謎の痕跡
「とはいったって…」
山の上空を飛行しながら、右京は早くも途方に暮れている。
「あたしは探偵向きじゃないのよぉ。どっから手を付けていいか、わかんない…」
それでも気になる場所があった。
大雨の際に、雷が落ちて真っ二つに割かれた大木。
「もう一度、見てみよっと。」
そう呟くと、右京は山に降り立った。
真っ黒になった木は変わらずそこにあり、びりびりと紙を破いたかのようなぎざぎざの痕跡が、雷の威力を教えている。
「かわいそう」
木の痛みが伝わってきて、右京は顔を歪ませた。
そこへ、美しい囀(さえず)りが聞こえる。
「きれーな声」
音の主を辿ると、鳴き声と同じく美しい玉虫色の羽を持つ小鳥が、炭と化した大木の枝の先端に止まってこちらを見ていた。
「そんな真っ黒なとこに止まって、怖くないの?」
右京もそこまで軽く飛んで訊ねる。
鳥は怖くない、と答えた。
「そうか、この木は友達で、しかもあなたのお家でもあったのね…」
その事実を聞いて、右京は益々やるせない気持ちになる。
「じゃぁ、あの雨の日、あなたはこの中に居たの?」
鳥は首を振った。
________________________
「うーん…どういうことだろう…」
森の上空。
町はもう見えている。
そこで右京は一人、悩んでいた。
先刻、鳥は言った。
あの日は異常な日だった、と。
雨が降って、雷鳴が轟き、山は震えていたらしい。
出掛けていた自分は、帰ってくる途中で雨に見舞われ、一刻も早くあの木の中に入ってじっとしていよう、そう思っていたのに―。
自分の家のある木は、
いや、友人の数々の枝には、
見たことも無い程大きな漆黒の鳥が、5羽程とまって居たと言う。
食べられてしまうと困るので、それらが居なくなるまで別の場所で雨宿りしていたそうだ。
「なーんか、ひっかかるんだよなぁ」
落雷と同時に姿を消した黒い鳥。
「やっぱりなんかおかしいのかな」
うーんと考えてみるが、これだけのヒントでは何も分からない。
「とにかく町に行ってみよう」
呟くと大きく羽ばたかせて、速度を上げた。
「とうちゃーく!」
鍵屋の前に降り立つ右京。
氷細工工房のおばちゃんも、今日はお休みらしく、代わりにおばちゃんの娘がいそいそと歩き回っていた。
ただ、娘もおばちゃんそっくりなので、実際どっちがどっちだか、なんてことはわからないのだが。
強いて言うなら、エプロンの色が違うということか。
「鍵屋…」
がやがやと賑わう町は、ついつい楽しそうに聞こえてしまう為、そちらにあえて背を向け、鍵屋を真っ直ぐに見つめる。
水晶のような建物からは、紫の煙はもう出ていない。
「そういや、あの手紙ってどっからでてきたんだろう」
ふと疑問に思い、裏側にまわってみることにした。
球体になっているこの店には、一応裏口なるものがあった。
鍵師がそちらからよく出入りしているのを、右京は何度か見掛けたことがある。
裏口に回ると、案の定テープを剥がしたような後が扉にあった。
つまりはここに貼ってあったというわけだ。
しかし、解せない。
「旅に出るならなんであたしに言わなかったんだろう」
常連の自分に一言くらいあっても良いと思うのだ。
直前のあの時だって、鍵師は出掛ける素振りを少しも見せていなかった。
それどころか。
「次は別件で来るようにって言ってくれてたんだけどなぁ…」
まぁ、まさかものの数分で再来するとは夢にも思わなかっただろうけど。
裏口の戸に寄りかかりながら、鍵師と最後に交わした言葉を回想してみる。
城の近くに開業してくれと頼んだら、寒いのが苦手だと言っていた…
「ってことは…」
この国にはもういないかもしれない。
「お、お、お、おわぁぁぁぁっ!」
ドタン!
それに思い当たった途端に、背中を預けていた扉の感触がなくなり、後ろ向きに右京が倒れた。
「-ったぁ…」
いてててと頭を抑えつつ、何があったのか咄嗟に見渡すと。
そこは、カウンターの奥の部屋。
つまり、鍵師の店の製作室だった。
どうやら、裏口に鍵がかかっていなかったようだ。
「鍵師の癖に」
へっと笑いを溢し、部屋を観察する。
閉め切られていたせいか、鍵師の好きだった香の残り香がした。
所狭しと置かれている瓶と、そしてその中に入る鍵たち。
調合する際に必要なのか、作業台のような所には天秤と分銅。
手袋や小分けにされた星屑たち。
見事な細工が施された、鍵箱の数々。
「ほわぁー」
思わず、感嘆の溜め息を漏らす。
そして―
天井には、店内と同じように、惑星が描かれていた。
ただ、
ひとつ、違うのは。
「あれ?」
「真っ黒…」
店内だと、蒼く描かれていた地球の位置にある星が、真っ黒になっていた。
それは、元々の色というよりも。
「誰か、塗ったのかな?」
後から塗り潰されたかのように、少し雑な印象を受けた。
「へんなの。全然出かける人の部屋じゃない」
右京はそう呟きながら、足下に気をつけつつ前に進む。
鍵師の作業部屋は、まだまだ沢山の中途半端な仕事が山積みにされていて、
まるで、すぐに帰ってきますとでも言わんばかりだった。
「むむむ」
顎に手をやって、眉間に皺を寄せ、右京は考える。
自分との会話。
この場所の状況。
それらを総合的に考えてみるならば。
鍵師は突然思い立って、旅に出たことになる。
それも、鍵を掛けることすら忘れて、慌てて―
「絶対におかしい」
そして、黒く塗りつぶされた星がどうも気になる。
音も無く飛んで、その部分に触れた。
「うわっ」
べたっとした感触がしたかと思うと、黒い塗料が自分の掌を汚す。
徐々に手が熱くなってきて、どうも溶けているようだと気づく。
「えぇぇぇ!」
慌てて下に降りると、水瓶から水を汲んで手の汚れを落とした。
多分、ただの水ではなく、鍵の調合に使用するものだろう。
そのせいか、取れにくいのではないかと不安を抱かせる黒の塗料はすぐに消える。
「…なんなんだぁ??」
色々考えなくちゃならないことが頭の中をごちゃごちゃとしていて、右京はぐったりと床に座り込んだ。
カチリ
その座り込んだ場所がどうもよくなかったらしい。
嫌な音がしたと思うと、床が抜けた。
「どっわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
突然出来た穴に真っ逆さまに落っこちる。
坂道を滑っているらしいということは、背中に当たる感覚でわかる。
凹凸のない道は、スピードを加速させているからだ。
「あつっあついあつい」
摩擦で磨り減っているだろう着物を嘆くこともできないまま、右翼に当たらないよう必死で身を捩(よじ)る。
「もー、やだぁぁぁぁ」
早くも鍵師の追跡を諦めたい右京だった。
ガツン、と背中が固い物にぶつかったかと思うと、高速の滑り台は終了を告げる。
「ひぃ…」
恐怖や色々な痛みに、言葉を失くしながら、右京は真っ暗な辺りを見回してみる。
仄かに香る湿った土の匂いが、地下なのか、と思わせた。
「ちょっと見てみるか」
右京は、パンパンと自分の手からざらつきを払うと、左手をぐっと握り、それに右手を添えるように触れた。
直ぐにくるりと左手を返すと、掌に眩しい光源が発生し、闇を照らした。
「あ。」
ひんやりしている空間には棚が並んでいて、あちらこちらに透明な瓶がいくつもあった。
その中身は、全て。
「幻雪(げんせつ)の結晶…」
絶対零度の鍵の真ん中に輝く、雪の結晶だった。
但し。
「全部…割れてる…」
恐らく全ては栓をされた状態で、行儀良く整列していたのだろうが。
散乱している瓶は割れて、中の結晶の大半は溶け始めている。
既にその形を失っているものも多数あった。
そして―
「何、これ…」
右京は息を呑む。
棚の向こうにある固い石で出来ている壁には、優に3mはあるだろう何かの爪痕が、くっきりと刻み込まれていた。
「鍵師…」
思わず、呟いた。
頭の中を、整理しようとする前に、警告音が鳴り響いている。
何かが、あったに違いない。
きっと異常な何かが。
《右京、聴こえる?》
目の前の出来事を処理できないまま、ただ呆然と見つめていると、双子の弟からの声が届く。
これは双子ならではの能力で、以心伝心と言うべきか。
幼い頃から2人はお互いの意思を回路として繋ぎ、交信することができた。
「聴こえてる…ちょっと、大変なことになっちゃった、かも」
左京の声に安堵しつつ、呟くように答えた。
《こっちもなんだ》
左京の真剣な声に、ほっとした思いがたちどころにしぼむ。
「?どうしたの?」
《今…鍵師の居所を絞り込めないかと思って色々情報を集めていたんだけど…》
少しの沈黙の後に、左京がはっきりと言った。
《鍵師は旅になんか出ていない。どうも誰かに連れ去られたらしいんだ》
ピチャン、ピチャン
幻雪の結晶が溶けて雫となる音が、辺りにやけに大きく、響いていた。
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