6食

 我が店の皿が割られ続け早5日。

 昨日1日だけ店を開けてみたものの、全てのお客さんが店内を覗いた瞬間踵を返したので結局閉めているのと変わりなかった。


「イザベル、謝罪を」


「もういい……あんたに悪気はないし……善意の塊だし……これに怒ったら私はダメな奴になると思うし……」


「今日は包丁を研いできた」


「ああ、ありがとう。ギルバートが喜ぶわよ」


「包丁を研ぐとギルバート・ドライスタクラートは喜ぶのか」


「そりゃ切れる方が嬉しいでしょう」


「理解した」


 もうギルバートのりんごジャムは食べきった。ギルバートお手製の野菜のピクルスも、はちみつ漬けのレモンも、ヨーグルトも全部食べた。

 きゅう、と自分のお腹から情けない音が鳴る。


「もうパサパサのパンしかないわ……」


「仕入れた食品は冷蔵庫にあるが」


「私、自分の料理食べるとお腹壊すのよね」


「危険物なのか」


「失礼ね……。ああ、今日のおやつはパサパサのパンか生魚よ、レオ。好きな方選びなさい」


「パサパサのパン」


「でしょうね」


 厨房の棚から、パサパサのパンを取り出そうとしたところで。


「おい昨日店が開いてたって聞いたんだがまさかイザベルの料理出したんじゃないだろうな!? 集団殺人で捕まるぞ!!!」


 からんからん、と鈴を鳴らして、銀髪が店に飛び込んできた。相変わらず恐ろしいほどに整った顔に、うるさく騒がしい声。少し顔色は悪く見えるが、いつも通りの表情だった。

 柄にもなく、じわりと目に涙が浮く。やっと、やっと皿割り人間この苦しみから解放される。


「ぎる、ギルバー」


「ギルバート・ドライスタクラート、まだ怪我は治っていないはずだが、家を出て問題ないのか」


 震える私の声をかき消したレオの声。久しぶりにこの店に入ってきたギルバートは、その美しい瞳を零れんばかりに見開いて。


「なんでレオ!? え、なんで!?」


「ここ5日間、ギルバート・ドライスタクラートの代わりにこの店に通った」


「えっっ、う、嘘だろ……? 嘘だよなイザベル、え? 嘘、まさかこの5日間、2人っきりでここに……?」


 震えだしたギルバートに歩み寄り、その胸に思い切りパンチを食らわせた。肩の怪我には響かないように力は入れていないが、それでも本気で殴った。


「イザベル!? なんで殴った!? この美青年が店にきたのに!? ま、まさかレオがいるから俺はもう用無し……!?」


「お腹が空いたの! もう食べるものが無いの! お皿も無いの!!」


「はあ!?」


「ギルバートのあほー! 私もレオも飢え死んじゃうわよお!!」


 叫ぶだけに踏みとどまったが、危うく泣きかけた。ギルバートがめちゃくちゃに慌てているが、もうこっちはお腹は空いているし店はめちゃくちゃだし頭がぐちゃぐちゃなのだ。全部ギルバートがあほなせいだ。


「イザベル、訂正する。私は飢え死にしない」


「おやつがパサパサのパンでもいいの!?」


「おやつがパサパサのパン」


「見なさいよギルバート! 私ずっとこんな感じの知性ゼロの会話してたのよ!? あまあまジャムとシフォンケーキ食べないと割に合わないわよぉ……!!」


 今度こそ泣きかける。シフォンケーキ食べたい。


「ご、ごめんイザベル。頑張ったんだけど家から出るのに5日かかっちゃって、シフォンケーキもジャムも作るから」


「なんであんたが謝るのよー! あんた悪くないじゃない!」


「ああ、とりあえず糖分取れイザベル。今なんも考えられてないだろ。お前糖分入れないとバカになるもんな。自分でも分かってるんだから甘い物食えよ」


「ジャムとはちみつしか甘いもの無かった! 砂糖舐めるのはプライドが許さなかったの!」


「訂正するイザベル、イザベルは昨日砂糖を舐めていた」


「レオのバカ! 今日はおやつ抜きだから!」


「今日はおやつ抜き」


 そのあともぎゃあぎゃあ騒いでしまって、結局落ち着いたのはギルバートが焼いてくれたクッキーを食べた後だった。


「世界が明るく見えるわ」


「クッキーを作ったのはギルバート・ドライスタクラート」


「とりあえず、イザベルには同情するしレオは壊れたのか?」


 砂糖をたっぷり溶かした紅茶を持ってきたギルバートが、当たり前のように私の隣に座った。その隣にはレオが座っているので、傍から見れば3人仲良くおやつタイムだ。


「ギルバート、怪我はもういいの?」


 すっきりした頭で、久しぶりの銀髪を見上げる。やっぱり眩しいぐらいに綺麗な髪だ。


「まだ剣は振れないけど、日常生活は問題ないぜ。やっと家から出れたから走って来た!」


「そう」


「ギルバート・ドライスタクラート、改めて怪我について謝罪する」


「気にしてないし、そもそもレオのせいじゃないからな。俺が調子乗ってレオ相手に攻めたから」


「真剣だった場合、あそこは攻めるべき場面だ。ギルバート・ドライスタクラートの判断は正しい」


「まああれ木剣の練習試合だったんだけどな……でもレオにそう言ってもらうと嬉しいよ」


 2人が剣について話し込んでいるので、私はまだ暖かいクッキーに手を伸ばした。皿がないのでオーブンの網に乗ったままのクッキーは、口に入れた瞬間バターの香りと甘みが広がって最高に美味しい。暖かいのも美味しさに拍車をかけている。

 最後の1枚、と手を伸ばした指が、同じく伸ばされたごつい指とぶつかる。


「引きなさいレオ、これは私のおやつよ」


「私のおやつ」


「イザベルのおやつ」


「私のおやつ」


「たかがクッキーで喧嘩すんなよ……お前らもう18だろ?」


 ギルバートは分かっていないのだ、おやつが日に日にランクダウンし、とうとうパサパサのパンをおやつと呼んだ日を経験した私達が、どんな思いでこのクッキーを食べているのか。


「訂正する、ギルバート・ドライスタクラート。イザベルはすでに誕生日を迎えている。よって、もう19歳である」


「し、知ってたよそんなの!! 言葉の綾ってだけで、イザベルの誕生日なんて絶対忘れる訳ないだろ!! ってそうじゃなくて、なんでレオがそんなこと知ってるんだ!!」


「有用な情報は記憶すべきだ。ギルバート・ドライスタクラートの誕生日はイザベルの誕生日から4ヶ月と2日後である」


「えっ、お、俺の誕生日も知ってるの……? ご、ごめん俺、レオ、君の誕生日、知らないや……」


「レオで構わない」


「クソおおお!!!」


 レオは、ギルバートと話ながらもクッキーから手を退けない。

 私は食べるに困っている人なら無条件で助ける。だから、私がお腹を空かせていたら無条件で助けて欲しい。

 それぐらい空腹が嫌いだ。


「あ、鐘よ」


 2人が夜の鐘の音に気を取られている隙に、最後のクッキーをぱくんと口に放り込んだ。美味しい。さらにあまあまな紅茶を口に含む。美味しい、美味しい。


「私のおやつ」


「敗者の言葉など聞こえないわ」


「卑劣なイザベル」


「あんた急に恐ろしいこと言うわね」


「理解した」


「何をよ」


「お前ら、仲良くなったのか仲悪くなったのか分からないな……とりあえず俺帰るから、レオも帰るぞ! もう2人きりになんてさせないからな! あ、イザベル、戸締りちゃんとしろよ! 明日の夕方仕込みにくるから、それまでに皿買っとけよ! あと」


「姑」


「くそおおお! また明日なあああ!!」


 からんからん、と鈴を鳴らしながら、レオを引っ張ってギルバートが帰っていった。しんと静まり返った店内で。


 うん、また明日。


 なんて恥ずかしことを1人呟いてしまって、駆け上がった2階自室のベッドで悶え苦しんだ。


 皿は買い忘れた。

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