるいわね、人間は!」



地団駄を踏む子供のように右京が騒いだ。



僕は目の前の光景も信じられないし、



こんな暴力女も信じられない。



だけど、否定し難い事実が正に今、起こってしまっている。



「仕方ないわね。ちょっと、クミ。」



右京はそう呟くと僕に指示する。



「その男の脇に立って」



「脇?」



「うん。平行するように。そうそう、そんな感じ。それで…」



言いながら右京は自分の腕を上げて、振り子の様にゆっくりと揺らし、ちょうど中途半端な場所で止めた。



「こんな風に腕をまげて」



訝しがりながらも、言われた通りにする。



「角度がね、えっと、もちょっと、、このくらい。そう、そうそう」



微調整が終わると右京は満足げに微笑んだ。

 

「動かないでよ。…じゃ、いくわね」



そう言うとさっきやったトンボのぐるぐるの反対周りみたいな仕草をした。



その途端。



「おわぁ!!!!」



バッターーーン!ズシャッ!!



一気に騒がしい夏の空気と叫び声が耳に入って来た。



「?」



僕は右京に言われたとおりの姿勢でいただけなので、何が起こったのかわからない。




「くっ…望月ぃ…」



苦しそうな声の主は小松だと言うことに気づき、僕はすぐさま振り返る。



見ると地面に叩き付けられた小松が、鼻血ぶーしている。



ちなみに言わせてもらうならば目が血走ってる。



超怖い。



「すごーい、クミ、すごーい」



完全棒読みな右京が拍手してくれている。


が、ちっとも嬉しくない。


「やるなぁ、卓」



意外そうな顔を隠そうともしないで、素直に称賛の言葉を掛けてくれる溝端。



返す言葉も見つからず、ただ惨劇を観察した。



状況を考えてみるならば。



多分、僕が思うに。



元々無理な姿勢で僕の顔面を狙っていた小松の横に立ち、右京の指示通りに出した手が小松の背中にゴーサインを出して押してあげてしまったんじゃなかろうか。




要は。



ただでさえつんのめるような格好の小松を思い切り後ろから押しました。



ということだ。



そりゃ痛いだろう。



そしてかなりずるむけるだろう。



右京って女は怖いぞ。やめたほうがいいぞ。



心の中で小松に同情する。



ちなみに僕は潔白だ。




やろうと思ってやったわけじゃない。



「まだまだぁ!」



小松が血をだらだらと流しながら、飛び掛ってくる。



そうだ。



思い出したけど、小松は柔道部だ。



なんか喧嘩っていうと、ついついボクシングを思い浮かべちゃうけど、小松は柔道だから。



だから組んでこようとするわけか―



投げられるのかな、それとも足を払われるのかな、なんて冷静に分析していると、またしても―



小松が、止まった。



目の前で。



もう嫌だ。



こんな現実。



僕は思わず両手で顔を覆った。



お願いだから、僕の平凡を返してください。



「クミ!今度は投げちゃいな!」



とても良いことを思いついたかのように、くすくすと笑うこの女は悪魔だ。



「その筋肉男は重たいから、一時的に軽くしてあげる!投げた瞬間に時間を流すから!」



僕は、一応人間なので。それもふつーの。



だから、当然弱いものいじめは嫌なので。



「もう、いいんじゃない?…小松。血でてるし。。。」



無駄だと思うけど庇います。



予想通り右京の頬はぶすっと膨れた。



「なに甘っちょろいこと言ってんの!大体仕掛けてきたのはその馬鹿じゃない!」



その馬鹿はあなたが好きなんですよ。


そしてこの騒動はそもそもそれが発端となって起きたんですよ。



と言ってやりたいが。



「むしぱんとかぷりんとかいう名前の食べ物!食べたかったのに!」



かなり私怨がらみなようで。



「クミがやらないならあたしがやる!」



「え、ちょっとま…」



僕が止める間もなく、彼女は暴走し出した。


本当に一瞬で、少し離れた場所で傍観者となっていた右京は、僕と小松との距離をなくす程に近づき、



「ひっ」




僕が瞬きを一度して、再び目を開いた時には―



ドッガシャーン!



空気は流れ、小松は吹っ飛んでいた。



思いっきり体育館裏にある倉庫の扉に投げつけられた小松は今度こそ、気を失う程のダメージを食らったらしい。




「卓って結構やるのな。俺の知らないお前を見るようだったぜ。」



本気で驚く溝端の声に、我に返った僕は、



「違うよ。あれは俺じゃ―」



投げる前と同じ位置に座っている彼女を目で認めた途端、否定の言葉を飲み込んだ。



悠長に猫なんて触ってやがる。



僕はなんだかやるせない気持ちになった。



そして、いつの間にか多くなっていたギャラリーと、鬼の形相をしている先生に捕まらないよう走って逃げた。



右京はそんな僕の後ろを、ゴキゲンに鼻唄なんて歌ってついてきた。



まだまだ暑い、真夏の夕方。



「で。」



長机。



右隣に尭が不機嫌オーラ全開で頬杖をついている。



後ろにはざわつく同級生達。



「どうして、君はここに?」



僕は左隣の白銀髪の彼女に訊く。



「クミが居るから!」



にぱっと笑った右京は、ペンというものを知らず、僕の筆箱から奪ったボールペンをカッチカッチと鳴らしては喜んでいる。



中身は幼稚園児みたいに見えるんだけどな。



僕は彼女の力業の数々を思い返す。



なんちゅー、怪力なんだか…。



こんな怖いものなしの彼女に、僕はどうやってもヒーローになんかなれそうにない。



そして、彼女の特異な力。



それを目の当たりにしてしまった今、疑う余地はもう残されていなかった。



かといって、誰かに相談しても、信じてもらえないだろうし、逆に僕が精神病棟に入れられてしまう可能性だってある。


それに―


これは僕の勘だが。



右京は僕以外に力を見せない気がする。



証明してみせろって言ったところでしないだろう。



今回だって、僕に力を見せようとしたというよりも。



明らかに食べ物をもらえなかった恨みから引き起こされた結果だったと思う。



いや、絶対に合ってる。



思考は至って幼い。



短気で乱暴者で好奇心旺盛で異人。



うーん。



僕の手には負えない気がする。




「望月。その子は誰だ?」




いつの間にか僕の前に来ていた先生が尋ねる。




「えっと…」




答えに窮していると。




「ハジメマシテ。今望月くんのお宅にホームスティさせていただいています、右京と言います。突然で申し訳ないのですが、今日ヨビコウというものを見学させていただくことは可能でしょうか?」




右京が変に上手い留学生訛りで営業スマイルを発動した。




「ほぉ。そうなのか。まぁ、今日だけならいいでしょう。ぜひ勉強してってください。しかし、こんな美人がホームスティなんて、望月が羨ましいなぁ。」




先生は快諾してしまった。




恐るべし。右京。



「卓毅の邪魔しないでよね」



「うっさいぶす」



「この…」



右と左で散る火花は僕に直撃していることを、このふたりは気づかないのだろうか。



僕は極力脇を見ないように気をつけ、そのせいかホワイトボードに集中して今までにない位に勉強した気分になった。



良いんだか、悪いんだか。



帰り道、同じふたりに挟まれながら僕はこっそり溜め息を吐いた。




「「今溜め息吐いたでしょ!」」




…なんでバレたんだろう。



同じタイミングでこちらを睨みつける右京と尭に怯えながら、僕は息を潜めて家路を急いだ。



早く帰ってベットに入って寝てしまおう。



今日のことなんかきれいさっぱり忘れてしまおう。




けれど。




疑いようの無い事実だけは、忘れられる筈がなく。



無かったことになんてできそうにもなく。



自分の将来なんて考えたこともなかった僕が。



初めてといっていい位。



自分のこれからについて考える羽目になった。

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