2食
夕方の店内。
今日は土砂降りの雨のせいかお客が少ないので、1人自慢のカウンター席に腰掛け新聞を読んでいた。新聞など取った覚えはないが、匿名で毎日送られてくるので暇な時は読むようにしている。今日はとうとう一面の半分をイトシゴ捜索の記事が埋めてしまい、記者と読者の皆様には大変申し訳ない思いだ。
「イザベルー!! タオル貸してくれ! 俺はただでさえ美青年なのに、水も滴る良い美青年になっ、ちゃ、って……」
「はいはい、あんたは騒がしいわね本当に」
からんからんと鈴を鳴らし店のドアを開けた体勢のまま、体に水に透けたシャツを張り付かせたずぶ濡れの銀髪が動きを止めた。
店の床を濡らすまいとするその姿勢は良し。でもドアは閉めなさい、雨が入る。
「い、イザベル……その、髪……」
「ああ、切ったの。さっき」
「え、あ、うん。そっか……」
元々は腰に届くかというような鬱陶しさだった私の赤髪は、今はちょうど鎖骨の上あたりにまで短くなっていた。本当はもう少し短くしたかったのだが、自分で切ると後ろが見えないのでこの長さが限界だったのだ。
「突然どうしたんだよ。せっかく綺麗……、あ、えっ、間違えた!! 間違えた今のなし!! はい記憶消して!! はい消えた!!」
ぱんっと手を鳴らして喚き散らす騒音ギルバート。思わずポカンとそれを見つめてから、盛大なため息とともにタオルを投げた。
「早く拭いて着替えな。店のロゴ入りシャツなら男用のサイズあるから」
「どういうつもりで発注したんだよそれ」
エプロンと同じ臙脂色の布に黒い店名が入ったシャツに着替えたギルバートは、そのまま厨房に入って明日の仕込みを始めた。今日はもうお客も来ないだろうし、表の看板を準備中にひっくり返してこようか。カウンターから厨房をチラリと覗いて、席を立った時。
「イザベル、その髪自分で切ったの?」
奥から聞こえてきた声は、心なしか震えているように思えた。
「そうだけど、なんで?」
「……切り口ガタガタなんだよバーカ! ちゃんと鏡見て切れバーカ!!」
「見たわあほバート。ガタガタなのはハサミが途中で切れなくなったからだバーカ」
しまった、つい知能3くらいの言い合いに乗ってしまった。落ち着け私、私は威厳のある店主でしょう。深呼吸よ。
「あ!? お前まさか普通のハサミで切ったのか!? ってあーー!!! 本当だハサミがダメになってる!! バカバーカ!! 髪は普通のハサミじゃ切れないんだよバーカ!」
「うっさい切れたわ」
「ハサミも髪もガタガタになってんだろうが!!」
とうとう騒音発生人間が厨房から出てきてしまった。ハサミは明日新しいのを買うから仕込みに戻ってくれ。いや、待て。ハサミなら買わずともあるかもしれない。
2階の自室に走って、この店開店時に匿名で送られてきた生活雑貨一式の箱を開ける。するとやはり、新品のハサミが出てきた。それも文具用料理用園芸用、そして散髪用の4つも。初めからこれを使えばよかった。
箱の中には他にも高級紙だとか万年筆だとか色々入っているが、使ったことはない。というか誰だ匿名でこんなもの送りつけてくるやつ。冷蔵庫と新聞と同一犯でしょ、ありがとうございます。
「ギルバート、ハサミあったわよ」
「あぁそう、って散髪用あんじゃねえか!! 使えよ!!」
「うっさ」
「クソおおお!!! 洗面所行くぞおお!!!」
なぜか椅子を持ったギルバートに風呂場に連れて行かれる。椅子に座らされ、背後に立ったギルバートがハサミを持った。それから、途端に静かになって。
「……髪、俺が直していいか」
「ラッキー」
「はああ……」
ため息とともに、静かになったギルバートが私の髪を少し掬って整え始めた。この騒音発生人間、料理が上手いことからもわかるように手先が器用なのだ。美容院代が浮いた。
「なあ、なんで髪切ったんだ? ま、まさか失恋!?」
「あほバート。ただ邪魔だったからよ。それ以外に理由はない」
「……そうか。すごいな、イザベル」
「何がよ」
いつもは1言えば10返ってくるのに、この時ばかりは返事がなかった。その様子になんだかおかしな気分になってしまって、咄嗟に意味の無い質問をする。
「ねえ、あんた学校はどうなのよ」
「え? 昨日言っただろ、姫殿下がいるからみんな変に緊張して」
「違うわ。友達できたかって聞いてんのよ3年生」
背後に立つギルバートが崩れ落ちた。そのまま小さく震え出す。
まさかとは思っていたが、まだボッチやってるのか。
ギルバートは入学初日からその顔面偏差値で目立ちまくっていたが、人見知りと緊張で黙っていると顔が整いすぎて怖いのと、成績と家柄の良さも手伝って初日から校内話しかけにくい奴ランキングNo.1に君臨した。そしてひどい人見知りによってその誤解をずるずると引きずり続け、ガチの方で友達がゼロなのだ。見た目が目立つので噂話のタネにはされているが、それだけだ。
「あんたねえ、適当に声でもかければいいじゃない。昨日剣研いだー?、とかあほな質問してみなさいよ」
「急にそんなこと話しかけられるかよ! 俺が学校でなんて呼ばれてんのか知ってんだろ!? 銀雪の騎士、ギルバート様だぞ!? 無口でアンニュイな孤高の天才だとか言われてんだよ!! 完全に儚い美青年イメージ固まっちゃってる!! もう口開けねえよーー!! 大体まだ騎士じゃねえーー!」
コレを無口でアンニュイだとか言い始めた人は目が節穴なのか。
「全然喋ったことも無い奴とライバルとか言われてるし! どうしよう俺絶対生意気だって嫌われてる!! やめてくれよ相手騎士団長の家の息子だぞ!! 成績だってぶっちぎりであっちの勝ちじゃねえか!! なのにライバルとか勝手に持ち上げやがって!! やめてごめんなさいレオ君に嫌われたら将来無職だあああ!!」
だっさ。
「学校行きたくないいいーー!!!」
だっっさ。
「1人でメシ食ってると視線が刺さる! 柔軟の時ペアがいない! 寮の内輪ネタが一切分からない!! やることなさすぎて魚図鑑読んでたら憂いを帯びた表情とか言って騒がれたーー!! 鯛が美味しそうだなって思ってただけだーー!!」
流石にちょっと可哀想。友達のこととか聞かなきゃ良かった。デリカシーが無かったわ。
「イザベルーー!! 魚仕入れてくれよおお!! アクアパッツァが食いたいよー!!」
「仕方ないわね……。その代わり、りんごジャム作ってよ。りんごが届いたから」
「うん……」
騒音を出し切って落ち着いたのか、ギルバートは私の肩に落ちた髪を軽く払ってからそそくさと厨房へ戻っていった。
仕方ないので明日は魚を仕入れよう。幸いこの国では魚が恐ろしいほど取れるので、いつ頼んでも何かしらの魚は手に入るのだ。
「ギルバート、今日のご飯は?」
「具なしパスタ。デリカシー添え」
若干怒らせたのかもしれない。
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