第3話 

 昼過ぎより振り始めた雨は、夕方にはどしゃ降りになった。ファミレス、ガソリンスタンド、紳士洋服店。骨が折れたコウモリ傘の向こう側で、巨大な看板を照らすライトが滲んでいる。信号、電線、街路樹、カーブを描くバイパスの高架。

 田舎の国道にありがちな統一性の無い風景だ。まるで気が触れた人間が見る悪夢みたいに醜い。


 ざぁざぁ、と一律の雨音が、散らかった脳味噌に侵食する。ぐちゃぐちゃになった思考のゴミをノイズの様に覆い隠す。

 雨の音は好きだ。風の音も好きだ。 大きな音が嫌いだ、大きな声が嫌いだ。それが自分に向けられた怒鳴り声ならば尚更に。


 『雨は人間の屑どもを、舗道から洗い流してくれる』 タクシー・ドライバーのロバート・デ・ニーロはそう言っているが、ならば真っ先に流されるのは僕だろう。

  神がもたらした洪水みたいな大雨に、間抜けな僕は流されて行く。選ばれた“人間”の通行人達は眉をひそめて流される僕を見ている。


  そんなどうしようもない妄想をしてみた。 自分でもその酔いっぷりに恥ずかしくなって来て、僕はボリボリと頭を掻いた。

 子供の頃からコンプレックスの癖毛が雨天で湿気って悪化している。しばらく髪を切っていないから、前髪が目に掛かりそうに伸びている。散髪屋は僕が世界一嫌いな場所の一つだ。

 青色の体操服の肩口は、傘からはみ出した為に濡れている。中学校で支給されたそれは、大分とくたびれているが、自分の服装として一番しっくりくるので、中学生の頃からずっと大切に着続けている。

  

 そうだ、あの頃。古臭いあの映画を見た中学生時代の僕は、人生が上手くいかないのは周りが愚かな奴等だからだと思っていた。そして、そう思ってみても何一つと上手く行かない事まで理解していた。

 主人公と自分の姿を重ねては、何となく生き辛い人生の答えを教えて貰えた様な気になった。 とんだ勘違いである。中坊にマーティン・スコセッシの真意が理解できる筈が無い。

 今はもう恥ずかしくて、あの映画を真っ直ぐと見返す事すら出来ない。僕は医者お墨付きのポンコツ品である。


 「せやけど、流石にチンパンジー呼ばわりは酷ないか……」


 数時間前、店長から受けた侮蔑が何度も頭の中で繰り返されて、僕は自嘲でそれを掻き消そうと一人言を呟く。

 

 『何回言ったら分かるんや。チンパンジーでももっと物分かりええぞ』 頭を下げる僕に心底軽蔑した視線が投げかけられる。齢二十九歳のあまりに情けない姿に、店長はうんざりとしてトーンダウンする。 『……ええよ、もう。頭を上げて。明日から来なくて良いから』


 その通りだ。自らの数々の失態を省みれば返す言葉も無い。僕はチンパンジー以下である。僕と同格に語るなんて、チンパンジーに対する冒涜行為だ。 少なくともチンパンジーは志村けんの番組を的確で愛らしい行動で盛り上げる事が出来る。すごい事だ。僕にはとても出来ない。


 ざぁざぁと、雨音は止まない。

 雨はごちゃごちゃとした街の臭いを変えてくれるから好きだ。薄汚れた街の悪臭を包み隠す様にヒタヒタに満たしてくれる。 雨の匂いは変わらない。僕の子供の頃からずっと雨の匂いは雨の匂いである。 そこに新しい追加情報はなく、僕のチンパンジー以下の脳味噌を混乱させる事もない。 だから僕は、雨の日が好きだ。

 

 

 こんな風に雨に濡れながら打ちひしがれて家に帰ったのは、梅雨時の事だった。地元に帰って来てすぐ、僕は人生を何とか立て直そうとファミレスのバイトに就いた。そして、たった二週間の研修期間内で店長に嫌われてクビになった。

 履歴書にもう書ききれない程に、転職を繰り返している。解雇も辞職も全て『一身上の都合により退職』と書いた。いくつかの職歴は記憶から消えてしまっているし、多すぎる転職履歴は面接で不審がられるだけなので、書いていない。

 経歴詐称は何らかの罪に問われるのかもしれないが、ポンコツ人間が仕事を得るためにはどうしようもない。


 障害を隠して一般雇用で働くことをクローズ就労という。そうやって普通の人に混じって働いている精神障害者は沢山いる。しかし僕の場合隠したところで、チンパンジーである事が直ぐにバレてしまう。どこの経営者が愛らしさだけを失ったチンパンジーを雇いたがるだろうか。


 ファミレスをクビになった後、僕は東京に居た頃に応募した事のある障害者雇用枠での仕事を探そうと思い立ち、ハローワークに行った。

 

 障害者雇用とは、事業主や自治体が、障害のある人だけの特別な雇用枠「障害者雇用枠」で障害のある人を雇用する制度の事だ。昔は身体障害者と知的障害者だけという制限があったが、2018年度から精神障害者も対象になった。

 採用条件は障害者手帳を持っている事で、僕は精神障害者二級の手帳を支給されているので、この雇用枠に応募する事が出来る。

 初めから精神障害者だと分かった状態で採用して貰えれば、僕でも仕事を続ける事ができるかも知れない。

 

 問題は、障害者雇用枠は求人数が極めて少なく、倍率が高いという事だ。更に、精神障害者は企業側からすると、障害特性の理解が難しく、他の職場の人達と軋轢が生まれ人間関係のトラブルを起こしやすい、更に職場定着率が低いなど、デメリットが多い。その為、身体障害者や知的障害者の人に比べて、採用率が低いのが現状だ。 


 僕も東京にいる時に、障害者雇用枠でいくつかの企業に応募をしてみたものの、結局採用までには至らなかった。だから、より田舎である奈良県で雇用を探すのは難しいかも知れない。だが、試してみるより他に手立ては無かった。


 ハローワークで障害者雇用について尋ねると、奈良県でも心療内科か精神科の診察を受ける必要があると言われ、東京で通院していた病院の先生に紹介状を出してもらって、奈良の心療内科を受診する事になった。

 奈良県では大人の発達障害を診察出来る病院が少なく、診察は数ヶ月待ちだった。僕はその数少ない病院の診察日を待つ間、併発している双極性障害の診察を別の病院で受ける事になった。


 僕は宥められたり、こちらを露骨にコントロールして誘導しようとする様なカウンセリングがどうしても苦手なのだけれど、その病院の先生は余計な事は話さずに、とっとと薬を出してくれる、僕にとっては良い先生だった。

 壮年の医師の度の強い眼鏡の奥、その小さな瞳に、優しさだとか同情だとかそんな余計な色味が一切なくて、その分僕は彼を信頼できた。

 しかし、僕が一般企業の障害者雇用枠で働きたいという旨を述べると、それは止められてしまった。「まだあなたは働ける状態に無い、ちゃんと発達障害も診られる病院で診察を受けて、状態が安定してから就労する様に」と、先生は言った。 


 正直言って、医者からそう言われて僕はホッとしたのだ。本当は辛かった。もう、限界だと知っていた。でも逃げ道がなかった。

 終わりの見えない刑罰に対する免罪符を貰えたような、そんな気持ちに僕はなった。

 

 僕は先生から生活保護の受給を勧められた。東京に居た頃、就労支援作業所で働いていている頃だって、一万六千円の月給を貰いながら、少ない貯金を切り崩して生活していた。ずっとそれだけが、受け入れ難かったのだ。

 意地を張っていた。ネットに良くある意見に迎合する様に、税金に寄生して生きるしかない奴等なんて、人間のクズだと思っていた。

 障害や病気があっても一生懸命働いている人が居る以上、全ては自己責任で、落伍者達の努力不足と怠惰を、真面目に働く人々に背負わせるなんて、狡くて意地汚い乞食行為だと思っていた。そんなもの受けるくらいなら潔く死んだ方がまっしだと、どうしても、そんな虚勢を崩せなかった。 

 普通に生きる事すら上手くできない僕は、地獄の様に感じられる日々の中、ギリギリで踏ん張っていたから、そういう人達が苦しまずに生きる事を妬んでいたし、同時にその転落を喜んでいたのだ。自分より弱い立場の人間を見下すことで、社会の底辺に這いつくばって生きるしかない無能の僕は、何とか自分の自意識を保とうとしていたのだ。

 こんな僕でも、いや、こんな僕だからこそ、誰かを見下し批判するのは気持ちが良かった。ネットで自分と同意見を探して興奮したし、見下している立場の人達に対して辛辣な悪口を書くとスカッとした。だからこそ、絶対にそちら側には行く訳にはいかなかった。

 けれど、やっと認めることが出来た。多分、あの店長にチンパンジーと言われたのが効いたのだ。皆んなと僕は、生き物として決定的に違っている。それは、どうしようもないのだと。

 だけど、悪いのは全部僕だ。努力も運だとか遺伝だとか、そんな風に、当事者であるが故に言いたくない。サンデル教授の威を借るチンパンジーになんてなりたくはない。

 

 それからずっと市役所の障害福祉科に通って、生活保護の申請を試みてはいたが、僕の住民票がお婆ちゃんの家にある為に、生活保護の手続きは厳しいと言われ続けていた。

 お婆ちゃんの年金や、持ち家の価値が、僕の財産と見做されて生活保護の申請が通らなかった。

 かと言って、生活保護受給者が多く住む家賃の安い県営団地は、今は空きがなく来年度に行われる抽選に当たらなければ入居も出来ない。

 生活保護受給者が優先して入ることの出来る賃貸があると噂で聞いた事があったが、ケースワーカーさんに尋ねてみると、悪質な業者が福祉のお金をピンパネする為にやっている場合が多いから、お勧めできないと言われた。

 仕事もなく借金もある為に、新しく部屋を借りる事も難しく、僕は途方に暮れた。


 その事を主治医に相談してみると、手続きは大変だが今の僕の状態ならば、障害者年金受給条件には十分に該当すると言われた。


 もし障害者年金が通ったら、僕は二ヶ月に一度、十四万円程の支給額を貰う事が出来るらしい。それだけのお金があれば、このまま、お婆ちゃんの家に住まわして貰ってる限りは、家賃は必要ないし、何とか生きていけるだろう。


 お婆ちゃんは財布も通帳も、そのまま僕に預けると、好きに使って良いと言っている。しかし、残念ながら好き勝手に使えるほどお婆ちゃんの年金は多くない。月に六万円弱である。そろそろ口座の預金も三十万円を切っていた。

 

 障害者年金が通るまで、あとどのくらい耐えきれるだろうか。

見通しのない状態で、不安ばかりが膨らんで落ち着かない。


 必要書類の提出から一ヶ月過ぎても、年金事務所から可否の返事が来ないのだ。今朝も手紙は届いてなかった。


 焦りと不安から、せっかくお婆ちゃんが用意してくれた朝ごはんのパンの味も良くわからない。粘土を口に詰め込んでいる気分だ。

 

 僕という人間は引き籠もりの例に習って、テレビが嫌いである。

 極彩色のスタジオセットから溢れ出る、エモーションの押し売りを、出来るだけ見たくもないし、聞きたくもないのだけれど、居間でお婆ちゃんの作ってくれたごはんを食べる時だけは、嫌でもそれが目に付き、耳に入ってくる。

 どれくらいテレビが嫌いかと言えば、食事中テレビを見させられるくらいなら、一人汚い公衆便所でコンビニパンを齧る方がずっと幸せというくらい、テレビが垂れ流す猥雑な音や光の渦を嫌悪している。 

 

 今朝のニュースによれば、東京で通り魔が出たらしい。  

 白昼の目抜き通りで、男が女子高生の脇腹を包丁で刺した。男はその場で現行犯で捕まり、「死にたかった。誰でもいいから道連れにしたかった」と供述したという。コメンテーターの評論家は言う。「身勝手な奴だ」「死にたいなら一人で死ねば良いのに」「勝手に死ね」犯人の男は心療内科に通院していたらしい。


 つい、先程まで深刻な空気を作っていたコメンテーターやニュースキャスター達は、すでにムードを変えて最新のレジャースポットの話題について話し始めている。

 流行りの韓流スイーツを紹介する、女子アナだかアイドルだかの女の子は、個性的なワンピースを着ていた。

 僕がまだ物心ついたばかりの子供の頃、あんな服が流行っていたっけ。どこかの温泉に旅行に行った日、まだ若かったお母さんが良く似た服を着ていたはずだ。温泉に向かう電車の中でお母さんに抱っこされながら、そのワンピースの胸元にあるビーズのボタンを噛んで遊んでいた事を覚えている。 


 ファッションの流行は繰り返すものらしい。ならばそれは三十年周期という事になるのだろうか。ファッションなんて、僕が最も興味が持てないもののうちの一つだから、それが正解なのかは良く分からない。


 僕が真剣にテレビを見ていると思っているお婆ちゃんが、「美味しそうやね」と言った。僕はテレビの中の女の子が何を食べているかも認識しないままに「せやね」と返した。  

 僕が朝ごはんの片付けをすると、いつも「置いといてや」と婆ちゃんは言う。僕は「うん」と答えながらも、それを無視して洗い物を済まし、あとは自分の部屋に戻るのだ。

 

 ベッドに寝転がって、スマホゲームでガチャを回す。いつも通り結果は芳しくない。課金する金すらないのが、衝動的な浪費癖のある僕にとっては救いだろう。

 近頃はゲームにあまり熱中できなくなった。最後にやり込んだのは64のマリオくらいなので、かなりの昔だ。そもそも友達と遊ぶ口実にしていただけで、僕はゲームがそれほど好きではない性質の人間なんだろう。

 世の中にはゲーマーが沢山居て、中には仕事にまでしてる人がいるらしいけれど、ゲームの楽しさは、多分僕には理解できない。

 ファッションにも興味がない。テレビも嫌いで、人と関わる事も苦手だ。恋人がいた事もなく、そもそも異性を好きになった事が無い。近頃は、口にしている食べ物が美味しいのか不味いのか良く分からない。僕は一体何が楽しいんだろう。 

 

 そう思い至って、しばしの間、ぼうっと考える。薬に均一化された脳内は、もやもやとして、掴みどころがない。

 

 このゴミの様な人生に向き合う時、そこに立ち塞がるはずの巨大な恐怖症すら、薄靄の様なノイズに隠されて、その輪郭が曖昧にぼやけている。頭の中で音も無く雨が降っている。それはあの耳障りな苦しみから僕を解放してくれた。けれど、同時に僕の実存の質量を奪っていった。

 悪夢のパレードみたいな、騒がしい頭の中が少しだけ懐かしく思える。荒涼として、寂れたこの頭の中が、本当に「正しい」、「普通」なんだろうか。定型と呼ばれる世の人々は、こんな静かで整頓された世界で、何を拠り所に生きているのだろうか。

 

 窓の外から婆ちゃんが花壇に水をやる音が聞こえる。婆ちゃんと隣のおばさんが話している声が聞こえ始めて、僕はイヤホンを取って、スマホに繋げた。僕についての話なんて聞こえてきたら、耐えられない。

 クラシックのピアノ曲を適当に集めたサブスクのマイリストから、エチュードが聞こえる。

 今の時代、金のかからない娯楽なら溢れ出る程に有り余っているし、それらを浪費する時間を持て余す僕は、ある意味勝ち組なのかもしれない。いつかの歯のないオッサンの歪んだ口元と笑い声が浮かんで消える。 


 

 今日は市役所に行って、障害年金の件の進展を尋ねなければならない。

 待ち続けるという行為が、僕にはどうしようもなく落ち着かない。何か行動して、待機という状態を完結させなければ、塞ぎ込んで惰眠に耽ることすら出来ない。僕は焦燥感に背を押されて、家の外に出た。


 ガラガラと鳴る引き戸の音を掻き消すほどに、今日も蝉はやかましく泣き喚いている。一歩外に出た途端、熱蒸した空気に貧弱な肺と脳を蒸し上げられる。直ぐに踵を返して、クーラーの効いた部屋に戻りたくなってしまう。

 いつもの悪い癖で、朝から動こうとしていた筈なのに、家を出るのが遅れてしまった。昨日のこのくらいの時間、担当の中川さんは居なかったし、今日も居ないかもしれない。それに。それに、金田には絶対会いたくない。どうしても会いたくない。金田と対峙するくらいならば、何だって出来る気がする。

 いっそ、もう何もかも諦めて、また仕事を探そうか。どちらにしても生き地獄ならば、まだバイトを転々とする方が、後ろめたさを持つ事なく生きることが出来る。

 問題は僕がまともに仕事が出来ないという事だ。仕事が続かない。研修期間のハードルすら超えられない。

 特に職場の先輩に優しい人が居ると地獄だ。その人の雇用条件に障害者の世話なんてないのに、僕が嘘をついて隠しているせいで、酷い迷惑をかけてしまう。働く上で、それが一番耐え難い。『本当に?』『嫌われるのが嫌で、怒られるのが嫌で、傷付くのが嫌で、逃げてるだけじゃないのか?』『腰抜け』『無能』『負け犬』『ガイジ』『チンパンジー』『気持ち悪い、早く死ねよ』駄目だ、駄目だ。また無意味な思考が堂々巡りだ。

 

 大声で奇声を上げたい欲求が湧き上がってきて、僕は頭を叩いてそれを抑え込む。代わりに乗ろうとしていた自転車を蹴っ飛ばして倒した。

 何度も何度も蹴って、踏んで、その大きな音で衝動を捻じ伏せて相殺する。ざわざわと震える心を抑え込もうと頬を強く平手で叩く。ああああと、しゃがれ声が押さえきれずに喉から飛び出てしまう。

 

 危ない、近所の人に見られると大変だ。僕は自転車を倒したままに、慌てて家の中へと逃げ込んだ。


 ベッドに俯せで倒れ込み、深く溜息をつく。側頭部がドクンドクンと脈打って痛い。天井がぐるぐると回っている様な錯覚を抱く。

 やっぱり今日は、無理をしてまで出かけるのはやめよう。今日の僕には、誰かと話せる程の余裕がない。精神に余力が無い。今日は何も考えず薬を飲んでベッドに寝臥せって、そうやってリセットして、乗り越えなければならない様な日だ。

 どうせ、市役所に行ったって状況は変わらない。年金事務所からの返信を待ってと言われるだけだ。

 

 あと少しだけ、乗り切れば。そう思っていたのに。

 

お婆ちゃんが倒れたのは、その翌日の事だった。 

 

 

 

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