第4話 

 お婆ちゃんが倒れた。朝、いつもの様に庭の植木に水をやっている時だった。僕は部屋で寝ていたので、それに気付くことが出来なかった。

 昨日の夜は、特に睡眠薬の効きが悪かったから、深夜四時頃、追加で倍量の睡眠薬を飲んだ。お婆ちゃんが倒れた朝の五時半は、ちょうど僕が眠りに就いた時間だった。

 隣の奥さんが倒れているお婆ちゃんに気が付いて、救急車を呼んでくれて、お婆ちゃんは緊急で市民病院に運ばれた。脳卒中だったらしい。僕は呑気にも夕方過ぎてもぐっすりと眠っていて、全てを知ったのは実家近くのアパートに住んでいる叔父さんが、僕の部屋に飛び込んで来て、僕を起こしてからだった。


 叔父さんはカンカンに怒っていた。何をしてたんだと言って僕に怒鳴った。

 叔父さんは製薬会社の工場で働いていて、昔はヤンチャだった事が自慢の独身男性だ。僕は頭の悪い叔父さんが嫌いだ。

 彼と話す時は、まるで小学生と話す様に簡単な語彙を選ばなければならなかった。複雑な話は一切通じないので、幼児に接する気持ちになって話を合わせる必要があった。叔父さんは会話中に自分が理解できない言葉があると、馬鹿にされたと思い込みすぐに怒り出した。

 癇癪持ちの幼児が、そのまま年老いた様な、傲慢な癖に劣等感の塊のどうしようもない男だ。『将来の為に正社員になれ』が叔父さんの口癖だった。金を払えば受かる様な名もない私立大学を出て、有名な製薬会社の地方工場で正社員をしている事が叔父さんの自慢だった。


 僕が高校を中退して、東京に行った後はあまり会う事も無かったが、親戚の不幸事などで鉢合わせてした際は、僕はいつも立派な叔父さんを褒め称えて、有り難い応援の言葉に感謝しなければならなかった。

 叔父さんは僕を目の敵にして、会う度に説教をしてきた。死んだ僕のお母さんとの間に確執がある事に加えて、どうやら上京した僕に、地元の小さな工場に務めている彼はコンプレックスを持っているらしかった。

 

 お母さんが生きていた頃はしょっちゅう叔父さんと言い争っていた。お母さんは子供の頃、叔父さんから暴力を受けていた。そしてお祖父ちゃんもお婆ちゃんも、四つ年上の兄から殴られるお母さんを一切庇わなかった。フライパンで殴られて大怪我をしても庇わなかった。

 お婆ちゃんは長男である叔父さんを溺愛しているのだ。お祖父ちゃんは気の弱い人で、自分の息子が暴れ出す事を恐れていた。大人になってもその兄妹の関係は変わらなかった。いつも最後にはお母さんが、一番の悪者にされていた。


 僕が三才くらいの頃、離婚したばかりのお母さんは、一時的に実家に帰っていた。ある日、叔父さんが家にやって来て、些細な事で癇癪を起こして、お婆ちゃんとお祖父ちゃんを殴って蹴って暴れた。お母さんは両親を庇って叔父さんに立ち向かった。

 お母さんが腕時計の角で顔を殴られて血を流しながら、まだ小さかった僕を抱きしめて庇っていた事を僕は覚えている。

 

 真っ赤な血と、怒鳴り声と、パトカーのサイレン、赤く点滅する夜闇。もしかしたら、あれが僕の一番古い記憶かもしれない。

 何が起きているのか分からないけれど、怖かった、悲しかった、心臓がバクバクしていた。皆んな怒っていて、怖い顔をしていて、それがとても嫌だった。怒鳴り声がパトカーの音が、光が、煩くて、眩しくて、耳障りだった。


 叔父さんから蹴られ肋骨を折られたお祖父ちゃんは、息子である叔父さんに土下座してその場を納めた。お母さんは警察を呼んだ事を両親から酷く咎められた。『お前がいつも口答えするから』『誰のおかげで家にいられると』『お前の旦那のせいで』『借金』『金を返せ』。


 叔父さんはその後も妊娠中の奥さんを蹴って騒ぎを起こしたりした。叔父さんは奥さんと修羅場の末に離婚した。

 警察に通報するという向こうの家族に、お祖父ちゃんとお婆ちゃんは平謝りして、大金を払った。

 お母さんはそれが許せなくて、またお祖父ちゃんとお婆ちゃんと大喧嘩になった。やっぱり悪者になったのは、お母さん一人だった。


 お母さんには、子供の頃から味方が居なかったのだ。必然、僕はお母さんの愚痴の聞き役になっていたから、お母さんの境遇は良く聞かされていた。

 実際、僕も叔父さんが暴力的な男である事はこの目で見て知っていた。


 皮肉な事に、お母さんも叔父さんと似ていて、カッとなると止まらない人だった。何事も白黒はっきり付けたがる正義感の強い人で、融通が利かす、周囲に敵ばかり増やしていた。けれども清廉潔白な人だったと思う。

 

『狡いのは周りのクズ共やのに、どうして私ばっかり悪モンにされるん?』お母さんはずっと生きにくそうにしていた。

 僕は小狡くて、プライドも無くて、例えば母を苦しめた叔父さんにだって、必要とあれば土下座でも何でも出来る様な人間だ。見た目も心根も、とても綺麗だったお母さんとは全く似ていない。


 中学生の頃、お母さんの仕事の愚痴を聞いている時に『あんたは狡い、冷たい』と言われたっけな。『偉そうに、親を見下して』『親の脛を齧ってるくせに』そう言われて傷付いたっけ。

 理不尽に対して真っ向からぶつかっては傷付いてばかりの、不器用なお母さんの行動原理が、僕には分からなかった。もっと狡賢く立ち回れば楽に生きられるよって、おこがましくもアドバイスしていたつもりだったんだ。

 でも、それは意味のない行為だった。お母さんは真っ当な自分の怒りに対して、僕からの共感だけが欲しかったんだ。


 大人になった今なら分かる。分かるけど多分、僕には出来ない。僕は生まれ付き上手な怒り方が分からないんだと思う。

 怒りの感情を抱くことがあっても、それが誰かへは向かない。虐められている時も、皆んなに笑われた時も、思い返せば湧き上がる怒りのぶつけ所を持て余していた。

 あの頃だって、今だって、虐めて来た人達に対して憎しみは無い。もう、名前も顔もほとんど覚えていない。

 

 だって、悪いのは、僕なんだ。立場が違ったら。僕が障害を持ってなかったら。僕がもっと器用で賢い人間に生まれていたら。

 あの時、きっと僕も皆んなの輪の中で、ヘンテコな踊りをする誰かを笑っていた。僕なんて、そんなもんだ。僕が虐められていたのは、ただ僕がこちら側だったというだけだ。

 

 今の僕はあの時の怒りの衝動すらも失って、どうして生きているのかさえ分からなくなっている。 

 一人取り残された人間社会で、普通の人達に指を差されては、ヘラヘラと自分自身を笑って、そうやって生きている。

 

 「何、笑ってんねん!この、アホが、ボケが!」

 

 容赦なく顔面を殴られた。叔父さんは人間を殴るのに躊躇が無い。

 僕がどうしても超えられない一線を、この男は平気で超えて来る。お母さんが周囲にいつも怒っていたのと、方法論はきっと同じなんだろう。怒りとは、弱者にとって衝動へのガソリンだ。

 

 痛い。とても痛い。生理的な涙がボロボロと流れる。体が勝手に震えている。声が出ない。あの時のお母さんは、この男に殴られながらも怒鳴りつけていたのに。僕はお母さんの様にはなれない。

 

 「お前は、仕事もせんと、オカンに寄生して!オカンが倒れても寝くさりよって!」

 

 「ほ、ほんま、ごめんやで。僕、鬱病やねん。病院行ってんねん。昨日は薬仰山飲んだから、婆ちゃん倒れたん分からんかってんや……」

 

 「何が、僕や!ええ年のこいて、気色悪い喋りしよって!出ていけ!アホ!ボケ!カス!」

 

 「そ、それは困るって!今、住むとこないんや!堪忍してや……」

 

 「オカンの金勝手に使いよってから、この泥棒が!オカンとオトンは、お前の母親のせいで金、仰山ン失ったんやぞ!」

 

 「そ、それは、お祖父ちゃんも、了承して連帯保証人なったんが悪いやん……それに、お母ちゃんは、僕の父親が親戚にした借金はちゃんと働いて返して……」

 

 「やかましいねん、人のせいするんか!お前もカスやった親父によう似とるのぉ!ええから、出ていけ!勝手にオカンの金使ぉた事、警察にチクッたるからなぁ!」

 

 出ていけって、ここは別に叔父さんの家じゃないのに。お金だってお婆ちゃんが自由に使って良いって言ったのに。

 昔、お母さんが、警察を呼んだことを未だに根に持って、仕返ししてるつもりなのだ。叔父さんは警察が来たら、手を出した自分が不利になると分かってないのだ。

 

 「……分かった。ほなら、今から僕、警察呼ぶから、一緒にちゃんと説明、頼……っぐうっ!?」

 

 腹を膝蹴りされた。僕はその場に蹲った。痛い、殴られた頬も、蹴られた腹も痛い。とても重たい痛みだ。痛くて呻き声すら出ない。浅い息が口から漏れた。お母さんは子供の頃、いつもこんな目にあって、一人で耐えていたんだろうか。可哀想に、可哀想なお母さん。 

 

 「偉そうな口効くな!俺を、この俺を、馬鹿にしよって、馬鹿にしよって、馬鹿にしよって!アアアアアアアアア!」

 

 叔父さんは真っ赤な顔をして、喚いていた。頭が禿げて腹の出た醜い男が、言葉にならない罵詈雑言を喚き散らす様は、まるで不細工な赤ん坊みたいだった。

 この男はこうやって、暴力で周囲を押さえ付けて生きてきたのだろう。泣き喚いたらお乳を貰えた、赤ん坊のままなのだ。さぞかしこの社会で生き苦しいだろう。きっとこの男もこちら側なのだ。

 でも、こいつは仕事に就いているし、長生きしてくれた両親にだって愛されている。こうやって怒りに任せて、我を通す事が出来る。カスの癖に自己嫌悪に追い詰められもせず、周りが全部悪いと言いたげに、のうのうと好き勝手に暴れられている。

 

──こいつと、僕と何が違うんやろうな。爺ちゃんも婆ちゃんもお母ちゃんもこいつも僕も、皆んなアホでキチガイで、欠陥人間だらけの、糞みたいな家系や。キチガイの遺伝子なんや。

 せやけど、同じ欠陥品で生まれたのに、一人で死んでしもうたお母ちゃんとこいつと、何が違うんやろな。

 

 「お、おっちゃん、……こんなに、騒いだら、近所に聞こえてまうて。警察、来たら、おっちゃんの方が、怒られてまうで。やから、落ち着いてや……」

 

僕は何とか笑顔を作っては、暴れる叔父さんを宥めようとした。


 「煩い、ボケ、カス!早よぉ、金庫の金ェ寄こせや!」

 

 「金庫……?」


叔父さんは僕の襟元を掴むと、揺さぶって怒鳴った。掴んだままに、何度も壁に頭を打ち付けられる。

 

 「分かってんねんぞ!オカンが死にそうな年なったから、わざわざ東京から帰って来たんやろ!遺産は一円もお前には渡さんからな!出て行け!出て行け!アアアアアアアアア!」

 

 僕はそのまま、発狂した状態の叔父さんに殴る蹴るされて、逃げる様に家を追い出された。


 おかしいと思った。あの叔父さんに限って、倒れた母親を思いやって、怒る気持ちなんてあるはず無かった。

 お婆ちゃんに渡された通帳の、年金の振り込まれる銀行の預金口座には、ほとんど貯金が残って無かった。

 お祖父ちゃんは遊びもせず定年までコツコツと働いた人だったし、派手にお金を使った様子も無い。あの当時なら、結構な額の退職金が手に入ったはずだし、それにお祖父ちゃんが生きていた頃の年金額はかなりあった。浪費していなければ、貯金だって貯まっているはずである。

 

 お婆ちゃんには、叔父さんと僕のお母さん、二人の子供が居た。お母さんが先に死んでいるから、遺産は代襲相続で孫である僕が母の相続分を貰い受ける。

 叔父さんは僕に金を渡したくないのだろう。このまま叔父さんは、僕を実家から追い出して、お婆ちゃんに何かあっても僕に知らせず、遺産を独り占めするつもりなのだ。

 

 僕には金庫の場所に心当たりがあった。二階の寝室の押入れ、その戸袋の中に金庫はあった。

 二ヶ月前にお祖父ちゃんの三回忌があって、お坊さんが家にやって来る事になった。お婆ちゃんが入信している宗教では、お坊さんに渡すお布施はかなりの大金だった。

 「お布施どうするの」と僕が聞くと、「金庫に金が残ってるから大丈夫や」とお婆ちゃんは言った。それで僕は金庫の存在を知った。


 足の悪いお婆ちゃんは、脚立を出してきて登ると、戸袋の中の金庫のレバーハンドルを回してお金を取り出そうとしていた。

 その様が危なっかしくて、僕は「手伝おうか?」と何気なしに言った。「アカン、アキちゃんは触ったらアカン!ウチが自分でやる!見るんやないっ、あっち行って!」突然に血相を変えたお婆ちゃんに怒鳴られて、僕は呆気に取られた。

 しばらく後、お婆ちゃんに泥棒の様に扱われた事に気が付いて、僕はとても傷付いた。僕は人生において、人様のお金を盗もうなんて一度も思った事がなかった。

 自分の尊厳をとても貶められた気持ちになった。確かに僕は金に困っているが、元々、物欲もないし、金に執着の無い人間だ。


 結局、お婆ちゃんは僕の事を信用していなかったのだ。僕が悪い男に引っかかったお母さんの子供で、親戚中に借金を作って蒸発したクソ野郎の子供だから。

 

 おそらく叔父さんの言う遺産はあの金庫の中にあるのだろう。

 何だか、もう面倒だとも思う。金が欲しいのなら、勝手にすれば良いとも思う。遺産だって、どうせ大した額も無いだろう。あの家だって今はもう価値がないらしい。あの暴力的な叔父さんと揉めてまで遺産相続争いをする気力は無い。

 

 家を追い出された僕は夜の田舎道を徘徊していた。財布は台所のテーブルの上に置いてきてしまった。そもそも最近はお婆ちゃんの年金頼りだったので、財布に金なんて入ってないが。


 広々とした畑に挟まれた、人気のない夜の歩道を僕は駅に向かって歩いていた。

 こんな状況なのに、虫の鳴き声は優しくて、深海に白銀を溢した様な星空がとても美しい。七月の熱帯夜、生温い風が頬の傷を撫でて刺激する。

 顔を触って確かめてみると、目元から右頬にかけてが大きく腫れている様だった。ブヨブヨとして、何だか自分の体の部位ではないみたいで面白い。小さな満月がヨタヨタと歩く僕を見守るように浮かんでいた。


 このままホームレスとして生活すれば、そのうち生活保護だって通らないかな。いや、それは無理だろう。住民票は変わらずお婆ちゃんの家にあるし、かといって移動する先も無い。家を追い出されたと言ったって、お役所は聞き入れてくれないだろう。 

 だとしたら、僕は住民票を移すために、賃貸を探さなければならない。無一文で、保証人になってくれる人もいない、借金もある、無職の僕が。しかも、今の僕には住処が見つかるまで過ごす場所も無いのだ。

 

 お婆ちゃんの運ばれた病院は駅の向こうにある。まずはお婆ちゃんの様態を確かめに、病院へ面会に行こう。支払いを後日にしてもらえば、ついでに殴られた頬も治療が受けられる。駅前には最近増築された綺麗な公園があるから、隠れて一晩眠る事くらいなら出来るだろう。病院に留まれないのならば、最悪は駅の公園で野宿すれば良い。幸いにも、季節は夏なので一晩くらいは何とかなるだろう。

 とりあえず、明日、落ち着いた頃合いを見計らって、叔父さんに頭を下げるしかない。どうかこのまま実家に居させて下さいと頼み込むしかない。それこそ、土下座してでも。

 お婆ちゃんの様態次第では介護も必要となるだろうし、僕には以前介護の仕事をしていた経験があるから、ケチな叔父さんはヘルパーを雇わずに僕の手を借りたがるはずだ。


 もし、お婆ちゃんが元気で回復するなら、叔父さんの言いなりになるのは目に見えている。仮に回復してもお婆ちゃんはもう高齢だし、そう長くは生きられないだろう。それを見越した叔父さんの命令で、きっと僕は家から追い出される。

 お婆ちゃんは僕に優しいけれど、優しさに優先順位がある人だ。 

 僕もお母さんも、何もかも叔父さんよりは後回しだった。お母さんはそれをずっと悲しんで、恨んで、親から愛されたいと願っていた。僕の父親である元夫が作った借金を返したのも、親に認めてもらおうとしての事だった。そして、働き疲れて死んでしまった。


 祖父母がお母さんを全く愛していなかったのなら、離婚したお母さんと幼い僕を実家に住まわしたりしないだろう。僕だって、お祖父ちゃんとお婆ちゃんからは、大切に可愛がられた記憶しかない。けれど、それが一番じゃなかっただけだ。


 あの日、叔父さんが両親に暴力を振るった日の後、叔父さんはお母さんと僕が使っていた部屋に自分のギターを置きたいと言い出して、それが理由になってお母さんと僕は実家を追い出された。

 

 子供だけでも家に入れてほしいとお母さんは両親に懇願したが、叔父さんがそれを許さなかった。閉められたままの玄関のドアの前で、僕を抱きしめながらお母さんは泣いていた。その瞳に強い怒りと無力感が浮かんでいた。

 その頃のお母さんは元夫が事業に失敗して作った借金の返済に追われていて、日雇いで働いた金はそのまま親戚への返済に充てていた。

 家が見つかるまでしばらく、お母さんと僕は車の中で過ごした。


 真冬だった。車窓の外では雪が降っていた。車のヘッドライトに照らされて白雪が白金色に光っているのが綺麗だった。

 僕とお母さんは、誰も居ない夜の底に取り残されていた。ガソリンが尽きて暖房が無くなると、凍えた僕達は抱きしめ合った。雪がアスファルトに落ちる音が聞こえるほど静かな夜だった。

 あの夜の寒さと温かさを、僕は未だにはっきり思い出す事が出来る。


 理不尽に暴力を振るったのは叔父さんだったのに、叔父さんから両親を庇ったお母さんはやっぱり選ばれなかったのだ。愛に順序があるなんて、当たり前の事が何より残酷だと思う。


 結局、叔父さんがギターの事をすっかり忘れる数年後まで、僕達親子は実家に上がる事すら許されなかった。

 叔父さんが家に来なくなったら、祖父ちゃんと婆ちゃんは、人が変わった様に優しくなって、僕達を家へと迎え入れてくれた。


 お母さんは仕事を三つ掛け持ちして、夜はナイトクラブで早朝まで働いていた。お母さんが寝泊まりする為のアパートがあったが、ほとんど帰ることは無かった。

 僕は小学生からお母さんが死んで僕が東京に出る高校一年生の途中までを、実家に預けられて過ごした。僕の子供部屋はそのままで、今もそこを使わせてもらっていた。

   

 蹴られた腹はまだ重々しく傷んだ。足が思うように動かなかった。一歩踏み出すごとに、グニャグニャと足首が変な曲がり方をして、みっともないステップを踏んでるみたいになった。

 幸い、田舎の夜道に人の気配はないけれど、誰かに見られたら不審者として通報されてしまうかもしれない。


 何で僕は叔父さんに、腹も立たないんだろうか。ただ情けない。自分自身が情けなくて仕方がない。

 嫌な気分ではあるものの、その感情は捉えどころがなく、だから気持ちの持って行き場所が分からない。

 発散方法も分からない名前のない感情が、ずっと自分の腹の底で留まっている。それは、もうずっと前から僕の中で降り積もって、僕自身を侵食している。

 それは、空白だった。僕の中に、大きな虚が空いていて、僕そのものを飲み込もうとしているのに、僕にはそれを認識する事すら出来なかった。

 僕は欠落している。多分、元々少ししか持ち合わせていなかった人として大切な何かを、お母さんが死んだ時に全部持って行ってしまったのだ。だから、あのダンスの時みたいに、震える程に怒る事が僕にはもう出来ないのだ。


 僕はお婆ちゃんが深刻な状態であって欲しいと思ってしまっている。小さい時から可愛がってもらっていたのに、お婆ちゃんが倒れたと聞かされても、全く悲しくなれないのだ。

 昔からそうだった。お祖父ちゃんが死んだ時も、お母さんが死んだ時も。いつも、自分の中で悲しみを作り出せない。感情はいつもモヤモヤとして輪郭が無い。苦しいのに、辛いのに、形になってくれないのだ。

 欠落した僕は、仕方無く、悲しんだり、笑ったり、憤ったり、そんな風に演技をする事覚えた。そうしないと人間社会で受け入れてもらえなかったから。


 子供の頃は周りと馴染めない理由が分からず苦しんだが、歳を取るうちに皆んなの真似をして振る舞えば、輪に入る事を許されると理解した。そうやって、場当たり的に人と混じり合う局面を乗り越えてきた。

 辛かった。自分の道化けた表情が、本当に正しいのかも分からなくて、いつも場違いを指摘されるのではないかと怯えていた。

 僕はこのサーカスみたいな世の中で、ピエロにすら上手になりきれなかった。

 

 病院に着くと、お婆ちゃんの意識は戻っていた。お婆ちゃんの従兄弟にあたる親戚のお爺さんが側に付いてくれていた。殴られて腫れた僕の顔を見て「長男にやられたんか」と彼は言った。僕は黙っていた。

 

 お婆ちゃんは、僕が誰かも分からなくなっていた。喃語みたいに意味のなさない言葉を発しては、ポロポロと涙を溢していた。

 心電図の機械音と消毒液の匂い。明るい蛍光灯の光、白々とした病室。病院の全てが僕に懐かしい気持ちを呼び起こした。

 お母さんも病院のベッドの上で、沢山の管に繋がれて、僕の前で死んでいった。こんな世界に、僕を独りぼっちで置き去りにして。

 

 「幸子ちゃん、こんなんなってもうて」

 

 老人は泣きながらそう呟いた、僕は俯いて目を開け続けた。ポロリと一粒涙が溢れたので、僕は顔を歪めて涙を押し出した。

 

 「お婆ちゃん、お婆ちゃん、明やで、分からへん?」

 

 嗄れたお婆ちゃんの手を握って、そんな風に声をかけたら、お婆ちゃんと過ごした子供の頃の事が蘇って来た。

 可愛い布を使って僕に手作りの服を作ってくれた。僕の好きなオムライスをいつも作ってくれた。夕焼け小焼け、僕の手を引いて歩いてくれた。

 僕は頑張って泣こうとした、何とか感傷を増大させようと、優しいお婆ちゃんの微笑みを、脳に焼き付ける様に強く思い浮かべた。二度と話せないかもしれないと、自分の感情を追い立ててみた。でも、やっぱり悲しみは生まれてくれない。顔をくしゃくしゃにして、しゃくり上げた声を喉から絞り出してみても涙は出てきてくれなかった。

 老人は僕の肩をそっと抱いてくれた。僕は他人に触られるのが気持ち悪くて、加齢臭が臭くて、嫌だなやめて欲しいと心中で思った。

 

 僕はお婆ちゃんに付き添い、病院で一晩過ごした。朝早く僕が実家に戻ると、叔父さんはもう居なかった。叔父さんは鍵を持っていなかったらしい。入口の扉は鍵もかけず開きっぱなしにされていて、おかげで僕は中に入る事が出来た。

 家の中は家探しされていて散らかっていた。確かめてみると、二階の戸袋にある金庫はそのままだった。どうやら叔父さんは見つける事が出来なかった様だ。

 叔父さんの事である、金庫を見つけたらお婆ちゃんが亡くなる前に勝手に持って行って使い果たしてしまいかねない。僕は裏庭の木の根元に穴を掘って金庫を埋めて隠した。


 一先、宿無しにならずに済みそうで僕はホッとした。近頃はどこの病院も病床不足だ。お婆ちゃんはすぐに退院させられるだろう。そうすると介護が必要になる。叔父さんの元にも、その連絡は行っているはずだ。

 

 結局、僕は実家に住む事を許された。予想通り、叔父さんは寝たきりになってしまったお婆ちゃんの介護の全てを僕に押し付けた。

 叔父さんは一切介護を手伝わなかったが、週の半分お婆ちゃんを預けられる施設を見つけてやったと言い、偉そうに振る舞った。僕に全てを任せきりにすると、イニシアチブを取られて遺産も奪われると思っている様だった。

 施設の費用は全てお婆ちゃんの貯金と年金から支払っているので、叔父さんは一円も自分の金を払わなかったが、叔父さんはお婆ちゃんの通帳と財布を僕から奪い取って、全て手元に置いて管理した。僕は生活に必要な費用を叔父さんに頼み込んで、貰わなければならなくなった。


 僕は以前に介護施設で働いた経験から、オムツを変えたり、ご飯を食べさせたり、車椅子に乗せて運んだり、最低限の介護は出来たけれど、お婆ちゃんは夜中泣き出したり怒ったりで寝かせてくれないし、床ずれしない様に、何時間に一回か体制を変えてあげる必要もあった。

 働いていないとはいえ、一人での介護は中々に大変だった。週のうちの半分、施設でお婆ちゃんを看てもらえるのは、僕にとってもありがたい事だった。

 

 「ほんまやったら、お前みたいなカスは追い出したろ思っててんけどな。まあこうなってもうたらしゃあないわ、仲直りして、オカンのこと看ていこな。俺も来れる時は見に来るから」

 

 叔父さんはいけしゃあしゃあとそんな事を言ってのけた。

 

 仲直りもクソも、そっちが勝手に殴って来ただけなのに。自分の親を介護するつもりなんて全くないくせに。奪い取った年金のお金をパチンコに使ってるくせに。僕が頭を下げて頼み込まないと、オムツ代すら渡してくれなかったくせに。

 

 頑張って怒ろうとしてみたものの、やっぱり怒りは湧き出てくれなかった。

 

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