19食

 息が出来ないほど、ギルバートに強く抱きすくめられている。震える血だらけの手が、私の背に必死に縋っている。


「い、イザベル……!! ど、ち、血が、イザベル、血が……!!」


「ギルバート?」


「ど、どうしよう、血が、イザベル、死なないで、イザベル、死なないで!! 居なくならないで!!」


「ギルバート、落ち着いて。私は死なないわ。血が出てるのはあんたよ、あんたが怪我してるのよ」


「イザベル、お願い、お願いだから居なくならないで……!! イザベル、は、どうし、はぁ、イザべ、血が、」


 自分より冷静ではない人が目の前にいると、どうにも冷静になる。本当だったら私の方がギルバートの怪我と血にパニックになっているだろうに、今は私がしっかりしなければと、なんとか伸ばした腕でギルバートの背中をとんとんとゆっくり叩いた。


 その横で、憲兵が気絶した通り魔を取り押さえている。植木鉢を投げた男の家にも、憲兵達が走って入って行った。私達の方へ来ようとした憲兵を手で制して、医者だけ呼んでくれるように口パクで伝える。憲兵は理解したようで、すぐさま走り去った。


「ギルバート、どうしたの。そんなに強く掴んだら傷が酷くなるから、緩めなさい」


「イザベル……!!」


「緩めなさい。大丈夫、私は1つだって怪我してないの。あんたが犯人にタックルしたからね。でもあんたが怪我したの。落ち着いて、すぐお医者様がいらっしゃるわ」


 する、と背中の手が緩まる。じわりと感じる血の生温かな感触に気が遠くなりかけるが、気力で踏ん張った。


「ギルバート、痛くてびっくりしたわね、でも大丈夫。大丈夫だからね」


「イザベル……!!」


 まだ震える体に、早る呼吸。

 それを全身で受け止めながら、すっと、息を吸った。


「落ち着きなさい、ギルバート・ドライスタクラート。騎士たろうとする者、いかなる時も冷静でありなさい」


 びく、と大きくギルバートが震えた。

 それから腕が緩まり、そろそろと涙の光る銀の瞳が私を見た。


「落ち着いたかしら?」


「……落ち着けるか、バカ」


 私の肩に、残念に歪んだ美しい顔がうずまる。仕方ないので銀色の髪をよしよしと撫でてやった。ふわりと、毎月匿名で送られてくる石鹸の香りがした。私の頭と、同じ匂いがした。

 それで、仕方ないなと自然とため息が出た。


「あんたねえ、人質がいるんだからタックルはやめなさいよ。私殺されちゃうじゃない」


「殺されるなんて言うな……!!」


 ぎゅう、とまた私の背中を抱いたギルバート。しまったまた振り出しに戻ってしまった。


「はいはい、もう言わないから手を緩めなさい。ほら、手をかして。気休めだろうけど、お医者様がくるまでに止血しましょう」


 先程服屋で脱いだ、店名入りシャツをちぎってギルバートの手に巻き付ける。手のひらがざっくり切れていて、これは縫わないとダメだろうなと思い少し吐き気がした。


「ばかねえ、なんで刃を握るのよ。痛いじゃない」


「イザベルが怪我したらもっと痛い」


真剣に、どこか泣きそうな幼さの残る声で言われてしまって、思わず呼吸を忘れる。数瞬後、思い出したように喉が震えた。


「べ、別に、私だってもと騎士学校生なんだから、あれぐらいでどうにかなる訳ないじゃない」


でも確かに、あのままギルバートが来なかったら、上から落ちてくる植木鉢に気づかず死んでいたかもしれない。いや、確実に死んでいた。


「ギルバート、あんたあの植木鉢に気づいたからタックルしたのよね。ありがとう、間一髪だったわ。あれ完全に私の頭コースだったものねえ」


「……」


「さすが優秀な騎士学校生ね。良い判断だったと思うわ。そもそも初動がはやかっ……あ、れ?」


 そう、ギルバートは誰より早く動き出した。それこそあの時、犯人を追っていた憲兵より。なにせ、私が大通りにぼけっと立っている時から走って逃げるよう言ってきた。


 そう、、焦って走るよう言ったのだ。


 真っ直ぐ伸びる大通りからなら、きっと2階の植木鉢男は見えただろう。普通にしていて2階部分に目をやるかや、いつからあの男が窓の外に顔を出していたのかはさておき、まあ人間の眼球で見ることは可能だろう。


 しかし、横道の通り魔は?

 建物で死角になった横道を、人間の眼球は捉えられるのか。一番上にある、表面のものしか映さない人間の目は、そんなものを映せるのか。


 ギルバートは、あの時どうやって。

あの時、なぜ私が通り魔に人質にされると、わかったのだろうか。


「ギルバート……? あんた、なんで私を追っかけてきたの……? レオに、着いてこないでって伝言したわよね……?」


「……」


「ギルバート、なんで私が人質にされるってわかったの? なんでさっき、犯人のナイフだけ叩き落とすんじゃなくて、私ごと体当たりして倒したの?」


「……」


「ギルバート!」


 おかしい。

 忘れる機能すら欠落している私の頭は、かなりおかしな作りをしているから、だからこんな答えが出たんだ。

 だって、だって有り得ない。こんなの有り得るはずがない。


「ギルバート、あんた」


 未来を、見たの?


 その言葉は、言えなかった。

 だって、そんなの。イトシゴが2人いるなんて、そんなの。ギルバートも未来を見ていたなんて、そんなの。


 自分の中の根底の部分が崩れていくようで。


「……ごめん、イザベル」


 何を謝るの。


「俺……」


 やめて、ちょっと待って。私のこの、すぐおかしくなる喉が戻るまで、ほんの少しだけ待って。


「もう、あの店に行けないや」


 憲兵が連れてきたのは、医者では無かった。


 数人の騎士を引き連れて、血だらけのギルバートの腕をひねり上げて、暴れる私を押さえつけてから。

 私の銀色を攫って、王城の方へぞろぞろと引き上げていった。


「ああああ!!!」


 この日から、国中のイトシゴ捜索の張り紙は撤去された。

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