降って来た災厄



「たくー、たーくーみー」




うるさいな。




「おーい、おーいってば…あ」





なんなんだよ。まじうっせー、耳元で叫ぶなって。




バコッ





「ってぇ!!!!」





頭を何かで叩かれた痛みで、思わず飛び起きると目の前には坂口センセー。四角い顔ーでまん丸くは絶対にならない。




前の席の溝端が、やれやれと頭を抱えている。




どうも、授業中居眠りをしていた僕を起こしてくれたらしいんだ、な。多分。





「望月…お前って奴は…」




大きな溜め息と共に坂口が丸めた教科書をさらにぐぎぎっときつく丸めて―





「先生はっ!悲しいぞ!このっ!このっ!」





バコバコバコと立て続けに殴られた。




まじひでー。




教室中からも、なんか忍び笑いが聞こえる。




皆、楽しそうでいいんじゃない?




僕がその笑いを提供してやったわけだし?




僕って良い人間だなぁ。




「何、にやけてんだ!お前人の話聞いとらんだろう!」





バコッ





また、殴られた。教科書って痛い。





「そんなんだから、望月は成績が上がらないんだ。」




ふぅ、と坂口は溜め息を吐いた。





「教え方がいけないんじゃないかと…」





うっかり口を滑らせると、クラスの子達がまた笑った。





「望月…放課後職員室に来るように。」





やれやれと坂口は呆れたように首を振って、刑を宣告した。





放課後―。





「しっかし、珍しく何回呼んでも叩いても起きなかったよなぁ。」





帰ろうと腰を上げるわけでもなく、鞄に荷物を押し込むでもなく、ただ席に座ってだらしなく頬杖をついている僕と、同じようにしている溝端が言う。





「…思い出せないんだけど…なんか、夢を見てたんだよ。ヘンな夢。」





視線を彷徨わせてみるが、ちらとも思い出せない。





「夢、ねぇ。。あ、そーだ。お前、坂口に呼び出しくらってたろ。行かなきゃじゃん?」





溝端の言葉に、僕は体制をもどして軽く伸びをした。




「やだよ。ばっくれる。なんであんなんで説教されなきゃなんないんだよ」





何も入っていない空っぽの鞄を肩に掛けた。



「いいのかよー?」



「俺は自分の道を行くんだよ」




________________________


「大体家でちゃんと寝てんのか?!夜更かししてるんじゃないのか?!」





結局。




溝端の前では格好付けてみたけど、本当は小心者な僕はちゃんと職員室に来ている。




ちなみに小さい頃から僕は僕のことを『僕』と呼んでいるけど、高校生にもなるとさすがにちょっと腑抜けなんじゃないかって思えてきて、口に出す時には、『俺』って呼んで使い分けている。




たまに『ぼ』って言いかけて、取り繕うのに苦労している。




でも僕っていうと真面目くんとか言われそうだし、周囲のイメージじゃないっぽいからやめておく。




いずれ社会人にでもなったら、さよなら『俺』、おかえり『僕』にすればいい。



いや、その位になったら、もういっそのこと『俺』に慣れてきて、脱『僕』かもしれない。




いやむしろ、こんなこと、誰も気にしていないのかもしれない。





いっそ明日からでも『僕』と口にだしてみようか。





「聞いてんのかーー!!!???」





見事にゲンコツを頭に喰らった。


これは、体罰じゃないのか?





________________________


蝉の鳴き声が五月蝿いこの時期。




外はまだ明るい。




運動部の掛け声が元気にグランドを駆け巡っている。




「いってぇー」





ずきずき痛む頭と、姿勢良く立ち続け過ぎて疲れ切った体を引き摺るようにして校門を出た。





「おわ、あぶね」





影を感じてふと顔を上げると電信柱がすぐそこにあった。




小さい頃道端でお金を拾ってから、下を向いて歩く癖が付いている僕は、ついつい前方不注意になってしまう。




慌てて軌道修正し、また俯いて歩く。




途中でAirPodsを思い出して、耳に付けると最近お気に入りの曲が流れた。





そのお陰か、うだるような暑さが少しだけ和らいだ気がした。


そういや、もうすぐ夏休みだな。



僕はなんとなく、気づく。



いや、正直に言えば、今聴いている曲の歌詞がちょうどそんな感じだったから、だが。



兎にも角にも、ふと思った。



今年、流星群はこの街から観えるだろうか。


観えるとしたら、高校のグランドのベンチに仰向けになって観るか、夜中まで学校に潜んで、屋上で観るか、と。



いや、違うな。絶好の場所がある。お気に入りの、あの場所がいい。




「にしたって、暑いな。」




容赦ない陽の光が、体中に刺さるようで、思わず呻いた。



格好付けて着ているワイシャツの長袖部分、今すぐここではさみで切り取ってやりたい。



とぼとぼと、一人歩く自分はさぞかし憐れに見えるだろう。



でもそれがどうした。



そんなこと、どうだっていい。



「あ、やべ。こんな時間か」



考え事しながらのろのろ歩きつつ、はたと時計を確認すると、予備校に行かなければならない時刻が迫っていた。



自分は帰宅部だが、何しているわけでもない。


だが、成績を心配する親の希望で、行きたくもない予備校には通っている。


しかし、成績は伸び悩んでいる。



理由は単純で明快。



要は、僕がしたくないから、だ。



必要性が感じられない。


将来したいこともない。



それの、何がいけない?





「いや、いけなくなんかない」




自身を慰めるように、呟いた。



こんな自分も嫌いじゃない。



人生は明るく楽しく楽観的に。



突然明日が終わるかもしれないんだから、今日を楽しまなければ。




やれ温暖化だ、異常気象だと騒ぎ立てていたマスコミも、最近めっきり静かになった。



どうしてか。



答えは簡単だ。



どうしようもないからだ。




要は、人間は行き着くところまで着てしまったということだ。



後戻りは出来ない。



僕だってそうだ。



どうしようもないんだ。


ちょうど曲の切れ間。




「卓毅(たくみ)!」




また思考が彷徨っていた自分を、高い声が呼び戻す。




思わず顔を上げると、いつの間にか駅前の予備校で。




その出入り口。よく知っているショートカットの女の子が、呆れた顔でこちらを見ていた。




「尭(あき)…」




「もう、今日も遅刻ぎりぎりだよー?」




腰に手をあてて頬を軽く膨らましている彼女は、小学校から高校までずっと一緒の幼馴染みだ。




何かと僕の世話を焼くので、僕としては母と同レベル位に恐れている。




放っておいてくれればいいのに。




見えないように、軽く溜め息を吐いた。




「今、溜め息吐かなかった?信じられない!人が心配してやってるのに!」




頼んでないし。




それよりなんで溜め息バレたかな。





「ま、いいから、早く中に入るよ!」





ぐいぐいと手をひっぱられるようにして、教室に連れて行かれた。





「望月、田中。仲が良いのはいいが、授業もう始まるぞー」




せんせーが、困ったように笑った。



席に着いている生徒たちが冷やかすような言葉を、こそこそと囁いている。



尭は顔を真っ赤にしながら、




「そんなんじゃありません!」



と、否定している。



僕は、ぶっちゃけなんでもいい。




シャーペンを片手でくるくると回しながら、つまんない授業を聞く。



冷房が効いている室内は、快適で眠気を催す。




なんか楽しいことないかなぁ。



なんて思うんだけど、面倒なことは嫌なんだ。



あ、そーだ。



今日帰り道に、あの公園の中にあるちっさな山に登るか。



そこで月でも見よう。



どーせ帰りは遅いし、コンビニでなんか買って、食べながらでもいいや。



むしろこの時間だけ出て、帰っちゃおうかな。



そんなことを思い描きながら、隣に座って真面目にノートを取っている尭をちらりと伺う。



でも、こいつがきっとおかんに言いつけそう…



仕方ないな。最後まで出ようっと。



で、ダッシュしてこいつを撒いて、コンビニ行こう。


________________________




そよそよと、夏真っ盛りには似つかわしくない涼しげな風が髪を揺らす。



予備校の休憩時間と合わせると3個目のおにぎりを、袋から取り出して口に頬張る。



ペットボトルのミネラルウォーターで、それを流し込むとぷはっと息を吐いた。




家に帰る途中にあるこの公園は、少し大きい。



木がたくさん生い茂っていて、春には牡丹や芍薬が花壇を彩る。



今は鈴蘭が顔を出している。



犬の散歩コースにもなっていて、朝夕は犬同士が挨拶したり吠えあっている場面をよく見かける。



秋には木々の紅葉があって、冬には銀杏がびっくりするくらい綺麗に黄色に染まる。



そして、その真ん中にあるこの小山は、ただ単に山を公園に開拓する際の名残なのでは、と僕は勝手に思っている。



小山と言ってもてっぺんは意外に高い位置にあって、立つと公園全体が一望できて気持ちが良かった。



僕は、尭のことを予定通りに撒いて、ひとりでこの場所にやってこれたことに軽い満足感を覚えていた。



口うるさいこと言われるのは嫌だし。一応あいつも女だから、この時間にこんな山、こないだろうし。



もう一度コクリと喉を鳴らしつつ、水を飲んでから、空を見上げた。




今日の月は赤く、大きかった。



「やっぱり望遠鏡買おうかなぁ…」



ぼんやりと眺めつつ、呟いた。



僕は、無趣味で無将来だが、星はなんとなく、好きだった。



そして特に冬の空が好きだった。



だから、今じゃない。



だけど、冬は寒いから、中々天体観測なんてできない。



寒さと綺麗さで行ったら、僕は寒さの方が上を行く。



どんなに綺麗でも寒さには勝てない。



あまりの綺麗さに言葉を失うってことも、ない。



そんなだから、この場所で、こんな風に空を見上げたりなんかするのも、夏限定ってな感じだ。



ゴロン、と芝生の上に仰向けになって月を見つめた。



蚊よけしてくんの忘れちゃったなぁ、なんて思いながら。




こんなでっかくて、赤い月を見たら、明日終わりが来るかもしれないって誰か思うかもしれない―



そんなことを思いつつ、ぼんやりと見続けていると。




「あ。」




一筋の光が、シュッと闇夜を走った気がした。



―流れ星?



ドライアイのせいか、霞む目をごしごしと擦ってもう一度見開いてみる。



見間違いか?



暫くじっとしていたが、そのうち飽きた。



「…なんだよ。」



ぼそっと恨みがましい口調で呟いた。



瞬間。



「うわっ」



目が眩むような真っ白な光が、弾けたように辺りに広がった。



余りに光が強いために、無意味だとわかっていながら手を翳(かざ)す。




頭の中は軽いパニックを起こしていて、闇夜に光とくればUFOに違いないと勝手な連想を始める。




現実的にはありえない。


普通に考えると、車のライトとか。


突然、花火が打ち上げられた、とか。


実はぼーっとしすぎて朝だった、とか。


色々上げられるんだけど、今回はそれができない。



どれが起こっても、ありえないからだ。



こんな公園の小山のてっぺんをライトアップしたところで何の意味も無い。



車は入って来れないし、


花火があるにしては、人が少ない。


勿論朝じゃないことは百も承知だ。




だから―



この光の正体はきっと、自分の見間違いだろう。



さっきの流れ星みたいに。



咄嗟にそう考え、逃避を計るが、それでも目の前の光は消えてくれない。




目を開くことができないほど、眩しい。



その時。



ドサッ



「いてぇっ」




大きな何かが、寝転んだ状態からやや起き上がりかけている僕の身体に激突したらしい。



それと同時に周囲は何事もなかったかのように真っ暗に戻った。



っていうか、目がチカチカしていて大きな重たい何かが何なのかちょっと確認もできない。



空から何かが降ってきたような感覚だった、僕の上に乗っかる『何か』。




「隕石?」




一瞬本気で考えたが、それなら僕は今の時点で死んでることだろうから、ないな。



恐る恐る触ってみようと手を伸ばす。



さらりとした感触。




まるで髪の毛の様な・・・・




「!うわぁ」




ヘタレな僕は、その『何か』を思い切り突き飛ばした。



「な、なんだ?」



ドッドッと早鐘のように動悸が激しくなっているのがわかる。



考えたくはないが、もしかしたら、し、死体とか…



「まじで勘弁…」




嫌な汗ならさっきからずっとかいている。



依然チカチカが治まらず、むしろいっそ視界が定まらないまま帰宅した方が精神的ダメージが少ない気がして、ふらふらしながら立ち上がった。



夏に珍しい爽やかな風が、一気に気味悪く感じる。



「…え?」



『何か』に背を向けるように踵を返した瞬間、微かに声が聞こえた気がした。



一瞬立ち止まる。




「……か……ぎ……」




今度ははっきり聞こえた。





背中を嫌な汗がつぅと伝う。




死んで、ない、らしい。



蚊のなくような、小さな息遣い。



『何か』は、人か…おばけか…



女の子のような、声…



暗闇に馴染みつつある目で、振り返りたいような衝動を抑え、もういっそのこと走って逃げようと構えた。




「……許さ…ない……」




聞こえてしまった呪いの言葉に、僕はヨーイドンの格好で固まった。




もう、しょうがない。



僕はヘタレだけど、しょうがない。



できるならこういった面倒なことには関わらないで人生終わりたかったけど、そうもいかないらしい。



はぁー、と盛大に溜め息を吐き、ポケットからスマホを取り出した。



3,2,1と心の中でカウントダウンしながら、振り返って『何か』を照らす。



そして。



僕の目に飛び込んできたものは。




「外人かよ?」




白銀の髪の、血だらけの女の子だった。




「あのー…」



大量の血に眩暈を感じつつ、恐る恐る声を掛けてみる。




「だいじょーぶですかー…?」




どーしよう。




荒い息をする少女は、意識がほとんどないらしくて、呼びかけにも応じない。




救急車?か。これは。



この状況は救急車を呼ぶべきか?



頭の中で、おろおろする僕。



いや待てよ。



もしかして救急車呼んだら事情聴取とかってなるの?



だって明らかにおかしいよな?



絶対何かのトラブルに巻き込まれてる感じだし?




傷口はよく見えないが、満身創痍だと思う。



何があったのかは知らないが、僕が犯人だと疑われて警察にしょっぴかれたらとんだとばっちりだ。



それで空から降ってきましたって言ったって信じてもらえなくって、



精神を患っているとかなんとかって決め付けられて、精神病院送り。



最悪のシナリオだ。



しかし。



幸運の女神は僕に微笑んでくれているはずだ。



何故なら―



僕はスマホをいじって、電話をかける。




「あ、兄貴?ちょっとこれから診て欲しい人がいるんだけど。うん。なんか、公園で倒れてた。ワケありっぽいけど瀕死なんだ」




僕の兄は医者だった。



通話を終えた後、ふと時間を確認すると時刻は22時30分と表示されていた。



「おかんに怒られるかな。」



うーんと考えつつ、メールを作成した。



今日は兄貴の所で勉強のわかんないところを教えてもらうことになったから、泊まります的な感じで。



明日が土曜で良かった。



ほっと胸を撫で下ろした。



予備校は兄貴の家から直接行くことにする。



いや、休んじゃおっかなぁ。この際だし。



あえて少女の方を視界に入れないように反対側を向きながら、いつでも逃げれるよう立ち上がったまま、僕は兄貴が迎えに来てくれるのを待つ。



「なんか…厄介なことになったなぁ」



平凡な、ただダラダラと過ぎていく毎日をそれなりに過ごしていた僕に。



突然降ってきた災難。



この時の僕は、まだ、どこか他人事のように夜空を見上げていた。



その少女も、安否はわかんないけど、兄貴に任せとけば間違いないような気がしてたし。



明日になればいつも通りの平穏で暇な日々が返ってくると、当たり前のように信じていた。

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