灼熱の国
ギラギラと照りつける太陽を、右京はうんざりとした様子で睨みつける。
「いい加減、雲に隠れたらどうなの?」
かいたことのない汗に、自分自身驚きながら、べたつく嫌な感じに苛々していた。
今、右京は灼熱と極寒の国境に来ていた。
王が、空間の適用を能力として授けてくれている為、うんざりはしても、ぐったりはしていない。
町に向かう途中に起こるだるい感じがなかったのも、そのおかげだった。
鍵師は何者かにさらわれたらしいという情報により、右京は追跡が一刻を争うものだと悟った。
目的が何であれ、鍵師の身の安全がわからなかったからだ。
左京も違う方面から、情報収集だけではなく、調査を開始する流れとなった。
王も独自の調査網を用いて、奔走していると左京が教えてくれた。
幻雪の結晶が壊されていることや、何か得体の知れない、大きな獣の爪痕の話を伝えると、王は考え込み、言ったらしい。
「どうも、狙われているのは、ここか地球だ」と。
となると、隣国にも何か異変が起きているに違いないということになった。
そして鍵師追跡と同時に、右京は使者として灼熱の国に向かうようにと指令を出された。
しかし、温度は桁違いに高くなってくる。
国境を越えたら益々そうなるだろう。その事実が進もうとする足を躊躇わせる。
幸い、隣国の城は極寒の地と違い、中央に位置しているため、ここから近いのだが。
100数年前に使いに来た時の記憶をひっぱりだしてみようと試みても、どうもよく思い出せない。
暑かった、という記憶しかない。
「あのー、そろそろ行かれた方がよろしいんじゃないですかね…」
国境警備のもじゃもじゃしているおじさんが、そんな右京を見兼ねて声を掛ける。
「わかってるわよ。でもそんなに急かさなくたっていいじゃない。こっちにだって心の準備ってものがあるんだから」
腕組しつつ、右京はおじさんをジロリと睨んだ。
「…いや、でも…そろそろ外出禁止時刻になりますゆえ…こっちには近頃魔物が出るものですから」
警備のおじさんは心底心配そうに右京を見つめる。
「魔物?」
右京は腕組みを解いて、おじさんに訊き返した。
「はい。ここ数日で突然現れたのですが…かなり大きく獰猛な魔物のようで…出くわした者は生きておりません」
平和なこの国で、そんな事例は滅多にない。
余程ショックだったのだろう、おじさんはがっくりと肩を落とした。
「王は?なにしてるの?」
右京の問いに、おじさんはぴしっと姿勢を正し、
「王は、直ぐに動いてくださり、警備隊を増員し、国民に獣が出現し易い時間帯の出歩きを禁止致しました!」
しかし―とおじさんは続ける。その声は小さい。
「捕獲には至っておりません。何しろ、警備隊もかなりの数失っております…」
おかしいな、と右京は首を傾げる。
こんな大きな問題なら、灼熱の国からの使者が、極寒の国に来ていても良い筈なのだが。
「ここで考えてても埒があかないわね。とっとと王様に会ってきますか」
ぼそっと呟くと、右京は翼を広げた。
「お、王に会うのですか?」
頷く右京に、おじさんは首をぶるぶる振った。
「よしておいた方がいい…あなたは極寒の方でしょう?」
もう一度頷く。
「まだ外部には漏れていないのですが…灼熱から送った使者が帰ってこないと、王は大層ご立腹であられて…この度の件も実は極寒の国の差し金なのではと睨んでいることが、私ら警備隊の中でもっぱら噂になっております。」
「はあ?」
開いた口が塞がらなかった。
________________________
≪そりゃ、かなり大変だな≫
左京の声が響く。
「でしょ?ちょっと王に伝えておいてよ。なんだかおかしな濡れ衣着させられてるって。あたしどーしたらいいかなぁ?」
灼熱の国に入ったはいいとして、ただただ続く埃っぽい道を歩きながら、右京は途方に暮れた。
石造りの民家がずらずらと並んではいるが、住人が気配を殺しているのがわかる。
そろそろ外出禁止時刻だからだろう。
だが、太陽は相変わらず自分をジリジリと照らしている。
飛んでいってしまえば、城はすぐそこなのだが、自分が誤解をうまく解けなければ、消えた使者の代わりに自分を捕らえることだろう。
そうなると、鍵師の追跡は愚か、国に帰ることもできなくなる。
それだけは避けたい。
≪そこでの問題を解決してやったら、いんじゃねーか?≫
良策だとばかりに、左京が言った。
「解決って?何を?」
≪だから、その、魔物。倒して持ち帰ってやったら?≫
「はぁ?このか弱いあたしが?」
≪どこがだよ。ま、そのまま謁見して拉致られるよりはいいと思うけどなぁ。今行った所で王は国事に追われててんやわんやだろ。冷静に話を聞いてくれるとは思えないしな≫
完全に他人事のように聞こえるが、一理あるような気もする。
≪もしかしたら、そのでかい魔物。鍵屋の爪痕と関係あるかもしんねぇぜ?≫
そう言うと、左京の声がぷっつりと途絶えた。
まるで、右京が行動することを確信しているように。
「あー、そうですよ!あたしはやりますよ、やってやりますよ!」
誰に言うでもなく、右京は大声で叫ぶ。
ちょっと面倒だけれども、それ以外に方法はないような気がしたからだ。
町から逸れた所にある小高い山で、謎の魔物が現れるのを待つことに決めた。
太陽が変わらない位置をずっと保ち、輝く様子を、右京は何ともいえない気持ちで見つめた。
極寒の地では見ることのない景色は、茜色に輝く。
燃え尽きる直前の灯火のようなのに消える事がない。
そして―
静寂が世界を支配すると。
地響きのような獣の遠吠えが、辺りに響き渡った。
その吠え声は町の向こう、砂漠平野が広がっている箇所から響いてきている。
じっと耳を澄ますと、獣の息遣いが段々と近づいてくるのがわかる。
風を切りながら走る音が、未だに暑い大地に涼しげに聞こえる。
「きたぞー!!」
物見櫓(ものみやぐら)に居た警備隊の一人がカンカンと鐘を鳴らす。
それが合図だったようで、町のあちこちからぞろぞろと男達が大勢集まって獣を待ち受ける。
ブンッ
大気が大きく揺れる音がしたかと思うと、
ズガガァァァーン
何かが崩れ落ちた音がする。
魔物と呼ばれる野獣の尾っぽが、いとも簡単に物見櫓を打ち払ったのだ。
「じゃ…行きますか」
軽く息を吐くと、右京は立ち上がった。
右手の人差し指と中指を閉じた瞼に真っ直ぐ当ててから目を開けると、視界がはっきりと開ける。動体視力が高まることで、飛ぶように動く敵を捕らえることができるのだ。
「いた。」
ピーピーと警笛を鳴らしている警備隊を、うるさいとばかりに白い獣が蹴散らしている。
グオォォォン
一際大きく吠えると、町の端に居た獣は、民家のある方角に標的を定めたようだ。
ほぼ動かなくなった男達を踏みつけると、突然、飛ぶように駆け出した。
真っ白な虎の様をした大きな獣。
対峙すべく、右京は飛び立った。
微かに聴こえる泣き声に、右京は飛びながら周囲を見回した。
そして、気づく。
怪物が狙う存在に。
ちょうど町の外れの傍にある、井戸がある広場。
小さな泣き声はそこから聞こえてくる。
しゃがみこむ、幼子。
あと一跳びの所まで迫る獣。
なんてお決まりな展開、と内心舌打ちしながら、右京は速度を上げ、姿を消した。
獣がその牙を剥き出し、幼子にまさに襲いかかろうと鋭い爪を振り上げた。
ガシュッ
獲物を確実に捕らえた筈の爪は、井戸に当たって粉々にそれを破壊した。
そこから滲むどす黒い毒は、傍にあった草木を溶かしている。
「遅いんだよーだ」
右京は小脇に幼女を抱えながら、獣の背後であっかんべーをする。
グルルルルルルル
苛立ちを顕にしながら野獣は振り返り、民家の屋根の上に立つ白銀の髪の少女を威嚇した。
びっくりして泣くことも忘れてしまった幼女は、ただただ自分よりも大きい女にしがみ付く。
「あんた、ちょっとあたしの羽にしがみついててよね」
右京はそう言うと、獣と睨み合ったまま、幼女を自分の背中にぽんと抛(ほう)る。
グワァァァァァァ
自分の意思を失くした獣の目は白く濁っている。
そしてよだれをだらしなく垂らして、本能のままにただただ吠える。
その小さい女子を寄越せ―と。
剥き出しにされた歯茎と牙は右京に向けられた。
「あれー、どうもこれ、危険な感じだわねぇ。誰かに操られてるのかしら?」
右京が首を捻った途端に獣の長い爪が襲い掛かる。
ブンッという風を切る音がした。
それを難なく避けると右京は獣の頭の上に乗っかって考える。
「うーん、、どうしよっかなぁ」
そんな右京をふるい落とそうとどんなに野獣が首を激しく振っても、何の効果もない。
「あ、そーだ」
グラァァァァァァァガッグァッ
嫌がる野獣の耳を掴むと、彼女はそれを思い切り引っ張る。
その瞬間、獣は更に暴れだす。
そして馬が手綱を思い切り引っ張られた時のように反り返った。
「あたし、ちょっとこの子どっかに連れて行くから、あんたは今のうちにお家へ帰りなさいよ」
相変わらず獣の耳を掴みながら、右京は片手で宙に円を描く。
すると、ちょうど幼女の入る程のシャボン玉が出来上がる。
その中にぽんと入れると、軽く息をふっと吐いた。
ふわふわと場違いな程穏やかに、少女を乗せたシャボン玉は飛んでいく。
それを見ることすらできない獣は右京を振り落とそうと躍起になる。
「落ち着いてって」
ちょうど眉間の辺りを、撫でてやった。
が。
グオォォォン
野獣は一度大きく吠えると、暴れ馬と化した。
「うわ、ちょっと…」
何かに急かされるかのように暴走し始めた獣は、未だ自我がないように見える。
右京の飛ぶようなスピードを上回る程の速度で獣は砂漠平原を走り続けた。
何者も存在せず、ただ朱色の砂だけが延々と続いている。
どこまで行っても、景色は代わり映えしなかった。
「…どうしようかな」
とりあえずこの獣を町から離れさせたかった右京は、頭の上で揺られながら、これからの自分の行動を思案していた。
この野獣が魔物の正体だということはわかる。
だけど、どうもこの子は自分の意思で灼熱の国を脅かしているわけではなさそうに思える。
ということは―
ザシュ
砂を蹴散らして、獣が突然動きを止めた。
ぷつりと砂漠が途絶えた崖っぷちに辿り着いたようだ。
崖の下は闇が深くて地面を見ることが出来ない。
余程の深さなのだろう。
「これはこれは。珍しいお客ですね。」
そこへ突如姿を現した、第3者。
「まさか…この獣を操っていたのはあんただったの?」
大人しくなった獣から降りると、右京は相手を睨み付けた。
白い野獣の爪は3mを軽く越えていた。
「幻雪の結晶が入った瓶を割ったのも、あんたの仕業なの?」
問い詰める右京に、彼は両手を上げて制する。
「まぁまぁ、そんな怖い顔なさらないでください。」
鼻唄でも聞こえてきそうな程、上機嫌な声だった。
ジャラジャラと金具の音がした。
それがやけに癪に障る。
「とぼけるんじゃないわよ!温度師!」
静寂に包まれる砂漠の果てで、
片翼の少女の怒声が響き渡った。
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