20食
憲兵による尋問は思いのほか早く終わり、夜明けには店に帰れた。なぜか私はギルバートがイトシゴだと知らなかったと決めつけられて、何度私がイトシゴだと喚き散らしても無罪放免だと放り出された。
「イザベル、その血はどうした。イザベル、大丈夫か。イザベル、ギルバート・ドライスタクラートに伝言を伝えたところ、走って店を出て行った。昨夜私はここにて2人を待っていたが、ギルバート・ドライスタクラートだけ帰らない。探しに行くか。イザベル、怪我はないようだが、血が酷い。風呂に入るべきだ」
店に入るなり、ドア付近に立っていたレオに質問攻めされる。そう言えば、せっかく服屋の奥さんに貰った服は憲兵に押さえつけられた時についた泥とギルバートの血でドロドロで、下着まできっと赤く染まっているのは間違いなかった。そりゃあ、いきなりこれを見たら驚くだろう。
「イザベル、どうした。イザベル、……。イザベル、どうした」
知らない。ただ、前が滲んで見えないだけ。元々壊れ気味の喉から、甲高い異音が鳴って止められないだけ。
「う、あぁぁ……!!」
「イザベル、謝罪する。泣かせることは本意では無かった。今からギルバート・ドライスタクラートを探しに行こう。改めて謝罪する、イザベル。私はイザベルの涙を止める術を持たない」
「あぁぁ……!! ぎ、ぎる、ばっ、ばーとっ……!! ギル、バートっ!!」
「承知した。ギルバート・ドライスタクラートを探してこよう」
「ちが、違うの! もう会えない、もう会えないの!」
「なぜだ」
「イトシゴ、イトシゴだった! ギルバートがイトシゴだったの!! もう王様しかギルバートに会えない!! ギルバートはもう二度とここに来ない!」
レオが私の前に跪いて、ハンカチを差し出してくる。それを使わずに、自分の両手で顔を覆って下を向いた。じゃり、と頬に手のひらについた泥が痛かったが、無視して顔に押し付けた。
「イザベル、肌が傷つく。ハンカチを」
「いらない!」
「イザベル、私はどうすべきだ」
分からない、でも今は放っておいて。八つ当たりしてしまうから。酷いことしか言えないから。本当は、遠慮のいらない、まるで初めて弟ができたようなこの関係を壊したくないのに、何もかもぶち壊してしまいたいという衝動を止められないから。
「イザベル、1度座るべきだ」
「うるさい!」
「イザベル、水を飲むべきだ」
厨房から私のマグカップに水を入れてきたレオが差し出したそれを、衝動のままに払った。ぱしん、と皮膚を打つ音とともに、水を撒き散らしてカップが舞う。
しかし、レオが片手でカップをキャッチし宙の水をするりと中に収めるよう手を動かしたので、何も零れなかったし、壊れなかった。
その神がかった動作に、思わずぽかんと口が開いて涙が止まる。
「イザベル、このマグカップは壊すべきでない」
「……」
レオが、無表情で話し出す。やけにゆっくり、言含めるように。
「イザベル、私はこのカップを洗わない。割りたく、無いのだと思う」
「……」
「私には、願望や欲求は不要だ。レオ・アインツェーデルを鈍らせる物は、なにひとつ備えるべきではないからだ。生きるために必要とするものは、限りなく少なくすべきだ。なぜなら、レオ・アインツェーデルは人間ではない。レオ・アインツェーデルは、剣だからだ」
「……」
「しかし、私はこのカップを割りたくないと願う。ギルバート・ドライスタクラートと、イザベルと食事をしたいと思う。私はもう、剣としては不良品だ。食事を求める剣など、剣ではない」
「……ばか。当たり前よ、あんたは元々、剣じゃないもの」
「承知している。私は、人間なのだと、イザベルが言った」
マグカップを受け取り、ごくごくと水を飲み下す。
「ふう!」
ぐいっと手の甲で口元を拭う。よし、これで、不覚にも流してしまって分の水分は補った。ふわふわと纏まらないこのぽんこつの思考は気力で無理やり纏めてやる。
そうだ、うじうじするな私。なんのために剣を取った、なんのために本を読んだ。嫌いなものに負けるなど許さないのだから、拳を握れ、私。
イトシゴは一生城から出られない。ギルバートはもう、二度と城から出てこない。しかし。
王城には、断頭台がある。
つまり、そういう事。
私の、大嫌いな未来に対する反抗は、まだ終わっていないのだ。こんな所でお行儀よく泣いている場合ではない。
「ふう……」
ギルバートも、人間の眼球が捉えるはずのない未来を見たのだと分かって、自分の思考の根底が崩れ落ちた。生まれてこの方信じてきていた、自分という存在への理解が崩れ落ちた。
だからどうした。
なら今すぐ全部壊せ。思考の前提などハナからいらなかった。ただ、なんの歪みもない思考を、このおかしな頭には無駄に詰め込まれた事実を使ってなにより早く回せばいい。そうすれば、答えは出るはずなのだから。
「レオ、今日は店を休むわ。もし状況を知りたいのなら、私がお風呂から出るまで、少し待っていて」
「承知した」
「あと」
昨日買った着替えを抱えながら、風呂場の入り口で立ち止まった。
「ありがとう、レオ。やっぱりあんたがいてくれて助かったわ。それから、酷いこと言ってごめんなさい。私、あんたのこと嫌いな訳じゃないのよ」
「承知している」
「あら、随分可愛くなったじゃない」
大急ぎで風呂から上がって、髪を拭くのもそこそこに、レオが座って待っている自慢のカウンター席に座った。私もレオも、いつもの席に。私達の間のこの空席は、ギルバートの場所だ。
「レオ、状況を整理するわよ。かなり複雑だからメモを取りたかったら取りなさい」
「承知した」
「まず、昨日の夜に色々あって、怪我をしたギルバートがイトシゴだとバレて城に連れ去られたわ。確かに、ギルバートは未来を知っていなければ出来ない行動をしていたし、騎士にイトシゴか確認された時頷いたから、これは間違いのない事実だと思って構わないわ」
「ギルバート・ドライスタクラートはイトシゴで、騎士に連行された」
その通り。
「でも、おかしなことがあるの」
「なんだ」
「私もイトシゴなの」
「イザベルもイトシゴ」
珍しくレオがメモを取った。
「私も未来を見たのよ」
「質問の許可を」
「どうぞ」
「イザベルが未来を見たとする根拠はなにか。また、見た未来の内容はなにか」
「私が未来を見たと確信したのは、
「4つ?」
レオが首を傾げ、またメモを取った。何が引っかかったのかは不明だが、とりあえず話を進める。
「2つ目に見たのは、私がお嬢様学校の制服を着て家族と優雅にお茶をしている未来。これを使って、私が見た未来が変更可能か試したわ。そしてご存知の通り、私は騎士学校に入ったし、家は潰れた。つまり、未来は変更可能だとわかったわ。それから、3つ目に見た未来について。3つ目の、未来は」
また、ふう、と息を吐く。それから、思い切って大きく肺をふくらませた。
「ギルバートが死ぬ未来。断頭台で首を落とされる未来。私は、こんな未来絶対許さないわ」
レオはメモを取らなかった。ただ、無表情で真剣に、私の話を聞いている。
「もう1つは……詳しくは言えないけど、ギルバートが出てくる未来よ」
「なぜ詳しくは言えないのか」
「言えないものは言えないの。それに多分これは関係ないから、大丈夫よ」
「承知した」
「で、こういう訳なのよ。ギルバートもイトシゴで、私もイトシゴ。でもイトシゴは常に1人だけ。ここで疑問と矛盾が生まれるわ」
「質問の許可を」
「どうぞ」
「イザベル。イザベルは、3歳の時の未来を未来視の根拠に使った。当時の記憶に自信があるのか」
「ええ。私、1度見たものは絶対に忘れないの」
「2つ目の質問だ。イザベル、先の4つの未来を見たのは、いつだ」
この質問になんの意味があるのかは分からなかったが、レオのことは人柄と能力ともに信頼しているので、偽ることなく答えた。
「全て、0歳の頃よ」
かた、とレオがペンを置いた。
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